第33話 深夜の太陽
昨日の全身打撲の痛みが思い出されるようにズキズキとあちこち痛む。呼吸をするのもしんどいほど苦しい。なのに新の見上げる空は嫌味なくらいに青かった。
「く、そ……皆、は……無事か……」
仰向けからうつ伏せになり、震える両手を使ってなんとか上半身を起こす。すぐに立ちたかったが、両足に力が入らない。首を動かして確認するも外傷は見つけられなかった。時間が経てば回復してくれそうだが、それまでゼードをやり過ごせるかが問題だった。
正面に視線を戻した新の視界に映るのは、自分と同じように地面に転がっている里穂と千尋だった。側には中年のメイド女性もいる。立っている者は誰もいない。左腕の回復を喜ぶように両手を突き上げ、咆哮を繰り返すゼード以外には。
「くそっ……たれ、め……」
なんとか新は立ち上がる。それまで気づけなかったが、すぐ横には仰向けで手足を投げ出し、気を失っているマスターがいた。恐らくあの短い時間の中で、自らの身を盾にして新を守ってくれたのだろう。そうでなければ千尋も里穂もいまだダウンしたままなのに、新だけが立ち上がれている理由が思いつかなかった。
右手にはジュエルガンが残っているが、弾はない。立て続けに戦闘があり、日中に時間的な余裕がなかったとはいえ、今回は完全に新のミスだった。借金をしてでも宝石の補充をしておくべきだったのだ。
「もっとも……並大抵の宝石が効くとは思えねえけどな」
玲子がお守りの中に残してくれた高価そうなダイヤモンドの銃撃でさえ、ゼードは耐えた。消滅させるにはそれ以上の価値――退魔能力を持つ宝石を用意するしかない。逆に考えればそうした宝石さえあれば、新は奴を倒せる。
だからこそわずかな可能性にかけて、源三郎も祐希子共々逃がそうとしてくれた。その源三郎は新の後方で倒れている。胸のあたりがかすかに動いているので、死んではいなさそうだ。
「しまっ――」
周囲の人間の安否に気を取られている間に、新はゼードにロックオンされていた。傷はだいぶ回復していても精神は違うのか、言葉は発さない。飢えた獣のごとき残虐さを顔全体に浮かべ、獲物と断定した新を一飲みにしてやろうかといった感じだ。
翼を広げ空を飛ぶゼードが口を開く。明らかにマズい。先ほどみたいに火球を吐き出されたら避けようがない。回避できたとしても、爆発に伴う衝撃で今度こそ致命的なダメージを負う。新だけでなく、倒れている全員がである。
「諦めてやるもんかよ……死んだって、テメエみたいなクソ野郎に負けを認めねえ……!」
落ちているマスターのライフルを拾い、残っている弾を全部撃ち込む。ダメージを与えられるかどうかは関係ない。ゼードに戦う意思を見せてやりたかっただけだ。最後の足掻きとも言う。それでも何もしないで死ぬよりはマシだった。
不意に誰かの手が背中に当たる。弾の尽きたライフルを放り投げるついでに、そちらを見ると祐希子が立っていた。新の側にいたおかげで、彼女もマスターから守られる形になったのだろう。
「それでこそ新だよ。アタシだって……諦めない。所長が頑張ってるしね。助手としては当然だよ……!」
歯を食いしばり、ゼードを睨みつける祐希子の全身に金色の輝きが宿る。どんどん大きさを増し、やがてドームのように一帯を包む。
「お、おい」
「わ、わかんないよ、アタシだって。勝手にこうなってるんだから!」
首を左右に振る祐希子目掛けて、ゼードが口の中で巨大化させた火球を吐き出す。一直線に降りてきた火球は金色の膜にぶつかって弾け飛ぶ。
新の目の前が炎に包まれるも、それらはすべて祐希子が作った黄金に輝くシルクのごとき膜の外での出来事だった。
ドーム状に新だけでなく、倒れている面々も包んだ膜は防御壁とも呼べる頑丈さを誇る。火が消えるまで揺らぎもせず、しのぎきったのである。
「凄えな。これってまさか……」
「うん。お祖父ちゃんの言ってた天石の力だと思う。アタシの中にあるらしいし……」
何かを考えるように祐希子が言葉を切る。
気になった新が大丈夫か尋ねようとすると、突然に唇が重ねられた。
柔らかい感触と、ふわりと髪の毛から漂ってくる祐希子の香り。目をパチクリしている間に離れた祐希子は悪戯っぽく笑った。事務所でもよく見せる顔だ。
「ありがとう、新」
お礼を言って、彼女は新の両手を握った。
「こんなわけのわからない女の子を居候させてくれて。なんとなくだけどね、一目見た瞬間にわかったんだ。この人、運命の人かもって。だからさ、アタシのすべてをあげるね」
「は? お前、何を言って……」
新の手を上から握っていた祐希子が、新の指を操作するようにジュエルガンのカートリッジを開かせた。そして、ゆっくりと自分の心臓の部分を当てる。
「アタシの中には天石がある。なら、それを弾丸にすればきっと勝てるよ」
祐希子の意図に気づいた新は慌てて手を引こうとする。
「バカ野郎!」
叱責された彼女は寂しそうに笑い、程なくしてドーム状に展開していた光が、ごっそりとジュエルガンに吸い込まれるような形で収束する。
指輪であれば石を外さなければチャージはできない。新はずっとそう思っていた。父親の残した日記にも、宝石を弾丸にするとしか書かれていなかったためだ。だが、もし指輪の石をカートリッジに密着させるだけでチャージが完了するとしたら――。
恐ろしい予想が頭の中に広がり、狼狽を隠さずに新は銃から祐希子を引き離す。けれどその時にはもう、彼女の顔から生気というものがほとんど抜け落ちていた。
「このボケタワシが! ふざけんな! 銃もだよ! 所有者の俺が望んでないチャージをするんじゃねえよ!」
ひとしきり叫んだあとで、心の中の僅かに冷静な部分が本当にそうか? と新に囁いた。
天石の話は新も聞いていた。祐希子はまるで今生の別れをするような仕草を見せた。なのに新は何もしなかった。彼女の行動をただ眺めていた。
考えればわかったはずだ、新は探偵なのだから。思考停止していたのは、あえてではないのか。両親の仇をとりたいがために、助手として懐いてくれた少女を犠牲にしたのではないか。
「違う! 違う違う違う! 俺は……俺は……!」
泣きながら右手で銃を構える。左手には自力で立つ力さえも失った祐希子の体がある。体重がズシリと片腕にかかるが、千切れても離すつもりはなかった。
銃へのチャージは終わっている。頭上を見上げれば、笑っているようにも見える不愉快なゼードの顔がある。新の両親を殺した憎い仇の顔が。
自分自身を非難し、祐希子へ謝罪する前にやるべき事がある。銃を通して伝わる天石の力が、魔を滅ぼすために引き金を引けと催促しているみたいだった。
「誰かに言われなくても引き金を引くさ。すべてを終わらせるためにもなァ!」
新たちを滅ぼすべく、ゼードの口から新たな火球が放出される。だが命中する前に、新もまたジュエルガンを撃っていた。
音はない。ただ静かに発射された一筋の金色の流れ星が、火球とぶつかるなりすべてを飲み込んだ。
火球を取り込んだ天石はその名の持つ通り、太陽へと変化して真っ直ぐにゼードへと向かう。まるで朝日が夜の闇を晴らすために天へと昇るように。
ゼードの巨体に比べれば小さな太陽のごとき球体を、弾き飛ばそうとするかのように右腕を振るう。生じた風がゼードの意思に従って一欠片の太陽をどこかへ追いやろうとする。
しかしビクともしない。なすすべなく闇が退散するしかない太陽に、妖魔が勝てる道理はなかった。
ゼードの顔が恐怖に歪む。数々の人間をもてあそんできた妖魔の真なる肉体が、一欠片の太陽に灼かれていく。翼をもがれ、四肢を奪われ、声すら出せなくなって消滅する。
強大だったゼードすら取り込んで本物の太陽と見間違うかのように輝きを増した宝石弾は、やがて青空高くまで舞い上がる。朝日と重なり、歓喜に打ち震えるように弾ける。それは青空を背景に滑る流星群みたいだった。
「……終わったぞ、祐希子」
新は泣いていた。ジュエルガンをズボンのポケットに入れ、両手で抱き締めた祐希子の額にポタポタと雫が落ちる。
「さすが、新……だね……」
声が聞こえた。かすかに上げられた手を新は掴む。だが彼女の顔はこちらを向かない。
「新……側にいてくれてるんだよね……」
「……何言ってやがる。ここにいて、お前を抱きしめてるだろうが……!」
「そう、なんだ……もう、何にも見えないや……」
笑おうとしているみたいだが、彼女から命を持ち去ろうとしている死神は顔を動かす力すら奪っていた。
新に文句を言う資格はない。むしろ責められなければならない。彼女が死神と取引したのは自分のせいなのだ。
「でも、ね……ちゃんと、新が勝つ……ところは、見てたよ……真っ暗なんだけどね……はっきり見えた、んだ……深夜に、太陽……が、輝くみたいに……強い天の、光、が……ね、ねえ、新……ア、アタシさ……」
何も喋るなと言ってやりたい気持ちを抑え、新は黙って彼女の次の言葉を待つ。
「本当に、幸せ、だった、よ……それ、だけ、は……つ、た……え……」
そこで彼女の――祐希子の手から力が抜けた。やはり新は何も言えなかった。唇を噛み、口の中で唸るように嗚咽を漏らす。
祐希子の柔らかな肢体を抱き、蹲るように地面で四つん這いになる。両親の死を知らされた時も、こんなには泣かなかった。
「すまない、祐希子。俺のせいだ……! 天石に頼らなくても、奴を倒せる力がありながら……準備を怠った俺の……ちくしょう……ちくしょう。うわあァァァ!」
叫ぶように泣く。涙が彼女を蘇らせてくれる奇跡に期待したが、現実はそこまで都合よくできていなかった。
どれくらい号泣し続けていたのか。新が泣きやむのを待っていたかのように声がかけられる。
「……君のせいではない。ダイヤモンドでも奴の一部を破壊できただけと聞いた。数百万を超えるダイヤモンドならあるいはとも思うが、それを君が用意するのは難しかったじゃろ。決して慰めてるわけではないぞ。ワシは事実を述べたまでじゃ。さあ、ワシにも孫娘とお別れをさせてくれんか」
源三郎に言われ、ようやく新は自分が祐希子の亡骸を独り占めにしていたのに気づく。
遺体から離れると、代わりに源三郎が祐希子の側で膝をついた。
「よく……頑張ったの。お前の頑張りで皆が救われた。何の慰めにもならぬじゃろうが言わせてくれ。水島家の名に恥じぬ活躍じゃったぞ。だが、お前は褒められたところでこう言うのじゃろうな。惚れた男の命を助けただけだよ、とのう」
「助かったよ、祐希子。君は誰より勇敢だった。私は決して祐希子のことを忘れない」
「里穂もだよ……まいったね。望んだ姿でこれからは生きようと決めてたのに、上手く言葉が作れないよ。他の奴にまで私の――里穂の正体がバレたら、どうしてくれんだっつーの!」
千尋に里穂、それにマスターも思い思いの言葉を彼女にかける。その後、源三郎の命令で中年メイドが彼女の遺体を両手で抱えた。
「祐希子は両親の墓に弔ってやりたいと思う。準備ができたら連絡をするので、その時は錦鯉君も花を捧げに来てくれ」
黙って新は了承する。本当はすぐにでもついていきたかったが、源三郎には新よりもずっと祐希子との思い出がある。血の繋がりもある。祖父と孫娘の最後の二人だけの時間を邪魔したくはなかった。
車に乗り込む源三郎と祐希子を黙って見送る。最後にお別れの挨拶を告げた中年メイドが運転席に座り、車は遠ざかっていった。
車が走り去ったあとも、そちらをずっと見ていると、誰かが新の隣に立った。見なくともわかる。千尋だ。
「姉貴。俺さ、もっと強くなるよ」
「ああ」
晴れた朝の海は、いつもよりずっと青くて穏やかだった。
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