五.さすたけの
明けて次の朝。
夢に酔いすぎたか、欠伸を噛み殺しながら朝餉を食したまではよかったのだが、
程なく衣擦れが渡殿を通り、乳姉妹を従えた梓子が東北対に現れた。断りも入れず御簾の内に踏み込み、身支度とも言えない程度にしか身嗜みを整えられない茜子を挨拶代わりにこき下ろす。
「御機嫌よう。相変わらず辛気臭い部屋、季節外れの衣だこと」
「…………」
茜子は神妙に額づいて姉を出迎えた。その姿を鼻で笑い、梓子は命じる。
「顔をお上げなさい。幸運のお裾分けよ」
東対が賑わい、梓子が東北対を訪れる理由。それは決まって、大社の若君から文や贈り物が届き、自慢しに来るときであった。父母のように完全に存在しないものとして扱われるのも
「見てちょうだい」
濃縹と薄縹を重ねた袖口から差し出されたのは、藤の花房に結びつけられた薄紫の料紙。また恋歌を見せつけに来たのか、と茜子はできるだけ無表情を装って文を解き、短く息を呑んだ。
おもふには しのぶることぞ まけにける まみえて
忍ぶ心が想う心に負け、一目見てしまったら、いっそうあなたが愛おしい――――
どこかで聞いたような聞かないような歌だが、本歌取りは公に認められた技巧だ。「あかねさす」は「君」だけでなく「紫」にもかかる枕詞だから、紫の花と紙を選んだのだろう。
それにしても。「君」を詠むために敢えて「あかねさす」を選んでいることといい、まるで千迅と茜子の二夜の逢瀬を詠んでいるかのような歌である。
穴が開くほどに文面を凝視する茜子から、梓子は破れない程度に手荒に料紙を奪い取った。花房と共に胸に掻き抱き、ほうと艶めいた吐息を漏らす。
「きっと、先日の北祭に若君もいらしていたんだわ。そこで改めてわたくしを垣間見られたのよ」
一宮の北祭は、春の終わりと夏の始まりを告げる京一の大祭。貴族たちが
梓子の弾んだ声に、茜子も一瞬にして現実に引き戻された。千迅との逢瀬も恋歌も、そもそも彼の存在自体が夢なのだから、冷静に考えるまでもなく、梓子の言うとおりに決まっている。
(しっかりしなさい。いくら悔しくても、夢幻と現実の区別がつかなくなったら終わりよ)
「もう三月近くも文を交わしているのだから、家人に声をかけてくださってもよろしかったのに。奥ゆかしい方ですこと」
茜子が唇を噛み締め、必死に己に言い聞かせている様子をどのように解釈したものか、梓子は妹を散々
「少しは浮ついた気持ちを味わえたかしら? ではさようなら」
高笑いと共に、梓子は東北対を去った。あとに漂うゆかしき伽羅の香は初めて聞くものだから、これも若君からの贈り物に違いない。
――――本当に、夢の逢瀬が素敵であるほど、現実の自分は惨めだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます