第32話 規格外
「人間ごときがァァァ! よくもここまで私を追い詰めてくれたなァァァ! 絶対に許さんぞォォォ!」
激怒するゼードが拳を振るう。人間の姿だった頃の嫌味な冷静さはもうない。妖魔という名に相応しい、猛り狂った怪物がそこにいた。
人間では到底得られない腕力で繰り出される一撃は、単なる腕の振り回しであっても命中すれば致命傷となりかねない。
頭上から振り下ろされる自身に肉体よりも太い腕を回避した里穂は、直後に地面に空いた穴を見て小さな呻きを漏らす。
「ゴーストクライシスに所属して以降、色々な妖魔と戦ってきたけどォ、ここまで規格外なのは初めてかもォ」
里穂は素のヤンキーじみた口調から、新のよく知っている普段のギャルな感じへ戻している。故郷を離れて生きたいと願った理想が現在の姿なのであれば、新にどうこう言う理由はなかった。それにレディースの総長として接されるよりはマシなのでよしとする。
「手応えがありすぎるな。手負いの獣は厄介だと聞いたことがあるが、今の奴の状態がまさしくそれだな。攻撃にリズムも知性もない。怒りのままに暴れ狂っているだけだ」
地面を割るような振り下ろしは、舗装された部分すら破壊し、アスファルトの飛礫を周囲に放つ。それを右腕で防ぎながら、千尋は攻め込む隙を探る。
本来なら闇雲に暴れてくれればしめたものと敵を仕留めにかかるのだが、実力が段違いの敵だと事情も変わる。暴風の中に飛び込むようなもので、近付けば逆に千尋がズタボロにされかねない。
手榴弾を投げても跳ね返されれば、こちら側に被害が出るかもしれない。里穂も千尋も有効な手を打てず、ゼードの攻撃を回避し続けるだけだった。
途中から戦闘に参加した中年メイドも攻めあぐねている。オートマタだけあって肉体のあらゆる部位に武器を仕込んでいたのだが、これまでの戦いですでに弾も尽きつつあった。
他の二人同様に回避へ専念しつつ、腕から出現させた刃で首を狩ろうとしているみたいだが、上手くいきそうな気配はなかった。
そこへマスターの強い言葉が飛ぶ。
「今から攻撃を仕掛けます、お三方とも離れてください!」
敵との戦闘に全力を投じていたあまり、マスターが組み上げたガトリングガンの存在に気づいてなかったのだろう。千尋と里穂が驚きの表情を見せる。
「ガトリングガン!? マスターってば、なんてものまで持ってるしィ!」
「いや。あれはマスターのではなく、後ろにいる老人――水島源三郎氏のものだろう」
「ああ。ユッキーの祖父で人形技師の重鎮ね」
「知っているのか?」千尋は里穂を見る。
「もっちィ。ゴーストクライシスでも、監視対象の重要人物になってるしィ。誘ってるけど仲間になってくれないって、前にお偉いさんが愚痴ってたかんね。ユッキーの存在があるとはいえ、そんな老人を助っ人に呼べるなんて、新も意外とやるじゃん。ご褒美に童貞食ってあげようかな」
「黙れ処女が」
「それはチッピーもだしィ」
軽口を叩きながら、千尋と里穂は港にあるコンテナの上に避難する。
甚大な怒りで周囲が見えなくなっているゼードは、ただひたすらに自身の周囲にあるものを破壊するばかり。近づけはしないが、隙だらけなのは間違いなかった。
「これで終わらせます。親父の仇、それに新さんのご両親の仇。不肖、この私――如月遼二がとらせていただきます! くたばりなさい、妖魔!」
狙いを定めたマスターがガトリングガンを乱射する。放たれた銀の弾丸が、正面から叩きつける雨あられのごとくゼードの硬い肉体を貫く。
「うわ、ちょっと凄すぎだよ」
祐希子がそう呟いたのも、もっともである。銀の弾丸はゼードを撃ち抜くだけでなく、背後にあった錦鯉探偵事務所にまで命中しているのだ。
ゼードが出てきた際に半壊になっていた建物が、見るも無残に家具もろとも粉々になっていく。少しでも悲しみを癒すには、解体の手間が省けたと無理やりにでも喜ぶしかなかった。
「アタシのお気に入りの下着とかもあったのに……」
孫娘の嘆きを聞いた源三郎は、任せておけとばかりに自身の胸を叩く。
「お祖父ちゃんが祐希子に似合いのセクシーランジェリーを買ってやろう。それをつけて迫れば、錦鯉君もメロメロじゃぞ」
文句を言おうとしていた祐希子の口が閉じられ、真っ赤な頬を両手で挟んで全身をくねらせだす。
「この祖父にして、この孫ありか。少しは緊張感を保てよ」
「新に言われたくないよ! 宝石を切らしてなければ、もっと楽に戦えてただろ!」
「連戦連戦で忙しくて、どこにそんな暇が――」
「――グオオォォォ!」
咆哮が周囲に木霊した。右腕一本しかなくなり、体中に穴を開けた妖魔とは思えない迫力と威圧感があった。
「ちょ、ちょっと! まだ全然元気だよ! マスター! 早くとどめささないと!」
慌てる祐希子に、マスターがゆっくりと首を左右に振る。「全弾撃ち尽くしました」
「お祖父ちゃん! 追加の弾は!?」
「ない。あれだけの銀の弾丸を用意するだけで、下手すれば家が建つ。それをまともに食らって無事な妖魔がいるとは思わんかった。万事休すじゃ」
冗談じゃないのは、源三郎の顔を見ればわかる。いつになく苦悩が滲み出ている。
「以前よりも耐久力がずっと上がっていますね。新さんのご両親とやりあっていた時は、あそこまでではなかったはずです」
マスターの言葉で、新だけでなく祐希子もハッとしたようだった。
「そうか! 堕石を飲み込んだから、強くなっちゃったんだ!」
「堕石を飲み込んだ!? そうやって妖魔は力を取り込むのか。一つ勉強にはなったが、そうも言ってられん状況じゃのぉ」
完全に我を忘れたゼードは言葉を発する余裕も失い、目についたものを破壊するだけの存在と化している。港が次々と破壊され、さながら特撮の大怪獣が舞い降りたみたいだった。
「ガアァァァ!」
瞳の輝きをさらに増し、右手を突き出して全身を扇風機のように回転させる。それだけでゼードの周囲にある物体はすべて破壊された。
回転を止めた直後に、今度は驚きの光景を見せられる。あれだけ苦労して左腕を破壊し体に穴を開けたのに、それらのダメージが早くも回復しつつあるのだ。
「理性を捨てた結果、回復力もアップしたってか。笑えねえんだよ! くそっ! 誰か何でもいいから宝石を持ってねえのか!」
全員へ聞こえるように叫ぶも、頭を縦に動かす者は皆無だった。つくづく自分の無能さに腹が立ち、新は舌打ちをする。
「こうなれば逃げるしかないのですが、その間にこの地域は壊滅するでしょうね。一体どれほどの被害が出るのか……」
マスターの呟きに、誰も何も返せない。ゼードが以前に言った台詞、人間は下位妖魔だけを相手にしてきたという内容が重くのしかかる。
「やるしかないのか」
「そうじゃな。この場はワシらが食い止める。錦鯉君は祐希子を連れて、町へ行くのじゃ。開いている店があるかもしれん。宝石を調達し、戻ってきてくれい!」
源三郎にズシリと重いがま口の財布を渡される。中には大量の札束が入っていた。軽く見積もっても百万は超える量が強引に押し込まれていた。
「頼むぞ。事務所に設置していた隠しカメラで祐希子の窮地を知り、わざわざ飛んできたのじゃ。恰好をつけさせてもらわんとのう」
「実際には祐希子お嬢様と久しぶりに会えたのが嬉しすぎていてもたってもいられず、後を追いかけるようにしてこの地へ入り、近くのホテルでストーカーばりに様子を見ていたわけですが」
中年メイドの思わぬ暴露に、とぼけるように源三郎は明後日の方を向いて口笛を吹く。
新はまじまじと中年メイドを観察してみるが、どこからどう見ても普通の人間としか思えなかった。腕から出ている刃などを除けばだが。
「そんなに凝視されると照れてしまいます。フフッ」
意味ありげな笑みに、反射的にゾッとする。オートマタを製作したのは凄いが、どうしてこのような仕様にしたのかは謎である。
中年メイドの製作云々に関して説明を求めるよりも先に、新は弾となる宝石を用意しなければならない。さもなくばこの場にいる全員が帰らぬ人となる。
「新さんが戻ってくるまでは、なんとか耐えてみせますよ。頼りになる女性も三人ほどいらっしゃいますしね」
「照れてしまいます。私は水島家のメイド。お家のために働きます」
足から出したジェットで、自身の肉体が傷つくのも構わずにゼードへ突撃する。中年メイドは少なくないダメージを受けるが、おかげでほんの一瞬でも敵の暴風が止まった。
タイミングを狙っていた里穂が持っていた苦無や手裏剣を次々と投げ込み、その合間を縫うようにして近接戦闘が主の千尋が距離を詰める。危険を承知で敵の懐へ飛び込み、回復しつつある左肩へ掌底を放つ。両腕の自由を取り戻される前に。もう一度潰しておこうという狙いが見える。
新からしてみれば千尋の腕力も十分に化物じみているのだが、彼女の掌底は命中したのに弾かれた。肉体に屈強さが増したのではなく、動かないはずの左肩の方で、掌底に合わせてゼードは千尋に体当たりをしたのである。
吹き飛ばされた千尋が地面へ激突して転がる。苦しげに吐瀉物を口からこぼす。千尋が弱いのではなく、相手が強すぎるのだ。むしろよく死ななかったと褒め称えられるレベルだった。
「姉貴!」
「冷静になるのじゃ! 彼女はワシらに任せて錦鯉君は――」
源三郎は最後まで台詞を言い終えることができなかった。その前に口を開いたゼードが、巨大な火球を吐き出したのだ。
衝突した地面が爆心地となり、荒れ狂う衝撃波によって新たちの肉体は抵抗のしようもなく宙を舞う。直撃はしていないのに、全身がバラバラになりそうだった。
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