28話
「それにしても、わらしべ長者みたいで面倒くせえな」
川崎は暑さで苛々しているのか、ぶつくさとぼやいた。
俺たちは炎天下の中、駅前の繁華街を歩いている。
平日の昼間だというのに、やけに中高生が多いなと思っていると、すでに夏休みに入っているのだということに気付く。
群れて歩く彼らは騒々しい事この上なく、自分も数年前まで彼らと同じ人種であるにも関わらず、彼らの放つ若さ故のエネルギーのようなものがこの疎ましい暑さの一因なのではないかと考えてしまう。
「なんでこんな駅の方まで来てんだよ」
川崎は汗を拭いながら言う。
「そりゃ、涌井に会うために決まってるじゃないですか」
言いながら俺も、なんでわざわざこんな所まで、という思いは同じだった。
俺たちの通うS大学は、S市の中でも外れの方に位置している。
市の中心に鎮座するS駅は、最寄り駅とは名ばかりで大学から約5キロもの距離があった。おまけに駅から大学は上り坂が続くため、徒歩で行こうものなら1時間はかかることを覚悟しなければならない。
余談ではあるが、S大生は二つの種族に分かれている。
一つは大学周辺の寂れた地域に住んでいる種族で、安アパートを借りて安価な家電製品を使い生活することを信条としている。
炊飯器はマイコン、洗濯機は外置きと相場が決まっており、テレビは40型の物を持っていようものなら羨望の眼差しを送られることは間違いない。
俺や拓郎が所属しているのは、何を隠そうこちらの種族だ。
対してもう一つは、地価が高い駅周辺に根城を構えている種族である。
彼らは大学生の身分でありながら大学の近くに住みことを良しとせず、わざわざ値の張るマンションに住み、バス代を払って大学に通学しているのだ。
噂によると、彼らの住居にはBSアンテナなる謎の円盤が漏れなく屋根上に設置されているらしい。
当然のことながら、相対する二つの種族は犬猿の仲であった。
大学族は駅族をいけ好かない奴らと目の敵にし、駅族は大学族を下賤の民と見下し、二つの種族は決して相容れることなく、太古の昔から血を血で洗うような争いを連綿と受け継いできた。
我々S大生は、一見すると平穏無事なキャンパスライフを送っているように見えて、その裏でいつ暴発するとも知れない戦争の火種を抱えて過ごしているのである。
なんてことはまるでないが、涌井が駅近くのオートロック付きマンションに住んでおり、IH炊飯器で米を炊き、洗濯物は浴室乾燥、おまけに50インチのテレビを所有していることは事実であった。
「おい、次に会う奴は本当に優香の手掛かりを知ってるんだろうな?」
川崎は、進捗管理が部下任せの上司のような口調で言う。そんなこと聞かれたってイエスともノーとも言えるはずがないが、それが不安の裏返しということは俺も理解していた。
「少なくとも同じゼミ生ってことでしたから、顔も知らないってことはないです」
「さっきの渡海って奴は、色々話してくれたけどな。あいつ以上の話が聞けねえなら意味ねえぞ。無駄足は勘弁だぜ」
「渡海とは違うコミュニティの中での付き合いですから、彼の知らない事を涌井が知っている可能性はあると思います」
「これ以上のたらい回しは勘弁してくれよ。役所じゃねえんだからよ」
それからしばらく歩き、涌井の家に着くと、俺と川崎はエントランスの前で足を止めた。
「おい、ここかよ」
川崎が生唾を飲む音が聞こえる。
涌井のマンションは、同じ大学生である俺が住んでいる築25年の2階建てアパートと同じ賃貸住宅であるということが信じられないほど、
西洋建築を思わせる石張りタイルの外壁や、ロビーから覗かせている荘厳なシャンデリア、そして10階層は優に超える建物の高さに、俺たちは圧倒されていた。
俺はここに来るのは初めてではないが、ブルジョア階級にしか立ち入りを許されていなさそうな品性と威圧感を兼ね備えた佇まいには、全く慣れる気がしない。
「これが大学生の住むところかよ」
川崎はため息まじりに呟く。嫌味ではなく、ただただ驚いているといった様子だった。
「おい、ドアが開かねえぞ」
川崎はエントランスの自動ドアの前に立って、狼狽えている。ドアを何回も叩いたりなんて小学生みたいな事をしているが、ドアはうんともすんとも言わない。
貴様のような野蛮な者はこのマンションに立ち入る資格はないと、ドアに言われているように見える。
「そりゃそうですよ。中から鍵を開けてもらわないと」
「鍵? ここが全部涌井って奴の家なのか?」
「そうじゃなくて。二重のセキュリティって言うか、まずここで住民に鍵を開けてもらわないとマンション内にも入れないんですよ」
涌井のマンションは、防犯上、各部屋だけでなくエントランスもオートロックになっているタイプのマンションだった。セキュリティが強固なのはいいが、訪問客にわざわざ2回も呼び鈴を鳴らさせるのが忍びないと、涌井はぼやいていた。
「まあ、こういうマンションに住んでいる人たちは危機管理意識も高そうですから。二段構えじゃないと心許ないんでしょうね」
「なんだよ、金持ちどもが住むマンションには立ち入りすら許されねえってか」
「最近はこういうとこ、増えてるんですよ」
自動ドア横のパネルで部屋番号を打ち、涌井を呼び出す。
「わざわざご足労すみません。今開けますね」
涌井の声と同時に、仏頂面だった門扉が、主人の命令でしぶしぶ、といった様子で開いた。エントランス内に入ると空調が利いており、ようやく涼しい風に当たることができた。
「涌井って奴の部屋は何階なんだ」
「10階です」
「涌井だけに、0+9+1で10階って訳か」
「0を『わ』って読むのは流石に無理がありますよ」
俺たちはエレベーターに乗り込み、ゆっくりと浮上する。
階数表示の上にはモニターが付いており、『今日のホロスコープ星座占い』なるものが流れていたため、それをぼうっと眺めていた。俺の星座である牡羊座は『素敵な出会いが待っているかも?』ということらしい。疑問符が付いているのが気になるが、悪い結果じゃなさそうだ。ウェルカム、素敵な出会い。
そんなことを考えていると、川崎がぼそっと口を開いた。
「なあ、そもそもなんだけどよ。その涌井って奴が優香に何かした可能性は本当にねえのか?」
「可能性の話をすればそりゃ否定はできないですけど、まず大丈夫ですよ」
「本当に信用できるのか? 俺はさっきの渡海って奴だって怪しいと思ってるぜ」
「渡海もそうですけど、涌井は特に品行方正で倫理観の強い奴ですから。痴漢とかは絶対に許さないタイプです」
「正義感ぶってる奴ってのは、大概いけすかねえんだよな」
川崎は露骨に不機嫌そうに言う。まさか本人と相対してもこんな態度をとるつもりなのかと心配になる。
「あなたの好みはともかく、人としては信用できますよ。だから、わざわざ彼に会いに来てるわけで」
「そういうやりそうもない奴に限って、ってこともあるだろ」
「まあ、会ってみればわかりますよ」
そこで、エレベーターが上昇を止めた。『10階です』と無機質な声がして、ゆっくりとドアが開いていく。
開いたその先では、人が立っていた。
その男の外見が視界に入った瞬間、身体が強張るのがわかる。
白い開襟シャツの胸元からは金色のネックレスが光っており、黒々とした丸いサングラスをかけ、整えられた顎髭は人相を悪く見せることに一役も二役も買っている。極めつけに、シャツの袖から透けて見えるのは、龍か虎かなにかの入れ墨だろう。
一目見て、「筋者の方ですよね?」とわかるような風体の男だった。
こういう界隈の人もこの格式高そうなマンションに住んでいるのかと驚いていると、男はこちらを見て、「あ」と声を上げた。
川崎が「あ」と声を上げたのも同時だった。
次の瞬間、川崎は「閉」のボタンを押す。ボタン早押しオリンピックがあったなら、間違いなく金メダルものの早さだった。
「おい、ちょっと待ててめえ」
開襟シャツの男が血相を変えて怒鳴った。
「え?」
俺たちがまだ出ていないにも関わらずエレベーターに押し入ってこようとしたが、その目前でドアが閉まる。
直後、ばんという大きな音がした。男がエレベーターの扉を殴ったのだ。
窓ガラスにはひびが入ったが、エレベーター自体は無事だったようでそのまま下降を始めた。
「え? え? え?」
目の前で起きたこの数秒間の出来事に、まるで理解が追い付かない。
「ちょっと、今のは何なんですか」
状況はまるでわかっていないが、とりあえず川崎と今の男はなんかしらの面識がある。それだけは唯一間違いなさそうだった。
「うるせえ、お前には関係ねえことだ」
「いや、関係ない訳ないでしょう。誰なんですか、あの人は」
モニターが目に入ると、依然として『今日のホロスコープ星座占い』が流されている。素敵な出会いってまさかこの事じゃないだろうなと文句を言いたくなる。
「いいか? 一つ言っておく。この後俺について、誰に何を聞かれても知らぬ存ぜぬで通せ」
「誰に何をって、一体どうして。あなた、何かしたんですか?」
「うるせえ、今そんなこと話してる場合じゃねえんだよ。とにかく、俺の事は何も話すな。絶対だ。いいな? 絶対だぞ?」
川崎は鬼気迫る表情で訴えてくる。
「はい」とも「いいえ」とも言えない内に、『1階です』の声と共にエレベーターのドアが開いた。それとほぼ同時に、川崎は走り出す。
「川崎、てめえ」
階段から声がすると思えば、先ほどの開襟シャツの男が勢いよく駆け下りてくる。
こちらは10階からエレベーターで降りてきたというのに、一体どういう脚力をしているのか。
「島村、逃げるぞ」
俺は訳も分からないままエントランスを飛び出す。
しばらく川崎と並走していたが、流石は元球児と言うべきか、川崎の足は速かった。対する俺は日ごろの運動不足が響いて、彼との距離は徐々に開いていく。
「おい、何へばってんだよ」
川崎は怒声を飛ばすが、体力の限界だった。俺はそこで足がもつれ派手に転んでしまう。
「ああ、もう」
川崎は舌打ちしながら、俺の腕を引っ張り起き上がらせる。
「島村、二手に分かれるぞ。あいつは多分俺を追いかけてくる。あとでまた合流するぞ」
「え? でも……」
どうやって合流するつもりなのか、それを聞こうとした瞬間には川崎はすでに走り出していた。
そもそも俺まで逃げる必要があるのかとは思ったが、開襟シャツの男が般若のごとき形相で迫ってきているのを見て、体が勝手に動いていた。川崎が向かったのとは逆の方向へ走り出す。
無我夢中で走り、300メートルくらいは来ただろうかといったところで、疲労が限界を迎え足を止める。
ここまで必死に走ったなら捕まるもやむなしといった気持ちで恐る恐る後ろを振り返ってみるが、幸いにも開襟シャツの男の姿はなかった。
川崎の読み通り、彼を追いかけていったということなのだろう。
「助かった、のか?」
俺は路上で一人倒れこみ、仰向けで空を見上げた。
息が上がって、しばらくは動くのもしんどそうだ。カニマンのマネージャーを務めるにしては、あまりにも心許ない体力だなと反省する。
いったい今のは何だったのか。
あの開襟シャツの男は明らかに堅気の人間ではなさそうだったが、そんな男に追い回されるなんて、川崎は一体、彼とどんな因縁があるというのか。
はじめから得体のしれない男ではあったが、川崎が何者なのか、余計にわからなくなった。
さて、失踪した妹を探すはずが、依頼してきた本人まで失踪してしまったわけだが、俺はこれから一体どうすればいいというのだろうか。
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