第15話 堕石と天石
試しに市内の大型スーパーの貴金属店でも聞き込みを行ってみたが、怪訝そうな顔で知らないと言われて終わりだった。
やはりマスターか情報屋に期待するしかない。夕方近くになって事務所へ戻ると、入口付近に背中を極端に丸めた男が立っていた。ただでさえ身長が低いので、テレビゲームに出てくる魔物のゴブリンを連想させる。
全身を見るのは初めてでも、生理的嫌悪を植え付けられた顔は忘れたりしない。小さな悲鳴を上げた祐希子が、素早く新の背中に隠れた。
その新は見たことがあるので知っていた。事務所前にいる男は情報屋のワン・ワンワンだった。
「お前が俺の事務所に近づくのは初めてだな。何やってんだ、ワン公。確か下着は干してなかったはずだぞ」
お年頃の祐希子は決して下着を事務所内に干したりしない。徒歩でコインランドリーまで歩き、二、三日分を一気に洗濯と乾燥をさせて戻ってくる。
事務所を出る際には鍵もかけているので、強引に忍び込まない限りは中で使用済みの下着を物色もできない。そもそも祐希子の個人スペースのどこかに隠されているはずだ。
仮に欲望に駆られて侵入を実行したとしてもすぐにバレる。変態ではあっても、そんな危険を冒すような男には思えなかった。
独特の声で挨拶をしたあと、ワンはガマガエルに似た顔にピッタリの両生類っぽい笑みを浮かべた。
「ワザワザ、仕入れた情報、伝えにキタネ。特別サービスネ。お礼は、ユキコさんの服でイイネ」
「わかった。そんなものでいいなら、幾らでも――ぶごぉ」
頬をおもいきりグーで殴られた。どうやら祐希子にとって、ワンの存在はトラウマの象徴みたいになっているらしい。
まだ千尋がいるのではと怯えて帰ってみれば、待っていたのがワンだった不気味さも影響しているかもしれない。
「新、殴るよ」
「もう殴ってるし、グーはやめてくれ」
殴られた頬を手でさする新を、何故か羨ましそうにワンが見ている。どうやら想像以上に変態かつ祐希子を気に入ってるようである。
「中に入れと言いたいところだが、祐希子が嫌がりそうなんでな。立ち話でいいか?」
「問題ナイネ。スグ終わるヨ。淑女の涙、アレ、実在スルネ。ドウヤラ堕石ミタイヨ」
「堕石って、あの堕石か。実在してたのかよ」
驚く新の背中から、こっそり顔を出した祐希子がポカンとする。
「堕石って?」
「イイ質問ネ」
いいところを見せようと考えたのだろうが、説明しようとワンが口を開いた途端、祐希子はまた新の後ろに隠れてしまった。
「チョット、ショックネ。デモ、諦めないネ。ソウソウ、堕石というのは文字通り、堕ちた宝石のコトをイウネ。妖魔タチには有名ダケド、人間には馴染みナイネ。ダンナだから知ってたネ。元は綺麗な宝石ダッタノニ、持ち主の悪意に晒されタリで、魔を払う力が魔を呼ぶ力に変わるネ」
「逆に天石というのもある。それは持ち主の良い想いで魔を払う力、聖なる力が昇華され、天が持つに相応しいというところから名付けられたらしい。堕石も天石も、俺は一度もお目にかかったことはない。御伽噺の類だとしか思ってなかったぜ」
「噂話はトモカク、伝承というのハ、意外と真実ダッタリスルネ。コレ、中国では常識ネ」ワンが得意げに人差し指を立てた。
「お前が本当の中国人かどうかは怪しいけどな」
「アイヤー。相変わらず錦鯉のダンナは手厳しいネ。デモ、喜んでクレル情報、もっとアルヨ。淑女の涙はサファイアネ。ソレモ、コーンフラワーブルーのヨ。十カラットはアルらしいネ。超がツク高級品ネ。シカモ堕石デ――」
「呪いがあるんだろ」
台詞を途中で遮った新に、ワンはニッとして見せる。
「ダンナモ人が悪いネ。知ってたナラ、先に言ってホシイヨ」
「さっき聞いたばかりでな。持ち主を滅ぼすんだって?」
「ソウヨ。凄惨な死を迎える者が多くテ、ソウ言われるヨウにナッタネ。真実かどうかは、ダンナが手に入れればワカルヨ。デ、ソノ涙なんだケドネ、どうヤラ今はクリムゾンレッドに変色シテいるみたいネ」
「それなら知ってる。色が変わる宝石ってやつだよね」
意を決して会話に加わった祐希子だが、残念なことに新とワンに揃って否定される。
「アレキサンドライトのヨウな、光の角度によって見え方が変わるモノデハナイネ。サファイヤの色が変わったンダカラ、不思議ネ」
「だからこその堕石か。大方、手に入れようと狙う人間同士のいざこざが凄惨な死の原因だろ」
「探偵ラシイ、見事な洞察力ネ。淑女の涙を巡るアラソイ、タクサンアッタらしいネ。人間の血を吸って、色が変わったと言われてるミタイ。面倒事を嫌って、存在を知ってイル宝石商は扱いたがらナイネ」
だろうなと、新は素直にワンの言葉に納得した。
「魔を呼ぶだけあって、堕石には妖魔が絡むんだろ? 曰く付きなだけなら、金さえ積めば取引に応じる宝石商はいるはずだからな」
「ヤハリ、ダンナは凄腕ネ。堕石には妖魔の力を高める効果がアルネ。モシカシタラ、十年以上前に起きた事件と関係シテイルかもシレナイネ」
ワン・ワンワンは腕の立つ情報屋である。新と取引関係を持つ際に、素性は徹底的に調べたはずだ。退魔士の活動もしていた父親も、妖魔との戦いで命を落としたことも知っていると考えて間違いない。
そのワンが意味ありげな態度を取る。今回の件に、深く新を絡ませたがってるのだ。
理性はここで手を引けと叫んでいるが、本能がそれを許さない。危険を承知で探偵になり、ジュエルガン片手に妖魔とやり合うのも、いつの日か両親を殺した妖魔を滅ぼして仇を取りたいからだった。
「いいだろう。お前の誘いに乗ってやるぜ。淑女の涙はどこにある?」
普段はあまり外を出歩かないワンが、わざわざ新の事務所にまでやってきた。あわよくば祐希子の所有物を手に入れたい狙いもあったろうが、それだけとは思えない。何か他にも目的があるはずだ。それが何か現時点で判明しない以上、思い切って飛び込むしかない。
というより、両親の死に関する手掛かりがありそうだと知った瞬間、新の中からこの依頼から引き上げる選択肢は消えていた。
「二つ離れた県の温泉街で、隣との県境に近いところネ。山がアルのだけど、そこの地主みたイナ家ネ。水島家トイウヨ。住所はコレネ」
差し出された正方形の小さなメモ紙を受け取る。
「それにしても、この短時間でよくそこまで突き止められたな。情報源はどこだ」
「イヤネ、ダンナ。ソレを教えたら、ワタシ、この世界で生きてイケないネ。デモ、ユキコサンの――」
「――お断り! 用が済んだら、さっさと帰ってよ!」
しっしと犬でも追い払うかのような手の動きで、祐希子はワンに近寄るなと要求する。
「ズイブンと嫌われたモノネ。ウフフ。ダケド、諦めナイネ。ユキコサン、とてもカワイイ。私、生まれた時からコノ顔だカラ、可愛いモノ大好きネ。特にユキコサンみたいな女の子はネ」
涎でも垂らしそうな醜悪極まりない顔で舌なめずりをしたあと、用件が済んだワンは根城としている例のパチンコ屋へと帰っていった。
事務所へ入るなり自分の部屋――というかスペースに異変がないか調べ、無事だと判明してからようやく祐希子は安心したように大きな息を吐いた。
「もうアレの顔見たくないよ」
「そう言うな。情報屋としては優秀だ。あそこまでの変態だとは思ってなかったがな。俺の留守中はせいぜい気をつけろ」
嫌なものを聞いたとばかりに、祐希子が眉をひそめた。
「まさか……行くの? やめといた方がいいよ。あのオバサンだって胡散臭かったしさ。お金は惜しいけど、今回は諦めるべきだよ!」
暇さえあれば金を稼げしか言わなかった自称助手が、何故か今回に限っては新を強く引き止める。彼女にも何か意図があるのかもしれないが、両親の死に迫るチャンスをみすみす逃すわけにはいかない。
「無理だな。俺の両親が淑女の涙に関わっていたかもしれない。聞いた時点で依頼者のための行動じゃなくなってるんだ。引けねえんだよ」
「新……」
「お前はマスターのとこにでも世話になっとけ。明日まで待たずに、わざわざ情報を教えに来たんだ。追加請求もなく、あれだけの情報を寄越すなんて異例だぜ。もしかしたら今夜中に俺を動かして、お前が一人になるのを待ってるのかもな」
情報取引の付き合いしかなかっただけに、ワンの女性趣味や性癖などはまるで知らなかった。あそこまで一人の女に執着心を示すタイプだったのかと、今も若干の驚きが残っている。
もしやとは思うが、新の言った通りの計画を練っている可能性も十分に考えられる。祐希子もそう思ったのだろう。ゾッとしたように自分の体を抱いた。
「ア、アタシも新についてく。その場所……多少は、知ってるし」
「そうなのか?」
「……うん。きっと、これも運命なんだよ」
「何の話だ」
「こっちの話。すぐに出発するんでしょ? 妖魔が絡んでそうで危険だと言われても、勝手についていくからね!」
堂々と宣言されては、どうしようもない。気絶させてバーへ預けていくのも可能ではあるが、最終的に新は祐希子の同行を認めた。何か深い理由がありそうな気がしたし、新が行ったことのない地を知っているというのも一因だ。
「すぐに出発するぞ。準備を急げ」
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