第11話「ONE〜かかげた手」
2021年4月9日 午後4時43分。
長野県尾長岳 フューカインド所有山荘「木陰」 標高2000m。
フューカインド会長の鷲山・エドゥアルト・源一郎は山荘の二階にある特別宿泊室で腕組みしながら窓を眺めていた。窓の外には高原が広がっており、奥には雑木林から顔を出す山道が見える。
あの山道は「木陰」に通じる唯一の道だ。三次試験の通過者たちはどのルートを辿ろうとも必ずあの山道から姿を現す。
山道は三十分前まで降り続いていた豪雨により幾つもの水たまりができていた。それらが太陽光の光を反射し、まるでミルキーウェイのような輝きを放っていた。
「報告を」
源一郎は自身の右後ろにいる人事部長に言った。
人事部長の
「受験者524名のうち、豪雨が発生するまでに到着できたのは254名。チーム内の諍いや豪雨前の遭難により失格になった者は136名。
要救助対象者は134名。うち、130名は安全を確保することができましたが、残り四名を追跡していたドローンが落雷により通信途絶。雨が上がった後、すぐに途絶した地点に行きましたが土石流が起こった形跡が見られました。四人の安否は未だ確認できておらず……絶望的です」
源一郎は腕組みをしたまま、窓から見える山道を見つめていた。
元より、入社後の研修は世間から激しい批判を受けてきた。それを抑えてきたのはフューカインドが世界に誇るグローバル企業であり、政財界に顔が効くからだ。
けれども死人が出てしまっては後ろ盾も皆無になる。今後の身の振り方を考えることは必至だった。
(そうだな。引退したら小説でも書くか……。そうだ、名無之権兵衛なんてペンネームはどうだろう。ありそうでなかった名前として注目されるかもしれん)
なんて笑えない冗談を思い浮かべていると、山道の奥で蠢く影を見つける。
源一郎は腕を組んだままその影を注視した。
そして、にやけた。
「逸見……今年の芽は存外、強いかもしれんぞ」
***
もし、この世に奇跡が存在するとしたら————。
落ちゆく茉莉乃の手を、
——1秒のズレも許されない
雨粒で濡れたその手を、
——1ミリのズレも許されない
川手将史はしっかりと握りしめた。
一瞬でも気を抜けば滑って解けてしまいそうだった。
けれども二人は共有結合のように互いの手を掴んで放さなかった。
***
(……すごかったなぁ)
人事の担当者にタオルを巻かれながら、今にも崩れ落ちそうな体を支えられながら茉莉乃は思った。
富三郎は性格に難はあれど、いち早く異変に気づいた。
将史は持ち前のリーダーシップを発揮し、チームを導いた。途中で判断を誤ったものの最後まで自身の役割を全うした。
そして友菜は具体的で専門的なエビデンスを提示してチームメイトを説得した。普段からあらゆる方向にアンテナを向けていないと収集できない知識量だ。
一方の茉莉乃は……。
『この会社でビックになりたいです』
面接試験で将来の夢を聞かれた時の答え。
とてもバカらしいが(実際、面接官も苦笑いだったが)茉莉乃は本気だった。
日本一の企業でビックな存在になりたい。
そこに理由などない。彼女の奥底からフツフツと湧き上がるエネルギーのようなものだ。
けれども————
(結果を残せていないのは私だけだ)
深い穴に落ちていく感覚がする。真っ暗で、底が見えない大きな穴に。
そこでハッとする。
(ダメダメ!)まどろむ意識を叩き起こす。
(私も、もっと頑張ろッ!)
だが、現実は名前のない夢を容赦無く叩き割る。
2021年4月16日 午後2時32分。
某所。
「クビよ」
〈四次研修〉で、渡邉茉莉乃は
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