30話
「誘導?」
「島村君は違和感を感じませんでしたか?」
涌井はアイスティーをぐいっと飲み干す。
「話を聞いた限りだと、ほとんど川崎さんの失踪について有力な情報は得られてないわけでしょう?」
「その通りだ」
「なのに島村君はすでに、僕たちゼミ生に対して確信に近い疑惑を持って話を聞きに来ている。違いますか?」
言われてみれば、確かにここに来たのは何の根拠があったわけでもない。
ミステリー小説やRPGのような物語を進めているような感覚だったのか、残された選択肢はここしかなかったのだから必ずここにヒントがあるはずだ、という思いは確かにあった。
「いや、別にそんな確信があるとかっていう訳じゃないんだ。ただ……」
「わかります。情報がほとんどない中で、ゼミ生の中には動機のありそうな学生が何人もいる。それを怪しむのは僕も当然だと思います」
涌井は俺の考えていたことをわかりやすく整理する。
その上で、「ですがね」と続けた。
「渡海君との間でどう話されたのかはわからないですけど、第三者からすると、やっぱり変に聞こえるんですよ。島村君がゼミ生を怪しいと思うように話を誘導された感じが否めません」
「そんなことはないと思う。渡海も他に色々調べを尽くしたうえで、ゼミ内でのトラブルくらいしか思い当たる節がないって、そんな感じだった」
「だとしたら、渡海君も少し視野が狭いと言わざるを得ないですよ」
涌井にしては珍しく、厳しめの口調で言う。
「あまりにも色んな可能性を切り捨てすぎです。川崎さんはご両親が離婚されているって話でしたよね? 離れていた父親が突然現れて彼女を連れて行ったという可能性はありませんか? 母子家庭なら、本人だってアルバイトをして学費を稼いでいる可能性は十分にありますよね。バイト先で何かいざこざがあったのかもしれません。それこそ金銭トラブルだって大いにあり得ますよね。そもそも、恋愛絡みにしたってゼミ生に限る必要は全くないはずです」
目から鱗、とはまさにこのことだった。
というより、自分の思考停止ぶりを突き付けられた気がして恥じるばかりだ。
「確かに、言われてみればどれも可能性としてはありそうな気がしてくる」
「いえ、僕もぱっと思いついたことをいくつか口にしただけで。ただ、僕たち憲法ゼミのメンバーにのみ動機があると決めてかかるのは些か性急な気がして」
「いや、涌井。まさしくお前の言う通りだ」
「ごめんなさい。僕も客観的に聞いている気でいながら、実は同じゼミ生の仲間を疑われて心中穏やかじゃないのかもしれません」
そう言われると、本当に申し訳なくなる。憲法ゼミなんて涌井以外誰がいるかすら知りもしなかったのに、ほとんど内心では容疑者扱いしてしまっていた。
「まあ実際、彼らは軽佻浮薄を絵に描いたような人たちでしたから。疑われるのもやむなしかもしれません」
涌井は俺を気遣うように言ってくれる。
「いや、本当に申し訳なかったと思ってるよ。そもそも彼ら自身、川崎さんの失踪については何も知らないって言ってたのに」
「ん? それはどういう意味です?」
涌井の目の色が変わる。
「島村君は、彼らにも話を聞きに行ったんですか?」
「いや、俺じゃないんだ」
慌てて手を振り否定する。
「渡海は川崎さんの失踪前に、憲法ゼミの男子たちからそれぞれ恋愛相談をされていたみたいで。だから、今回の件について何か知らないか、彼らには話を聞いていたんだとさ」
「なるほど、そういう事でしたか」
涌井は思案顔で頷く。
「それで彼らは何も知らないと言っていたんですね?」
一瞬肯定しそうになるが、渡海がある疑念を抱いていたことを思い出す。
「いや」
「何です? 何か言っていたんですか?」
「ああ、言っていたっていう訳じゃないんだけど。なんかさ、様子が少しおかしかったらしいんだよな」
「様子が、ですか。どんな風に?」
「俺が見たわけじゃないから何とも言えないんだけど。渡海いわく、怯えているみたいだった、らしい」
「怯えている? 何にですか?」
涌井は、先ほどの俺たちと全く同じことを言った。
「それはわからないとさ。渡海自身も気のせいだって言ってる」
「そうですか」
「ちなみに、涌井は何か心当たりがあったりしないか?」
念のため聞いとくかくらいの気持ちで質問を投げたところ、「ええ、心当たりありますよ」と、涌井は真顔で言う。
「え? マジで?」
自分から聞いておいて、正直全く答えが得られるだなんて期待していないものだったから驚く。
思わぬ棚から牡丹餅に喜んでいたところで、涌井は意地の悪い笑みを浮かべて言った。
「彼らが恐れているのは、ゼミの単位ですよ」
「単位?」
「頻繁にゼミをサボったり、来ても雑談ばかりの人たちですから。卒業に必要なゼミの単位を落としてしまわないか、怯えているに違いありません」
「はぁ」
ぬか喜びさせやがってと怒るべきなのか、これは一本取られたと賞賛すべきなのか迷った挙句、「それは、俺も怖いな」と返すのが精一杯だった。
もはや話すべきこともないように思え、シガールをまた一本口にしようとしたところで、涌井が言った。
「島村君、今後は僕も川崎さんの捜索手伝いますよ」
「本当か?」
それはまあ、何ともありがたい申し出だと思った。
ちょうど自分の視野狭窄さに呆れていたところだ。涌井のような頭の回る奴が手助けしてくれるというのなら頼もしい事この上ない。
「島村君たちで何かわかったことがあれば、僕にも連絡をください。力になれるかはわかりませんが」
「わかった。涌井も仲間に加わってくれるなら助かるよ。拓郎も兄の方の川崎さんもきっと喜ぶ。あと、渡海も」
「渡海君」
涌井はその名を呟くと、こう言った。
「彼には少し用心した方がいいかもしれません」
「用心? 渡海に? どういう事だ?」
「いえ、僕の杞憂ならいいのですが……」
そこで、俺のスマートフォンが着信音を鳴らした。
画面を見ると、拓郎からの電話であった。
涌井は「どうぞ」と電話に出るよう促す。
「拓郎か? お疲れだったな。そっちの救助はもう終わったのか?」
「おう、それはばっちり。でも海に飛び込んだから、変身汁関係なしにびちょびちょになっちまった」
「わかった。すぐに着替え持ってくよ。場所は?」
「漁港脇の倉庫に身を隠してる」
「一旦家に服取りに行くから時間かかるかもだけど、そこで待っててくれ」
通話を着るのと同時に、「あの」と声を掛けられる。しまったと思う。
「救助とか着替えとか言ってましたけど、一体何の話だったんです?」
涌井が怪訝な視線を俺に向けていた。
完全に迂闊だった。涌井がすぐ近くにいるというのに、何も気にせず普通に話をしてしまっていた。マネージャーとして、なんたる失態。
カニマンや変身といったあからさまなワードを口に出さなかったことは不幸中の幸いだった。今の会話の内容でなら、十分誤魔化しが利く。
「ああ、涌井は知らなかったんだっけ? あいつ夏だけ市民プールの監視員のバイト始めたんだよ。そんなに大きくもないプールだし溺れる人なんていないだろうと高を括って着替え持ってくの忘れてたんだとさ。馬鹿だよな」
かなり無理のある言い訳だったが、涌井は「なるほど、そうでしたか」と納得したように頷いた。
「まあそういうわけだから、今日の所はお暇させてもらうよ。邪魔したな」
「いえ、こちらこそお役に立てず申し訳なかったですよ。また何かあれば教えてください」
部屋を出ると、涌井はわざわざエントランスまで降りてきて、俺を見送りに来てくれた。
「この次は川崎さんのお兄さんにも是非お目にかかりたいものです。妹さん探しにこれだけ必死になるなんて、さぞ人格の出来た人なのでしょうね」
オートロック付き自動ドアの前で涌井はそう言ってくれたが、当の川崎本人はさっきこの扉を無遠慮に殴りつけていたものだから何とも言えない気持ちになる。
「じゃあ、川崎さんについて何かわかったら僕にも教えてください」
「ああ」
「あと、拓郎くんによろしく」
涌井とは、そこで別れた。
そういえば、さっき拓郎から電話がかかってきたとき涌井が何か言いかけていた気がしたが、何の話をしていたのだったか。
まあいい。思い出したら次会うときに聞けばいい事だ。
とにかく今は早く拓郎の所に行ってやらねばなるまい。
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