第15話「やっぱ、いいよ」

 北堂ベル。五十三歳。


 イギリス人と日本人の教師の間に生まれる。幼い頃から厳しい規律のもとで育ってきた彼女は小中高大を首席で卒業。フューカインドに入社後も順調にキャリアを重ね、四十五歳で取締役となる。


 彼女の注目すべき点は徹底した規律遵守。


 官僚顔負けの細かいルールは一切の例外を認めず、ゆえに作り出されるサービス・製品は一度も納期に遅れたことも不具合があったこともない。


 人々は彼女をこう呼ぶ。




   絶対的指揮官ザ・コマンダー




 そんな彼女の特筆すべきは円卓決議の戦績にもある。


 五十七勝一敗。


 規律遵守の性格に裏付けされた彼女のプレゼンは、潔癖とも言えるほど細かく調整され、一寸の隙間も見つからない。このプレゼン技法で彼女はこれまで数多くの社員を打ち倒してきた。


 そんな彼女が唯一敗北を喫したのが鷲山銀華・現取締役十席。


 取締役の席を失った彼女は、自ら志願してFSL株式会社へ出向し、現在に至る。




   ***




 2021年4月16日 午後9時35分。

 千葉・浦安 フューチャー・スタジオ・ランド・ホテル 616号室。


 FSLに併設されたホテルのツインルームは、その肩書きとは対照的に壁紙やカーペットは無地で、キャラクターの絵など描かれていない。それは二つあるシングルベッドにも言える。


 そんな簡素なベッドに友菜と茉莉乃は寝転んでいた。掛け布団をかけるわけでもなく、お互い私服のままで。茉莉乃は目を開けたまま天井を見つめ、友菜は手の甲を額に当てていた。


 二人の周囲には画面がつけっぱなしのノートパソコンとスマホ、ファイルに詰められた書類、コンビニで買ったスナック菓子やカフェイン飲料がエントロピーを増大させたかのように散らばっていた。


 円卓決議の準備は勤務時間外に行わなければならない。


 午後四時に勤務が終わると、二人はそのまま資料集めとスライド作りに動いた。決議は三日後。ぼーっとしてたらあっという間に当日になってしまう。


 だが、作業を始めて五時間。

 状況は絶望的だった。


 資料作りを始めた二人は大きな壁に突き当たる。


 当初、二人は法的な観点から北堂の解雇宣言を否定しようとした。雇用側が従業員を一方的に解雇しようとする場合、解雇がやむを得ないと考えられる正当な理由がないと認められない。


 例えば、今回の茉莉乃のようにフューカインドで働く能力が不足していると判断されたケースでも、会社が十分な指導を行った上で、それでも改善される見込みがない場合しか解雇することはできないのだ(※1)。


 しかし、それは友菜がいた世界の話である。

 1%違うだけで世界はガラリと変わる。14.1768%違えば……。


 こちらの世界の法律では一方的に解雇するための理由が必要ないらしい。

 すなわち「お前、なんか舐めてるからクビ!」ができてしまうのだ。


(考えてみれば、新入社員を過酷な山中に置き去りしても許される世界だもんな。法律も思ったよりガバガバなわけだ)


 大量の知識をインプットした脳を冷ましながら友菜は思った。


 残された七十二時間の貴重な五時間を使って、勝利の女神がこっちを向いていないことが証明された。


(さて、ここからどう振り向かせるか)


 寝返りを打ちかけたところで声がする。




「やっぱいいよ」




 目を開けると茉莉乃が起き上がってベッドの上であぐらをかいていた。


「私はここまでなんだよ。だって他の人だったらもっと上手く立ち回ってたはずだもん。私にはそれができなかった。だから……」


「そんなことないよ!」


 友菜は勢いよく起き上がった。


「誰だってミスは起こす。新人なら尚更だよ。だから一回のミスでクビにするなんて絶対に間違ってる。……間違ってんだから」


 友菜の頭には元の世界線にいた頃の茉莉乃の姿があった。


 友菜がいた世界線の彼女は、上司から激しいパワハラを受けうつ病と診断さた。新人には荷が重すぎる仕事を任されたり、二時間以上説教されることもあった。彼女は通常よりも1.5倍多い退職金をもらって退した。


 何かできたんじゃないか。


 彼女が去ってから友菜は考え続けていた。会社をひっくり返せるような力を持っていたわけではない。それでもご飯に誘って悩みを聞くことくらいはできたんじゃないだろうか。


 だけど、何もしなかった。その事実だけが彼女の人生にそれからずっとぶら下がり続けている。


 コンッ、コンッ、コンッ


 部屋のドアをノックする音。二人は顔を見合わせ、扉の方へ向かった。

 扉を開けると川手将史と鼎富三郎がいた。

 開口一番、優等生の将史はこう言った。


「まったく、どれだけクビになりたいんですか」


 彼は困ったような笑みを浮かべ、隣に立つ富三郎は来てやったぞと言わんばかりに腕を組んでいる。


「二人とも……」友菜の表情筋が綻ぶ。


「そんなにクビになりたいんだったら手伝ってあげますよ」

「ウム、〈三次研修〉の礼というやつだ」


 友菜は茉莉乃のことを見た。

 彼女は今にも泣き出してしまいそうだった。


 けれども、その顔には笑みが浮かんでいた。






——————

※1:https://kigyobengo.com/media/useful/3082.html#i-4


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