第2話「取締役、降臨!? マジで!?」

 2021年4月1日 午後2時00分。

 東京・日本橋 日本橋ホール 廊下。


 ゴミ一つ落ちていない赤い絨毯が敷かれた廊下を二人の男性が歩いていた。


「しっかし、最初の仕事が新人研修とは、とんだ貧乏くじだな」

「いいじゃない、毎年の恒例なんだから。それとも尻尾巻いて逃げる?」

「そんなことするか!」


 やがて二人は一つの会議室にたどり着いた。




   ***




 同刻。

 東京・日本橋 日本橋ホール 会議室907。


 〈一次研修〉を通過した新入社員は、それぞれ小会議室に割り振られた。


 会議室は都市の喧騒から置き去りにされたようで、クリーム色の壁に窓はなく、白色の蛍光灯だけが燦々と室内を照らしていた。


 無機質な雰囲気の中で、新入社員たちはリラックスした様子だった。スマホをいじったり談笑したりして来たるべき時に備えている。


 ——〈二次研修〉。


 〈二次研修〉はプレゼンが行われる。提示された課題に対して一週間の準備期間が設けられ、試験官の前で発表する。今日の残りの時間は審査する試験官との顔合わせ、および課題の説明を受けることになっていた。


 合格率は70%。〈一次研修〉に比べて難易度は上がる。


 友菜が〝ディスプレイ〟で試験内容を確認していると、隣で声が響いた。


「いやぁ、絶対に落ちたと思ったわ〜」


 彼女のすぐ近くには大きなグループがあった。


 髪を染めたり、ピアスを身につけたり、ネクタイを緩めたり、と社会人としてはあるまじき身だしなみの男女が十名近く集まっている。


「第一問でまさか条件付き確率が出るなんてな。みんな公式覚えてた?」


 その中で一際大きな声で話す彼がこのグループのムードメーカーなのだろう。金髪でリング型のピアスをつけている。


 友菜は内心ため息をついた。


(私が新卒で入った時もいたな〜。学生気分が抜けない人たち。そういう人たちも配属されれば徹底的に調教されて半年も経たずに敬語のエキスパートにさせられるんだよね)


 しかし、彼らはまだ学生気分である。


「ねえ、君はどう? あれ難しくない?」


 異性である友菜の肩を平気で触ることもできる。

 友菜は苦笑いを浮かべた。


「い、いや、別に……」

「条件付き確率の公式ってすごい複雑だったじゃん。あれ覚えてたの?」

「ま、まあ……」


 相槌を打ちながら彼の手を振り解こうとしたそのとき、

 会議室の扉が開き、二人の男性が入ってきた。


 彼らを見て、新入社員はざわめいた。


 一人は黒髪のツーブロックで、赤い口紅やアイラインが際立っている。


 そしてもう一人は銀髪のロング。肩まで伸びた長髪はメイクを必要としないほど彼に存在感を与えていた。加えて両目に宿った碧眼は、この人物が特別な存在であることを物語っていた。


 銀髪の男は一番前に置かれた肘掛け椅子に座ると、会議室をぐるりと見渡した。


 すでに新入社員はもれなく自席に戻っている。友菜に絡んできた金髪ピアスも右に同じだ。


「試験官をする鷲山銀華だ。どうぞよろしく」


 一言挨拶しただけで場の緊張感は一段と増す。


(知らない名前だ。セヴァイン、彼の情報を出して)


 友菜の前に〝ディスプレイ〟が表示される。


『鷲山銀華、二十五歳。十二歳で渡米し、二十二歳で経済学の博士号を取得。フューカインドに入社後、三年目で取締役第十席に就任しております』


(すごっ、超エリートじゃん)


 友菜の感心をよそに彼の秘書である黒梅鉄治(驚いたことに、この秘書は男なのだ!)が手元の書面を読み上げる。


「それでは、皆さんにはこれからプレゼンテーションの課題をお伝えします。プレゼンの準備期間は一週間。それまでにプレゼンを整え、翌週の————」

「いや、やっぱやめよう」


 鉄治の言葉を銀華が遮る。


「一週間も試験に時間をかけては効率が悪い」


 彼の言葉には無意識のトゲが感じられた。

 会場に緊張が走る。


 稀代の逸材、発想が万人の斜め上をいく。


「じゃあ、どうするの?」


 鉄治の問いに銀華は顎に手を当てて考えると、言った。




「ではこうしよう。君たちは今から私と一人ずつ討論をしてもらう。テーマはなんでもいい。君たちが選んだテーマに沿って私とディベートを行い、


   私を言い負かすことができたら合格だ」




 会場が大きくざわめく。


 大企業の上層部と討論をして勝てという。


 レベル一の勇者がレベル一〇〇の魔王に挑むようなものだ。俺だけがレベルアップ、でも勝てないものはある。


「では、準備ができた者から前に出てくれ」


 当然、出てくる者などいない。

 横で鉄治が耳打ちをする。


「イジワルさんね」


 銀華は彼(忘れてはいけないが鉄治は「彼」だ)のことを見ると


「これで仕事が早く終わるだろう」と得意げに笑みを浮かべた。


 そのとき、一人が手を挙げる。


「では、よろしいですか?」あの金髪ピアスだ。

「ああ、構わないとも」


 銀華は笑みを浮かべると、顎で前に来るよう指示した。


「大丈夫なの?」


 取り巻きの女子が声をかける。


「ダイジョーブ。俺はこう見えて慶應出身だぜ。それに——」


 彼は周囲の人たちだけに聞こえるよう声のトーンを落とした。


「多分、あの人は二言三言会話したら合格をくれるはずだよ。安心して、俺がその第一号になってあげる」


 そう言ってウィンクすると、金髪ピアスは悠々と銀華の前に立った。


「よろしくお願いします」

「ああ、よろしく。では、何について話し合おうか」


「私は大学で公立美術館のモラル・ハザードについて研究していました」

「なるほど。美術館の運営を効率化させることは文化振興関連予算が削減されつつある現在のこの国では注目すべき箇所だ。効率的な運営を行うためにはどのような手段を取るべきだと思う?」


「えっと米国では民間からの寄付が活発でGDPの1.7%に達します。この国も同様に民間からの寄付を募れば良いと思います」

「しかし寄付は進んでいない。その理由についてどう考える?」


「ん〜と、この国には、元々寄付制度があまり浸透していません。ですので、税制改革を行うことで寄付がしやすい土壌を……」


「それで効率的な運営が行われると思うか」

「……はい。現在の日本の美術館が抱える財政問題は深刻です。主な収入を国からの補助金に頼っており、それが削減されている……」


「ならば国からの補助金を増やせばいいのではないか?」

「しかし、現実として減らされているわけで……」


「そもそも米国で寄付文化が浸透しているのはどうしてだ?」

「えっ、それは……」


「寄付者が美術館のサービスの質が落ちないよう監視するためじゃないのか?」

「いや、しかし……」


「寄付者が運営を監視することで、美術館側はより良いサービスを提供する。けれどもこの国では『監視』という概念が根付いていない。だからモラル・ハザードが起きている、という説があるのではないのか?(※1)」


「……」


 金髪ピアスの顔はみるみる青ざめ、額からは大粒の汗がいくつも溢れ出した。

 銀華は椅子の背もたれに寄りかかると、新入社員を一瞥した。


「二言三言で合格にする、か」


 金髪ピアスが硬直する。なんと銀華は先刻の彼の声が聞こえていたのだ。それもそのはずだ。誰も喋っていない会議室で喋れば、小声だろうと目立つ。


「私は君たちに温情を与えるつもりはない。ここはフューカインド、世界を舞台に活躍するコンサルティング企業だ。生半可な覚悟で働いている社員は一人としていない。ゆえに、私は君たちを公正に審査し、フューカインドで働いても良いと判断した者のみ合格とする。




   さあ、次は誰だ?」





——————

※1:https://aichiu.repo.nii.ac.jp/records/3081

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