第2話

「あっ、先輩! 先輩も今からお昼ですか?」


 ガチャっと休憩室のドアを閉めながら頷く。

 そんな俺の冷たいとも取れる返事を受けて、彼女はテンションを下げるどころか上げてきた。パァっと花が咲くように笑う。


「わは! じゃあじゃあ、せっかくですし私と一緒に食べませんか?」


 俺は再び頷いた。


「いいんですか!? やった!」


 それを見て彼女が再び笑顔を咲かせる。

 どのみち店員がお昼を食べていい場所はここしかないので、誘われなくともそうするつもりだったんだが。まあいい。


 今ここにいる店員は俺と彼女の二人だけ。

 つまり店の方はガラ空きで、盗み放題やり放題ということになるのだが、そこは田舎コンビニの利点が問題なく解決してくれる。

 まず、お客さんが少ない。土曜日の昼過ぎだというのに店内に店員しかいないのだから、その少なさはお察しだろう。がんばれ店長。店を守れ。

 次に、誰かが入店したらチャイムが鳴る。これがまた耳に優しい良い音で、うたた寝してたらうっかり聞き逃してしまいそうなほどである。おい店長、チャイム変えろ。(権力不足)


 しかしまあそういうわけだから、人がいない時間は店員が一斉に休憩しても問題なかったりする。もちろん品出しとかは終わってる前提だが、それはさっき済ませてきたので問題ない。


 弁当を持って彼女の対面の席に腰掛ける。


「それにしても、品出しくらい私が後でやっておいたのに……。先輩はちょっぴり私を甘やかしてくれすぎですっ。なんなら品出しどころか、炊き出しとか呼び出しも任せてください。『○○くんのお母さん、○○くんがレジでお待ちです〜』って。…………あのぉ〜! ツッコんでくれないと困るんですけど!」


 最早こいつがここをコンビニだと思っていないことは理解しているので黙々と弁当を開封していると、一瞬の静寂に耐えかねたのか、彼女がムスッと頬を膨らませて言ってきた。

 ごめんごめんととりあえず謝る。

 しかし、彼女はじっと俺を見つめたまま、納得がいかない様子だった。


「ん〜〜…………」


 じーーーーっと。

 睨みつけるという感じではなく、訝しむという様子で俺を目を覗き込んでくる。不思議に思って見つめ返してみるが、別に石化したりはしなかった。

 うーーん、と唸り声を上げたまま、彼女は自信なさげに首を傾げた。


「……もしかして、今朝のお客さんのこと、気にしてます?」


 ビクッと俺の体が跳ねた。

 なんだよ、蛇に睨まれた蛙でももっと上手いことやるぞ。俺の馬鹿。


「やっぱり、そうなんですね? あのクレーマー、先輩にずーーーっと食ってかかって……嫌なら別のコンビニ行けっつーの」


 嫌悪感を隠すことなく露わにする。

 それでも、俺が宥める前に、彼女は自分から唇を噛んで抑えてくれた。

 が、しかし、不満100%な雰囲気で、自分の長い黒髪を指でくるくるいじり出す。


「……だいたい、明日発売の商品を今日出せって、意味わかんないですよ。先輩は何も悪くないのに、先輩が悪いみたいに責め立てて……。先輩、その人がいなくなった後も平気な顔してたから、大丈夫なんだーって勝手に思ってたんですけど……、そんなわけ、ないですよね……」


 暗い暗い暗い。雰囲気が暗い。テンションひっっっく。

 ……って、半分は俺のせいか。


 田舎コンビニバイトの利点の一つに、クレーマーが少ないというのがある。

 少ないというかマジで全くいないレベルなのだが、それは裏を返せば店員がクレーム慣れしていないということでもある。

 事実、俺はほとんど初めてのクレームに思いの外疲弊していたようで、それは色々と鈍そうな彼女にも見抜かれてしまうほどらしい。

 ちなみに、俺の歴代『心に来たクレームランキング』第1位は、今日のを除けば「このあんまん、つぶあんじゃねぇか!」である。つぶあん美味しいだろこのやろう……うぅ……。


「……よしっ」


 と、そんなあんこ大戦争のことを考えていると、テーブルの向かいで何やら覚悟を決めたっぽく息を吐く人が。まさか……こいつ……警察に……と思ったが違った。


「今となってはもうクレーマーの人に直接文句を言うことはできませんが、それでも、私が先輩の力になってみせます。具体的にはその……先輩のメンタルを鍛え……いえ、癒してあげようかな〜〜と!!」


 イランにある地下水路の名を語尾に付け、彼女はグッと胸の前で拳を握った。

 ところで今鍛えるって言った?


「うわ、嫌そうな顔〜〜」


 そりゃあ追い討ちは勘弁願いたいところなので。


「でも残念! 先輩に拒否権はありませ〜ん! なにせ、先輩がご飯を食べている間に、私が勝手に喋りますからね!」


 そう言われてしまっては俺にはどうしようもない。

 なにせ食べる場所はここしかない。

 降参の意を示してから、俺はまず間食用に持ってきていたモナカを喰らった。こしあんうめぇ〜〜。


「まあ、要するに私が優しいクレームを先輩にぶつけるので、先輩はひたすらそれに耐えていてくださいって感じです。いいですか? それじゃあ……こほん」


 クレーマーを憑依させるためか、彼女はわざとらしく咳払いをした。少しだけ顎が上がっているので、どうやら柄にもなく緊張しているらしい。

 しかし、それでも彼女の透明感あふれる高音はしっかりと響いた。


「先輩はまず…………目がダメです」


 普通にひどかった。


「多分、何か考え事をしている時、先輩の目は死んでいます。それが側から見ると怖いです。立ったまま気絶してるのか、ただぼけ〜〜っとしてる人なのか、素人には判断がつきません。……まあ、私はつきますけど」


 ぼそっと最後に付け足して、玄人の人が続ける。


「私は、先輩の目……普段の目ですよ? 普段の目が、結構好きなんです。かっこいい……かは分からないですけど、優しい目ですから。だから普段から、立ったまま気絶する時でも、笑顔で、朗らかに、今みたいな優しい目でいてください」


 別に立ったまま気絶したことは一度もないのだが、彼女の言いたいことは理解できた。

 物思いに耽る。耽ると書いて"ふける"。

 古文だと"眺む"なんて言うそれは、確かに目との関係が深い言葉であり、動作である。

 側から見て気絶しているようだと言うのなら、せめて何かを眺めているくらいにはしておきたい。


 頷くと、彼女は笑った。


「……はいっ。よろしくお願いします」


 なんだかとってもしおらしい。


 次に……と彼女が言い始めると同時、俺はモナカを食い終えた。弁当に手を出し、まずはご飯をひとつまみ。

 ……うーむ、口がこしあんなせいで、まずい大福といったところ。やはり正義はつぶあんにありけり。……それって伝聞過去では?


 なんてことを考えながらも、俺は笑顔を絶やさないことに成功した。その間ももちろんボロクソに言われていたが。

 「手作り弁当が茶色すぎる」とか、「挨拶がつまらない」とか……おい、からあげとおはように謝れ。


「それから……先輩は私に優しすぎです。例えるなら、あんまんに蜂蜜とメープルシロップをかけるようなものです。しかもこしあん。甘々です。砂糖多すぎです」


 こ、こいつ……もしかしてつぶあん派……!!

 やはり正義は(以下略)。


 少しだけ、彼女はしんみりとした様子で唇を噛んでいた。


「……先輩、本当はあの客がクレーム言ってきそうって気づいてましたよね? だから、本当はレジ当番私なのに、いきなり変わってくれたんですよね……?」


 よく分かったな……と素直に少し感心してしまう。

 客の様子は見ていればある程度は分かるものだ。特に不機嫌な客は分かりやすく、とびきり不機嫌な客は尚のこと分かりやすい。

 せっかくレジ打ちができるようになってきたのに、そんな鳥のフンみたいな不運で彼女を潰すわけにはいかない。

 俺のクレーム耐性はそれなりに低いが、それでも経験値ゼロの後輩に負けるほどではない。


「やっぱり、そうなんですね……?」


 肩をすぼめて俺の顔を下から覗き込んでくる彼女。

 やべぇ、超かっこ悪いじゃん俺……。


 そんな俺の態度を見て彼女は再び下唇を噛んだ。吐息が小さく漏れてくる。癖なんだろうか。


「もう……そういうことしてくれるなら、もっと最後までちゃんとかっこいい感じでいてくださいよ……。少しでも辛そうにされたら、罪悪感というか、申し訳なさというか……先輩を元気づけてあげなきゃって、思っちゃうじゃないですか……」


 ヒーローは誰かを救うためなら自らの命すら厭わない。

 けれど仮に、自分を助けるためにヒーローが命を落としてしまった時、俺は素直に『助けてくれてありがとう』と感謝できるだろうか。


 もっとも俺はヒーローじゃないし、自らの命は超厭う。その上、大衆に応援されているわけでもないので社会的な圧力を彼女が感じる必要もない。

 それでも彼女が責任を感じている原因はきっと社会的な圧力なんかじゃなく、純粋に良い子だからなんだろう。きっとテレビとか超離れて見てる。


 ……なんだか居心地が悪かった。

 なので、誤魔化しついでに彼女の頭に軽く手を乗せる。


「わ……せ、先輩? なんで急に私の頭に手を……?」


 ほげーっと口を半開きにして俺を見つめてくる。

 男が彼女でもない美少女の頭を撫でるのは法的な問題があったりなかったりするが、男が良い子の頭を撫でて『いいこいいこ』するのは何の問題もないだろう。だって良い子の頭だし。


 彼女の髪は滑らかだった。

 自分の髪とは比べるのもおこがましいくらいだが、あえて比べるなら天女の羽衣と雑巾。……やだ、俺ってば比喩上手過ぎる。


「──って、撫でるのはダメですっ! くすぐったいですからっ!!」


 ベッシーーンと俺の手がはたき落とされた。

 痛い。

 彼女は顔を真っ赤にして捲し立てる。


「い、いきなり女の子の髪に触るのは、とってもダメな行為です! 犯罪ですっ! デリケートな部分なんですから、本当に……っ」


 私じゃなかったらSNSに実名と住所晒されてますからね! と彼女は続けた。怖すぎるだろ。

 ごめんごめんと謝ると、彼女は「まったくもう……」と一応許してくれるようだった。


「私と先輩の距離感は、テーブルを挟むくらいがちょうど良いんです。言葉だけの関係というか、言葉が届く程度の距離感というか、そのくらいがちょうど良いんです。距離を縮めるのは私の仕事っていうか……だ、だから、スキンシップはダメです……本当に……っ」


 パーソナルスペースというやつだろうか。

 とにかく本当にごめんと改めて彼女に伝えると、「……まあ、今回だけ、ゆるします」と言ってもらえた。

 なんか声裏返ってますけど……とは言いかけてやめた。「それ以上はいけなぁあああいいい!!」と、俺の実名と住所がプライバシーの保護を主張していた。


 と、その時。


 てんてろりん♪


 と変な音が鳴った。

 間違えた。入店のチャイムが鳴った。


「あ……わ、私が行きますよ! 先輩はまだお弁当食べててください。……はい。任せてくださいっ!」


 さすがにまだ弁当を食べ切っていないので、やむを得ず彼女に対応してもらうことにする。


 ガシっと顔の前で両の拳を握り元気さをアピールしてくる彼女。「えへへ、頑張ってきますね!」と言って不器用に笑ったその姿は、プロのボクサーでも構えを見ただけで失神するレベルだった。


 ガチャンとドアが閉まる音。

 可愛いなぁ……とニコニコする俺の吐息(元気出た)。

 そして、ドアの向こうから聞こえる人の声。


「嘘……ウソウソうそうそ!! 先輩の手の感触が!! 先輩の手の感触がぁぁあああああああっっっっ!!!!」


 やたらと低い位置から聞こえるその声は、「きもっ! 嫌すぎて狂う! 狂う狂う!!」という感じでは到底なく……

 ……なんというか、聞いていて恥ずかしくなってくる声だった。


 うん。

 とりあえずお客さんに謝れ。

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