31話

「こんにちは。今日はいい天気ですね。ところで俺探偵なんだけど、ちょっと話いいかな?」

 初対面の人間相手にこう尋ねられて、「いいですよ。何でも聞いちゃってください」と返せる人間は果たしてどれくらいいるのだろう。


 男に声をかけられたのは、アパートに戻る途中、住宅街を走っている時だった。

 営業らしきスーツ姿の男が辺りをうろついていたため、今のご時世でもこういう訪問販売みたいなのあるんだなと思っていたところ、声をかけられた。

 一体俺に何を売りつけようというのか、身構えたところで言われたのが先の台詞だった。


「今、急いでるんで」

 取り合いたくないというより本当に急いでいたためそう言うと、「奇遇だね。俺も急いでるんだ」と男は屈託のない笑顔を浮かべた。


「上司からの圧が強くてさ。今抱えてる案件を早く解決しないと、お前の首も危ないって脅されちゃってね。ああ、首と言えば、なんで社員を解雇することを首を切るって言うか知ってる? あれって一説によると江戸時代の人形浄瑠璃に端を発するらしくてね。浄瑠璃の人形ってパーツごとに分解できるようなんだけど、演目が終わった後に人形の首を……」

「あの、その話今関係あります?」

「いや、全くないね」

「はぁ」

 男は悪びれる様子もなくそう言うため、怒る気力もわいてこない。


「あの、それで聞きたいことって何ですか?」

 無視して立ち去ればよかったものを、そう聞き返してしまったのは完全に俺の失敗だった。

 本題に入らせるために男がわざと話を一度話を脱線させたのだとしたら、相手に脱帽という他ない。


「そうそう、その話ね。行きたい場所があるんだけど、君、道知ってるかな?」

 いきなり探偵と名乗ったからには一体どんな聞き取りが行われるのか、と身構えていた俺を拍子抜けさせる一言だった。

 単に道を尋ねたかっただけらしい。

 それならスマホで調べりゃいいじゃん、と言いたい気持ちを堪える。


「この辺ですか?」

「そう。地区的にはこの辺りのはずなんだけど、どこも同じような家が並んでて迷っちゃってね」

「ええと、住所はわかります?」


 記憶力は悪くないのか、男はメモか何かを見ることもなく、マンション名までそらんじる。

 だが残念なことに、俺もこのあたりが生活圏という訳ではないから、詳細な住所を言われてもわからないということに今頃気付く。

 

 スマートフォンで調べようとしたところで、男が言葉を継ぎ足した。

「あの、一昨日火事があったマンションなんだけれどね」


 そう言われると「ああ、それなら」と、すぐにピンとくる場所があった。

 この近辺で一昨日火事があったマンションと言えば、流石に一箇所しかない。

 拓郎が子供を救出した、あのマンションだ。

 

 確かに、あそこなら今いる場所からそう遠くはない。

 だが、何故あのマンションに? 

 犯人は現場に戻る、なんて骨董品レベルで使い古された言葉が頭をよぎる。


「もしかして、今俺の事、放火魔だと思った?」

「え?」

 図星を突かれて言葉を返せずにいると、男は「あ、当たった」とくすくす笑う。

「いや、別に、そのようなことは……」

「失礼だなぁ。俺がそんなことするはずないじゃない」

 思い出してみれば、出火原因は住民による煙草の火の不始末であるとニュースではっきり言っていた。非礼を反省はするが、この男が怪しすぎるのも勘違いの一因であることは間違いないと、自分に言い訳する。


「で、場所はわかりそう?」

「ああ、はい。この路地を抜けると国道に出ますから、そこを西へまっすぐ行ってください。線路を越えるアーチになる手前を左に曲がってしばらく行くと、その辺りにあったはずですよ」

 自分で言うのもなんだが、かなり詳細かつ丁寧に説明したつもりだ。

 だから、男が呆けた顔で「え?」と返してきたのに対し、こちらも「え?」と言ってしまう。


「ああ、口頭で言ってもわかりづらかったですか? ちょっと待ってください、メモかなんかに書きますね」

「連れてってくれないの?」

 男は嘘だろというように俺を見るが、そう言いたいのはこっちの方だ。


「なんで俺がそこまで面倒見なきゃいけないんですか」

「まあまあいいじゃない。これも何かの縁ということで」

「縁もなければ義理もないですよ。こっちも急いでるんで」

「冷たいなあ。困っている人を見捨てていくのかい、君は」

「冷たくて結構です。自分でどうにかできることは、自分でどうにかしてください」

「ああ、そう。カニマンのいる街って聞いてたから、住んでる人も優しい人たちばかりだと思ったんだけどなぁ」


 男がふと発した言葉は、思いのほか、カニマンのマネージャーである俺の痛いところをついてきた。

 カニマンなら、拓郎ならどうするか。それは考えるまでもない。

 S市を守るカニマンとして当然の事ですよ、なんて言いながら勇んで道案内するあいつの姿は容易に想像できる。

 うんざりする気分になりながら、俺は言う。


「俺の家と方向は一緒なんで、道が被ってる所までなら一緒に行きますよ」

「え、いいの? なんか申し訳ないけど、君がそこまで言うなら」

 いけしゃあしゃあと言う男を無視して、俺は歩き出した。


「ところでさ、君は大学生なの?」

 黙っていることができない性分なのか、黙って速く歩きたいオーラを出しているにもかかわらず男はしきりに話しかけてくる。

「そうですけど」

「やっぱりだ。こんな平日に暇そうにうろついてるのなんて、絶対学生しかいないって思ったよ」

 それはそっちも同じではないかと言いたくなるが、彼は自分の事を探偵だと言っていた。具体的な職務内容は知る由もないが、フィールドワークによる調査がベースの仕事なら、確かに平日の街中を闊歩していてもおかしくはない。


「ああ、俺? 俺が何してるかって?」

「いや、別に聞いてないですけど」

「俺はね、人を探してるんだ」

 男は生き生きと話すが、探偵を名乗る者がそんなことをべらべらと喋ってしまっていいものなのだろうか。というより、出合頭にいきなり探偵を自称する男が本当に探偵なのかどうかも怪しいと言えば怪しいのだが。


「人探しですか。大変そうですね。実は俺も今、失踪した同級生を探しているんですけど……」

 そこまで言ったところで、川崎が妹の捜索を探偵に依頼していたと言っていたのを思い出す。

 この男も、今まさに人探しの依頼を請け負っていると言った。

 もしかすると、この図々しく軽薄で無駄口の多い男こそが、川崎の言っていた探偵なのではないか。


 俺がその事を聞くより一瞬だけ早く、男は「そういえば」と思い出したように口を開いた。

「どうしました?」

「いや、大したことじゃないんだけど」

 これまでに大した話なんて一切してなかったじゃないかと思っていると、男はこう続けた。


「さっきから君、つけられてるけど大丈夫?」

「え?」

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