第16話「誰かが夜を描いたとして」
2021年4月18日 午後10時43分。
千葉・浦安 フューチャー・スタジオ・ランド・ホテル 616号室。
二日かけてプレゼンは出来上がった。
法的根拠を示すことは難しいが、判例や企業情報などから解雇の不当性を訴えることはできそうだ。法律面では将史が、データ面では富三郎が力を貸してくれた。
タイトルは「正しい雇用を取り戻すために」。
「あとは本番だけだね」
発表練習を見届けた将史は言った。
「二人とも、本当にありがとう!」
二日前に比べて茉莉乃はずいぶん元気を取り戻していた。
彼女はプレゼンのラストを飾る重要なスピーチを担当する。最後は自分自身の言葉で訴えた方が審査員にも響くと思い、茉莉乃自ら提案したのだ。
「では、拙僧らはそろそろお暇としよう」
富三郎と将史は部屋に散らばった菓子の包や空のペットボトルをビニール袋に入れると、自分たちの部屋へ戻って行った。友菜と茉莉乃も明日に備えてシャワーを浴び、寝巻きに着替え、ベッドに寝転ぶ。
電気を消し、目を瞑る。
(あとは北堂さんがどんなプレゼンをしてくるかだな。いざとなればその場でセヴァインを————)
ヴォン
何も指示していないのに〝ディスプレイ〟が表示される音がした。
目を開ける。
瞳には一枚の〝ディスプレイ〟が。
それを見て、
彼女の瞳孔は大きく開いた。
隣のベッドを見る。茉莉乃は日頃の疲れが溜まっていたのか、すでに心地よい寝息を立てていた。
友菜はそっと起き上がるとジャージを羽織り、ノートパソコンを抱え、音を立てずに部屋を出た。
向かった先は一階、ロビー。
ビジネスホテルとしての側面も持つこのホテルのロビーは常に明るい。暖色のライトが反射する石製の床。その上に置かれた赤や黄色、青白いソファは冬の星座みたいに配置されていて、サラリーマンやカップルがまばらに座っていた。
友菜は黄色のソファに座ると、目の前にある木製のローテーブルにノートパソコンを開き、電源を入れた。
(どういうつもり?)
パソコンが立ち上がる画面を見ながら友菜は思った。誰もいなければ大声で言い放っていたところだ。それほど彼女の心は昂っている。
彼女の前に〝オーディオスペクトラム〟が現れる。
(あたし、こんなもの頼んだ覚えないんだけど)
友菜は先ほど表示された〝ディスプレイ〟を睨みつけた。そこには〝人類知〟によって入手した
『ご入用かと思いまして』セヴァインは澄ました声で答える。
(そんなことない。これじゃまるで、カンニングじゃない)
『ですが、このままでは貴女さまの敗北は確実です』
「そんなの……」
口をつぐむ。
薄々気づいてはいた。自分たちのプレゼンでは決して勝てない、と。
所詮は先月まで学生だった素人が作ったプレゼンだ。言うなれば竹刀を振って喜ぶ剣道初段。
一方、相手は二十年以上ビジネスの最前線を生き抜いてきた。本物の刀剣で命のやり取りをしてきた剣豪だ。
勝負は火を見るより明らかだった。
セヴァインは〝オーディオスペクトラム〟を友菜の顔に近づける。
「いいですか、友菜さま。貴女さまは〝人類知〟を扱えるのです。ジャック・ザ・リッパーの真実も、核ミサイルの発射コードも貴女さまの掌の上です。それほど素晴らしい力を持っていながら使わないなんて、宝の持ち腐れではありませんか?」
彼の顔は見えない。けれどもその声音は溢れんばかりの歓喜を抑え込んでいるかのようだった。
友菜はそこに〝狂気〟を見出した。
(たとえ、倫理に反することだとしても?)
『倫理、道理を宣うのは敗者だけでございます』
友菜は奥歯を噛み締めた。何がサポートだ、何がアレクサだ。
操っているのはそっちじゃないか!?
目の前の〝オーディオスペクトラム〟を睨みつける。人類の全てにアクセスできる存在は我関せずとでも言いたげに
『それよりこちらの資料はいかがいたしましょう』と言った。
目を強くつむる。
これは悪いことだ。
法律で裁くことはできないが、人理道徳にもとる行為だ。
それでも————
やがて、彼女はため息をついた。
(わかった。今回だけだから!)
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