第16話 水島家

 大型連休中でもなければ、新幹線はさほど混雑しない。当日でも十分に席は取れ、午後六時過ぎの新幹線に乗り、午後八時半には目的の県の駅へ到着した。


 途中で高価な駅弁を買おうとして祐希子に怒られた程度で、問題らしい問題はなかった。


 水島家の詳細はすぐに判明した。地元ではそれなりに有名らしく、駅前から温泉街へ向かうバスの運転手に聞いたら、簡単に教えてくれたのである。


 三十分近くバスに揺られ、降りたあと徒歩でしばらく歩き、ようやく到着したのは山の中にある館と呼べる規模の家だった。まさかこれほど大きいとは思ってなかっただけに、電話番号を調べて事前に連絡するなどはしていなかった。最悪、今夜は下見だけでもと考えていたのもある。


「夜も遅くなってきたし、諦めて帰ったらどうかな」


 道中に立ち寄った百円ショップで購入した野球帽を、目深にかぶっている祐希子が新のジャケットを引っ張る。


「とりあえず駄目元で、インターホンを押してからでも遅くないだろ」


 死んだ両親に関係があるのであれば、今すぐにでも淑女の涙の話を聞きたい。抑えきれない衝動に背中を押され、新は門前のインターホンを押す。


 鉄製の門が円を描くように館を取り囲み、中は広大な庭になっている。ここからでは建物の入口は見えない。


 よくある高校の敷地面積と同等かそれ以上。遠目でもはっきりと確認できるだけに、遠目からではわからないほど建物も大きいのではないだろうか。


「はい。どちら様でしょうか」


 品の良さそうな中年女性の声がスピーカーからした。背後でため息をつく祐希子を無視して、新は用件を告げる。


「そのようなことを突然に申されましても……せめて事前にお電話でも頂ければ、当家の主人に伺えたのですが……」


「失礼は十分に承知しております。ですが、お話だけでも聞かせてもらえませんか」


 新の身長よりも高い門柱の上には、監視カメラみたいなのが設置してある。より詳しく来訪者の特徴を目で確認するためだろう。そちらを見て、精一杯の愛想笑いを浮かべてみる。何の繋がりもコネもないだけに、悪印象を持たれて追い返されるのだけは避けたい。相手にしてもらえなければ、調査の進めようがなくなる。


 こちらの様子を窺っていたと思われる中年女性が、はっきりと息を飲む様子が聞こえた。情報屋のワンが祐希子へ一目惚れしたように、似た展開になる恐れもある。その場合は両親の最期の足跡を辿るためにも、覚悟を決めなければいけないだろう。新が悲壮な決意をしていると、唐突に門が開いた。


「そのまま真っ直ぐお進み下さい。家の前でお待ちしております」


 それだけ言うと、スピーカーが切られた。


「なんだかよくわからんが、とりあえず会ってはくれるみたいだな」


「……そうだね」


 やはり元気のない祐希子を連れ、指定された通りに歩く。普通の家なら門から数歩で玄関に着くのだが、水島家の場合は違った。せいぜい数分もあれば着くと思ったが、十五分ほどもかかったのである。


「どうなってんだ、この家は」


 ぼやきながらも、ようやく家の前で待っていた中年女性を発見する。小太りで低身長。どこにでもいそうな顔立ちなのだが、決定的にそれは駄目だろという部分がある。


 フリル付きで可愛らしい、ピチッとしたサイズのメイド服である。あまりにも強烈な見た目すぎて、もしかして番犬代わりなのかなんて思ってしまった。


 だが初対面で他人様のメイドにあれこれ言えないので、何も目に入らないふりをして淡々と自己紹介をする。


 頭の中でずっと引っかかってる大事な何かを解析しなければいけないような気がするのだが、それどころではなくなっていた。


 靴を脱ぎ、スリッパを履かされたあとで中年女性のメイドに案内されたのは、屋敷同様に大きな玄関ホールを抜けた正面の突き当り――水島家の応接室だった。


 途中途中で豪華な壺やら絵画やらを目にしたが、ドアもなかなかに趣向が凝らされており、素材は木なのに金で模様が描かれている。恐らくは有名なデザイナーにでも頼んでデザインしてもらったのだろう。


 開けてもらったドアを抜けて室内へ入ると、来客を出迎えるように左右の壁際に様々な美術品が並んでいた。どれもこれもが価値の高そうなものばかりだ。一つだけでも持って帰れば、しばらくの間は祐希子から嫌味を言われずに済みそうである。


 錦鯉探偵事務所とは比べものにならない大きくて柔らかそうなソファがあり、大理石と思われるテーブルが置かれている。真ん中に存在感たっぷりに座っているのは老齢の男性。ツルツルと滑りのよさそうなハゲ頭に加え、どこの仙人だとツッコミたくなるくらい、鼻の下から顎にかけて白い髭をたっぷりと生やしている。


 身を包む着物はシンプルながらも高級さが見て取れる。まるで財閥の大物といった風貌である。彼こそが水島家の現当主で間違いない。自己紹介されずとも確信を抱けるほどだった。


 気後れしそうになる心を奮い立たせ、ソファのすぐ側まで移動した新は真っ先に頭を下げた。


「今回は急な訪問にも関わらず、お会いして頂いてありがとうございます」


「孫娘が同行しているのであれば、会わぬわけにもゆくまいて」


「なるほど、孫娘が同行――」


 ようやく新は頭の中で引っかかっていたのが何かを思い出す。ただの偶然だと思っていたが、祐希子の名字も水島。普段は金になる依頼は大歓迎のスタンスなのに今回に限って、それも水島家の名前が出た途端に及び腰になった。


 その時から怪しんではいたが、確証がなかったのであえて関わりがあるのかを聞かなかった。途中で忘れてしまったのは新の落ち度だ。


 横目で祐希子の様子を確認すると、ため息をついて諦めたように野球帽を脱いだ。白を切るのではなく、自分が祐希子だと素直に認めた。


「どうしてわかったんだよ」


 責めるような口調だった。元々ボーイッシュな言葉遣いをする少女だが、祖父に対するものには攻撃性が見え隠れしている。


「監視カメラの映像とお前のデータを照合したからじゃ。身長や体重、平均体温からスリーサイズまで一致してるとなれば――」


「――ちょ、ちょっと待ってよ! 何だよ、そのスリーサイズって!」


「む? スリーサイズとはおっぱいと腰のくびれとお尻の大きさを数値化した、男の浪漫溢れる数字じゃ。知らなかったのか?」


「知らなかったのは、いつの間にアタシのサイズを調べたのかって事だよ!」


 テーブルを両手でバンと叩いて、勢いよく立ち上がる。祐希子の瞳の中では、メラメラと怒りの炎が燃えている。


「こっそり調べたからに決まっとるじゃろうが。ただ下着のセンスは磨かねばならぬぞ。いつまで熊さんパンツを――ぶごぉ」


 威厳ありそうな祖父の顔面に躊躇なくスリッパの底をめりこませ、荒い呼吸を祐希子が繰り返す。


「祖父に向かって何をするんじゃ」


「祖父だったら、痴漢の真似事をしていいわけじゃないだろ!」


 叫ぶように言ったあとで、やや乱暴に音を立てて祐希子がソファに座り直した。興奮と怒りはいまだ収まってないらしく、新の隣で鼻息を荒くしている。


「祖父だからこそ、孫娘を気に掛けるのじゃろうが。まあ、いい。まずは自己紹介をしておこう。お初にお目にかかる。ワシは水島家当主の水島源三郎じゃ。源ちゃんと呼んでいいのは、婦女子に限定される。ゆめゆめ勘違いされるな」


「はあ……」


 呼ぶつもりはないし、頼まれても呼びたくはないので適当な返事をしておく。


「それで本日は何の用かね。錦鯉新君」


「えっ!? 何で新のことを知ってるんだよ」


 真っ先に驚きの声を上げたのは祐希子だ。一方で新は平然とした態度を崩さない。孫娘のデータやらスリーサイズやらの話が出た時点で、半ば予想できていたためだ。


 成長期のピークは過ぎ去ったものの、まだ十代だけに身長や体重を含めて身体データの増減はあって然るべきだ。家出の際に持ち出した物をチェックしたのかもしれないが、錦鯉探偵事務所に居候後に買い揃えた物もあるだろう。それらをすべて知っているかのような口ぶりだった。


 それだけ執着している孫娘の家出を許し、あまつさえ若い男が一人でいる事務所への同居も認める。普通に考えればあり得ない事態だ。妥協できる要因が存在しない限りは。


「なるほど。監視者は姉貴か」


 丁寧な対応を心がけるのもアホらしいと、新は伸ばしていた背を投げ出すようにソファの背もたれへ預けた。両手を広げ、言葉遣いも含めて完全リラックスモードへ移行する。


 相変わらず驚くばかりの祐希子を尻目に、源三郎は口元をニヤリと音がしそうなくらいに歪めた。


「よくわかったのう」


「人を送ったところで、事務所の中へ入り込むのは難しい。それなら関係者に頼んで様子を報告してもらうのが一番だ。祐希子の同居の許可を求め、連絡してきた警察官の姉貴なら監視者として最適だ。同じ女性であるだけに、祐希子もそこまで警戒心を抱かないだろうしな。一緒に銭湯へ行った経験もあるらしいし、スリーサイズや下着のチェックもそこでしていたんだろ」


「な……な……! そこのクソジジイはともかく、千尋さんまで酷いよ!」俯き、膝上で拳を握りしめて祐希子は憤る。


「どうして酷いんだ? 姉貴がその条件を飲んだからこそ、お前は事務所での生活を許されたんだ。そうでなければとっくに強制送還されていたぞ。その方がよかったのか?」


 問いかけられた祐希子が「それは……」と口をつぐむ。申し訳なさそうにしているのは、何も考えずに千尋への文句を口にしてしまったせいだろう。


 祐希子が黙ったところで、新は源三郎との会話に戻る。確かめなければならないことがあるからだ。


「なら、俺たちがここへ来た目的も知っているはずだな」


 情報屋とのやりとりまではさすがに知らないだろうが、依頼人との会話中、千尋は隠れて事務所の様子を窺っていた。新が現在担当中の依頼は知っているはずだ。


「淑女の涙か。アレがこの家にあるのをよく調べたのう。懇意にしている情報屋はよほど優秀と見える。それとも、バーのマスターの方かな」

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