第24話「High On Life」
2021年4月19日 午前10時00分。
東京・三田 フューカインド本社 7階・廊下。
「ゆなっち〜!」
決議室から出てきた友菜を茉莉乃は思いっきり抱きしめた。
「茉莉乃……苦しい……」
彼女の背中をポンポンと叩く友菜の元に将史と富三郎も集まってくる。
「お疲れ様でした」
「すごかったよ、プレゼン。よく一晩で作り上げたね」
友菜は顔をくしゃりとさせる。
「まぁね」
本当はセヴァインの力を使って北堂のプレゼンを盗み見した、だなんて口が裂けても言えない。きっと言ったところで信じてもらえないだろうが。
「あれ? ゆなっち、鼻血出てるよ」
顔を上げた茉莉乃が言う。
友菜は鼻元を指で拭った。指先には赤い血が付着していた。
途端に意識が遠くなる。時間の流れが遅くなったかのように、脳天から魂が抜ける感覚がして——
「ゆなっち!」「羽坂さん!」「羽坂殿!」
体のバランスが崩れ、床に倒れ込みそうになったとき、
「あぶないぞ」
彼女の腕を誰かがひょいと持ち上げた。友菜の意識は再び覚醒に向かい、顔は声の主へ向いた。
そこには銀髪ロング長身の男性がいた。彼は友菜の腕を掴んだまま碧い瞳で彼女のことをじっと見つめている。
茉莉乃、将史、富三郎の背筋が伸びる。
男の正体は言わずもがな、鷲山銀華・取締役第十席だった。
「フューカインドの廊下で卒倒なんてしたりしたら、お前の言う会社のイメージはガタ落ちだ。それが過労によるものなら尚更な」
「す……すみません」
友菜は完全に目を覚まし、自分の足でしっかりと床を踏みしめた。
自立した友菜を銀華はぐるりと見回すと、そのまま何も言わずに廊下を歩いていった。彼の後を秘書の黒梅鉄治が追う。
「じゃあね、友菜ちゃん♡」
そう言ってアイラインを引いた秘書は三人に向かって手を振った。
去り行く二人を見送りながら友菜は思う。
これで茉莉乃を救うことができた。あの時は助けられなかった彼女を、こっちの世界では救うことができた。
(少しは罪滅ぼしできたかな。いや……それよりも今は、ねむい……)
友菜がこのあと休みを取ったことは言うまでもない。
***
2021年4月23日 午前9時00分。
千葉・浦安 フューチャー・スタジオ・ランド 正門
外は〈三次研修〉を思わせるような快晴だった。しかし、今日の天気予報で雨は降らないという。平地の気象予報が外れることは滅多にない。
入射角を徐々に高める太陽は開園前の園内を照らす。
ショップやレストランが軒を連ねるノース・エリア、近未来的な建物が多いウェスト・エリア、中世の城やダンジョンが聳えるサウス・エリア、大自然が広がるイースト・エリア、そして大規模なパレードが行われるセントラル・エリア。
このセントラル・エリアにフューチャー・スタジオ・ランドの正門がある。
そしてフューカインドの新入社員、二三七名が正門前に整列していた。
〈五次研修〉、当日。
〈五次研修〉はその一切が謎のベールに包まれている。いつ始まるのかもわからない、何が行われるのかもわからない。これまで数多くの試験データを収集してきた鼎富三郎でさえ、
『きっと、この試験では本当の実力が試されるであろう』と言っていた。
午前九時ちょうどに鷲山・エドゥアルト・源一郎会長が姿を現した。白くなった髭を蓄え、額に刻まれた皺の隙間からは碧眼が覗いている。
彼が新入社員の前に立つと全員が口を閉ざした。新入社員だけでなく、人事部の社員も、皆一様に彼の言葉を待った。
「本題に入る前に一言述べさせてもらう。
ここまで363名が脱落し、残るは237名。半数以上の同期を失ったことに動揺する者も多いだろう。
過酷なことではあるが、これが社会というものだ。
社会ではさまざまな力が要求される。知力はもちろん、アウトプットする力やコミュニケーションを取る力、そして相手を思いやる力。どれも社会人に必要な能力で、一つも疎かにしてはならない。
そして社会人には責任が伴う。
自分の発言、選択に責任を持ち、提示された結果を受け止めなければならない。一つの失敗が恐るべき損失を生む可能性もある。それを胸に我が社員たちは日々仕事に取り組んでいる」
渡邉茉莉乃の脳内に一週間前の出来事が蘇る。
彼女は誰にも見られないよう、静かに拳を握りしめた。
源一郎はゆっくりと目を閉じる。
「社会人とは、孤独な存在だ。
真に真っ当な社会人として生きる、ということは、高層ビルの間に立てかけられた鉄骨を命綱なしで渡ることに等しい。
誰も助けてはくれない。それどころか、突風が吹き、時には雨に打たれることもあるだろう。気づけば立ち止まり、うずくまり、一歩も動けなくなるかもしれん」
そして再び目を開いた。
「だが、忘れないでほしい。このフューカインドという
君たちの幸を心より祈っている」
ほとんどの新入社員の表情筋は緩んでいた。
それを見届けた源一郎は「では」と切り出す。
「これより、最終研修を始める」
新入社員の表情が一瞬で強張る。心拍数は増加し、体が硬直する。
だが————
「ようこそ、フューチャー・スタジオ・ランドへ!」
軽快なミュージックと共に正門が開いた。
「ここまで残った237名の諸君に告ぐ。
正式採用、おめでとう。
最終研修とは正式採用を祝い、
しばらくの間、誰も喋らなかった。
何かの罠ではないか、最終研修はもう始まっているのではないか。
それも会長の次の一言で霧散する。
「嘘ではない。儂の顔に免じて言おう。
君たちは、〝採用〟だ」
その言葉を聞いた新入社員たちは、やがて互いの顔を見合わせ——
「「「やったあぁぁぁぁぁ!」」」
次々とゲートを潜っていく。
そこには出身大学も出身サークルも関係ない、誰もが平等に過ごすことができる夢の世界が広がっていた。
羽坂友菜はこれまで苦楽を共にした渡邉茉莉乃、川手将史、鼎富三郎の四人でFSLを楽しんだ。平日でも二時間近く並ぶ人気アトラクションに待ち時間なしで乗り、一万円近いコースを無料で食べ、気づけばすっかり夕暮れになっていた。
何もかもが夢のような時間だった。
けど、その裏では多くのスタッフの努力がある。園内を移動している時や食事をしている時もスタッフが連絡を取り合ったり、走っている姿を見かけた。きっと、ここで研修していなければ見過ごしていただろう。
例えば通販で荷物を運んでもらうにしたって、そこに関わっているのはドライバーだけではない。荷物を仕分ける人がいて、商品を売っている人がいて、通販サイトを作っている人がいて。一つのサービスには思った以上に多くの人が関わっている。
——名前も顔も知らない誰かに思いを馳せる。
それは忙殺された日々を過ごしていたかつての友菜では気づくことのできない視点だった。
(あぁ、この世界に来てよかったな)
今は心の底からそう思える。
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