第27話「『地獄恋文』と書いて『インフェルノラブレター』って読むらしい」
そこには地獄が広がっていた。
デスクに座る社員は全員、負のオーラを纏っていた。黒いモヤが見えるわけではないが、なんと言うのだろう。
目にクマを作りながら猫背でディスプレイと睨めっこしている人、
無精髭を生やしながら無表情でタイピングする人、
画面がついたディスプレイの前で突っ伏している人、
中世の城のように積み重なったエナジードリンクの空き缶、
散らばったハンバーガーの包装紙やデリバリーピザの容器。
それらが、ただ単純に混ざり合って負のオーラを形成していた。
「……、……」
「…………!」
二人が絶句するのも無理はない。
茉莉乃は友人を訪ねに行った理系の研究室を思い出し、友菜は自分がいた職場の方がまだマシだったのだと、これから待ち受ける怨嗟に身震いした。
「う……何者あるか。ここは、関係者以外立ち入り禁止ですだよ」
エナジードリンクが積まれた机に座っていた女性が立ち上がる。スラリとした長身で、背中まで伸びた髪はボサボサになっていた。
「あ、あの、私たち、今日からここに配属されることになった渡邉茉莉乃と……」
「羽坂友菜といいます」
女性は机に置いてあったエナジードリンクのうち一本を手に取ると、千鳥足で二人の前までやってきた。目にクマができていて、加えてすっぴんだ。
近視なのか女性は目を細めて二人の顔をまじまじと観察すると、持っていた(中身が残っていたらしい)エナジードリンクを一気飲みし、ゲェプ〜と息を吐いた。
「新人さんあるね。いまボス呼んでくるからそこで待ってるよろし」
そう言って彼女はふらつきながらオフィスの奥にある個室に入っていく。個室のガラスは曇っていて、磨りガラスのように中の様子を確認することもできない。
だが、音は聞こえてきた。
「イタッ!」という中年男性の声。
「ちょっとユーちゃん、もう少しは起こし方というものを……」どうやら彼は寝ていたところを先ほどの女性に起こされたようだ。
「ウォッ! そこはダメ!」えーっと……。
「分かった、落ち着いて話し合おう。まずはそこから足をどけて……あれっ? ユーちゃん今日すっぴん……」
次の瞬間、絶叫が聞こえた。
断末魔という言葉はこのためにあるのだと思わせるほど中年男性の惨めな声が朝のオフィスを貫く。
絶叫がひとしきり終わると先ほどの女性が出てきて勢いよく扉を閉めた。彼女の顔には「怒」の一文字が浮き上がっていた。
一体、彼女はあの部屋の主に何をしたのだろう。想像したくなかった。
それから数分後、一人の男性が部屋から現れる。
おそらく寝ていたであろうその人はシワが全くないスーツを身につけていた。スーツは黒い生地に白の線が入ったストライプ柄で光沢感があり、腕には金の時計をはめ、ピカピカに磨かれた革靴を履いている。髪は黒のオールバックで、白髪がメッシュのように一本、入っていた。額にいくつものシワがあるものの、それらが年齢を感じさせることはなく、むしろ彼の良さを引き立たせているように見えた。
時刻は午前9時00分。
「見苦しいところを見せてしまったね。いや、聞かれたから聞き苦しい、か」
男はそう言ってはにかみながら頭をかいた。
「ようこそ、戦略事業本部へ。ここのトップをしている仲沢好一だ。いちおう、
(……この人が?)
友菜の頭にある取締役は鷲山銀華や北堂ベルなど、いわゆるお堅いエリート官僚というイメージだった。しかし、いま取締役と名乗ったこの男は身に付けているものこそ一等品ではあるが、声音や仕草は実家にいる父親みたいで……
(なんか、拍子抜け……)
仲沢は友菜と茉莉乃の顔を交互に見ながら続けた。
「ここはいわゆる新規顧客の開拓を統括する部署だ。営業部が取ってきた案件を引き継ぎ、顧客に商品の概要を説明、また要望を聞き取り開発部にフィードバックする。
たくさんの人や部署と連携を取らなければならない難しい仕事だ。だからこそやりがいがあると思う。
最初は仕事を覚えることで手一杯かもしれないが、徐々に仕事だけじゃなくスキルも身につけられるようになってほしい。この部署は十八名と規模は小さいが、全員俺が直接スカウトしたトップレベルの人材だ。自分の将来のためにも存分に学んでくれ」
温和な口調のはずなのに、単語の一つ一つに重みがある。そんな独特の柔らかさを内包した言葉は友菜と茉莉乃の心を包み込み、
「はい……」「はい!」
気づけば二人は返事をしていた。
「では、この部署のルールを説明しよう」
途端にオフィスの空気が張り詰めたのを友菜は感じた。
仲沢の語気も鋭くなる。
「一つ、人の悪口を言わないこと。言っているところを見かけたら即降格だ。
一つ、嘘をつかないこと。これは悪口よりも重罪だ。判明次第、即クビとする」
友菜と茉莉乃は目を見開いた。
「一つ、報連相を怠らないこと。迷ったら誰でもいい、必ず確認を取るように。
一つ、働きやすい時間で勤務すること。与えられた職務をこなしてもらえれば、いつ来てもいいし、いつ帰ってもいい。
そして最後に一つ」
そこで仲沢は目を細めて笑みを浮かべた。
「やりたくない仕事ははっきり言うこと。一人で抱え込む必要はない。先輩・上司関係なく頼ってくれ……以上だ」
彼の笑みに友菜と茉莉乃の肩の力が抜ける。
((優しそうな人でよかった〜))
二人同時にそんなことを思っていると、仲沢は笑みを浮かべたまま眉を顰めて辺りを見回した。
「ところで、君たち。この部屋、あまりにも汚すぎないか?」
オフィスにはエナジードリンクの城が積み上がり、ハンバーガーの包装紙やデリバリーピザの容器が散らばっている。
「だって部長は今日はいいぞって言ったじゃないですか」
「そうですよ。費用全部部長もちでいいからって」
「あんなにモンスター飲んだの学生ぶり……」
取締役は部下の溢れる愚痴を聞きながら一通り部屋を見まわすと苦笑いを浮かべた。
「じゃあ、まずは片付けからするか」
それから全員でオフィスの片付けを行い、
居酒屋へ向かった。
((え? 居酒屋?))
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