27話

「食堂ってのは、学生以外が使ってもいいんだな」

 川崎は落ち着かない様子で視線をきょろきょろと動かしている。

 聞いたところによると、彼は高校を中退して就職したらしく、大学というものにはまるで縁がないらしい。


 今朝、「教師やお利口なクラスの連中が鬱陶しいから高校なんて1年で辞めてやった」と自慢げに語っていた彼は、大学のキャンパスの空気がすこぶる居心地悪いらしく、構内に入ってからずっとそわそわしている。

 今も注文した味噌バターラーメンを前にして、「待て」と指示された犬のように手を付けずにいた。


「ええ。外部から講師を呼ぶような授業もありますし、うちの大学は周辺にあまり飲食店が多くはないですから」

 渡海はセルフサービスの水を3人分持ってきてテーブルに置く。

「麺も伸びてしまいますし、食べましょうか」


 俺と川崎、そして渡海は昼休み、学生食堂に集まり顔を合わせていた。

 今朝の1コマ目の授業が始まる前、俺と拓郎は渡海に少し話せないかと声をかけたのだ。


 はじめは講義やサークルで予定が埋まっており厳しいと言っていたが、川崎優香の件で兄が話したがってると打ち明けたところ、昼休みなら、と時間を作ってくれたのだった。


「おい、餅井の奴はどうしたんだよ」

 ようやく味噌ラーメンを啜り始めた川崎はぶっきらぼうに言う。

 拓郎がいないことに憤っているというよりは、不安がっているだけのように見えた。


「拓郎はちょっと急用ができたみたいで」

 俺が言うと、川崎は露骨に顔をしかめた。

「急用ってなんだよ、無責任な奴だな」


 拓郎がいないのは彼が無責任だからではない。カニマンだからだ。

 昼休みに入る直前、隣の市で、立入禁止の港で遊んでいた高校生が海に転落したというニュースをネットで見つけ、拓郎はそちらに急行したのだ。


 わざわざ隣町でも出張するのかとは思ったが、いい意味でも悪い意味でもカニマンとしての使命感に燃えている拓郎が、「隣の市は管轄外なんで」などと役所じみた事をいう姿は確かに想像できなかった。

 

 もちろん、拓郎はカニマンとして溺れた高校生を助けに行ったなどとそのまま伝えるわけにもいかないため、「時々発作的に海水浴をしに行くやつなんです」と嘘を吐いた。

 なんだそりゃと川崎は訝しんだが、「岐阜出身でずっと海のない生活を送ってきましたから」と強引に誤魔化した。


 実際、話すのは川崎と渡海の二者間なのだから問題はないはずだ。

「ふうん、まあどうでもいいけど。それより意外といけるな、これ」

 川崎は味噌バターラーメンを食べるのに夢中で拓郎の事はそれ以上気にしなかった。


 互いに簡単な自己紹介を済ませると、俺たちは早速本題に入る。


「川崎優香さんについて俺から話せることは、残念ながらあまり多くはありません」

 渡海は申し訳なさそうに告げた。


「彼女とはゼミやサークルで一緒という訳でもありませんでしたから。顔を合わせれば話す、といったくらいの関係性で。一緒にご飯や遊びに行ったりしたのも数回程度です」

 聞きながら俺は、ゼミもサークルも一緒じゃなくてなんでそこまでの関係を作れるんだ? と疑問に思い仕方なかったが、明らかにこの場で言う事ではないので胸の内にしまっておいた。


「単刀直入に聞くが、優香が失踪した原因に心当たりはねえか?」

 川崎の問いに、「残念ながら」と渡海は首を振る。


「どんなことでもいいんだ。知っていることを教えろ」

「僕も含め、優香さんの友人たちが情報提供を呼び掛けています。ただ、目ぼしいようなものは何一つないというのが現状です」

 渡海は申し訳なさそうに肩をすくめる。


「優香が失踪する前、あいつにおかしな様子はなかったのか?」

 川崎が尋ねると、渡海は少し考えるようにしてから言う。

「特に変わった様子はありませんでした」

「本当か? よく思い出してみろ」

「いや、本当に何もなかったと思います」

 そう言った渡海の俯き加減が、どこかぎこちないように見えたのはおそらく俺の気のせいだろうか。


「あんまりこういうことは考えたくねえんだが、優香が誰かに襲われたって可能性はねえのか?」

 渡海はその問いに答えない。

 川崎はますます語調を強めた。

「あいつの事を嫌ってたやつとかに心当たりはねえのか」

「いえ」

 今度はしっかりとした返事がある。


「優香さんは気さくな性格で、友達も多かったように思います。お兄さんの前だからお世辞を言うわけではなく、彼女は本当に誰にでも分け隔てなく優しくできる子でした」


 あまり親しくないと謙遜していた割には、渡海が話す川崎優香についての学校での行動はかなり詳細なものであった。

 講義を休んだ友人がいれば頼まれずともノートを取っていただとか、グループワークで浮いている学生がいれば積極的に話しかけていたりだとか、ゼミ内に内部分裂が生じかけた時は仲介をしただとか、エピソードは枚挙に暇がなかった。


 川崎の顔を窺うと、「俺の知ってる優香もそういう奴だ」と頷く。


「じゃあ、人間関係でのトラブルで襲われたって線はなさそうってことか」

 俺が言うと、渡海は「そうとも限らないんだ」と首を横に振った。

「どういうことだ?」

 お兄さんの前でこんな事を言うのもなんですけど、と川崎を一瞥してから渡海は話し出す。


「さっきも言ったとおり川崎さんは人当たりのいい子でしたから、彼女に好意を寄せている男子は結構な数いたんです」

「俺の妹だけあって、優香は顔もよかったからな」

 川崎は少し自慢げに口にするが、そういう彼自身の顔立ちはあまり整っているとは言い難いものだから反応に困る。


「それこそ、粘着質だったりストーカーまがいの事をする奴も出てくるくらいには彼女は人気がありました」

「はあ、つまり川崎優香は魔性の女だったってことか」

 俺が聞き返すと、「魔性、って言い方はなんか物々しいな」と渡海が苦笑する。


「まあでも、そうだな。惑わされた男子が多かったことは間違いない。当の本人は無自覚だったんだろうけど」

「勘違い男子製造機だったわけだ」

「そうだな。打率で言えばイチローより高かったと思う」

「その川崎優香に付き合ってる相手はいなかったのか?」

「意外というべきか、そういう相手はいなかったみたいだ。だから余計に、近づこうとする男は多かったんじゃないのか」


「つまり、そいつらの誰かが怪しいってことか」

 川崎は忌々しそうに言う。


「川崎さん狙ってるんだけどどうしたらいいか? なんて相談を受けたり、仲介を頼まれたりってことは俺も何度もありました」

 それらは苦々しい思い出なのか、渡海は渋い果実を口にしたかのような表情を浮かべた。

「優しい女の子ほどそれに付け込んでしつこくアプローチする奴はいるだろうし、そういうのに限って、振られてしまうと可愛さ余って憎さ百倍、ってことは往々にしてあり得ますからね」


「じゃあ、痴情のもつれって噂もあったけど、あながち見当外れとも言えないわけだ」

「もつれと言うか一歩通行なんだろうけど。振られた逆恨みって可能性はなくはないと思う」


「お前らの学部の男どもは、全員が推定有罪だな」

 川崎は煩わしそうに言う。

「つまり、優香に群がってた虫ども一人一人に聞きゃ何かわかるってことだな?」

「可能性がある、というだけです」

 渡海は宥めるように言う。


「その辺をもう少し詳しく知ってる奴ってのはいないのか?」

「あえて挙げるなら、本田さんとか山葉さんとか」

 名前を聞いてもいまいちピンと来なかったが、川崎優香の一番仲の良かった女友達だと渡海が補足してくれる。ビラを作って配っていたのも彼女たちらしい。


「ただ、あの二人もその辺の事情については川崎さん本人からあまり聞いてたりはしなかったらしい」

 

「他にはいねえのかよ」

 川崎は激しく貧乏ゆすりをしながら言う。

「というか、家族にはそういう話はしてないんですか?」

 ふと疑問に思った俺は、俺は川崎に聞き返す。


「うちはとっくの昔に両親離婚してんだよ」

 川崎は忌々しそうに言う。

「優香は母親についていって、俺は親父に引き取られた。優香と父親とはそれっきりだ。母親とは今も暮らしているはずだが、あの人はどうも心配性と言うか気が弱いからな。友達にもできねえような相談を家でするとは思えねえ。俺はたまに連絡取る程度だ」

「ちなみに、川崎さんは妹さんの恋愛相談とかは?」

「されてたらこんなとこ来てねえよ」

 ですよね、という他ない。


「川崎さんの人間関係を知ってるって言うと、サークルとかは?」

「川崎さんはサークルには入ってなかったはずだ」

「じゃあ後は、同じゼミ生とかなら」

 乏しい手札の中で出せるものを出す、といった程度の気持ちで言ったのだが、渡海は「何かあるとしたら、そこだよな」と険しい表情を見せた。


「川崎優香ってどこのゼミだったんだ?」

「憲法ゼミだ」

 渡海は顔をしかめて言う。


「あそこは川崎さん以外、男しかいないだろ?」

「え? ああ、そうなんだ」

「島村はびっくりするくらい周りに興味がないな」

 渡海は苦笑しながらも続ける。


「さっきも言ったけど、川崎さんと仲がいいように見えるのか俺に仲介を頼む男が結構多くてな。まあ、普段からよく話してた俺に対する牽制のつもりもあったのかもしれないけど」

「つまり、憲法ゼミの誰かがお前に泣きついてきた連中の一人ってことか?」

「一人じゃない。五人だ」

 渡海は「かぐや姫みたいだよな」と皮肉じみた笑いを浮かべる。

 

「なんだよ、じゃあ何か知ってるどころか、そいつらが怪しいってことじゃねえか」

 川崎がいきり立って言うと、渡海は首を振る。

「もちろん、俺も彼らに話は聞きに行きました。ただ、全員何も知らないと言っているんです」


「それでも、何かあるとしたらなんてお前が言うってことは、なんかしらの疑義があるってことだ」

「別に疑義ってほど大げさなものじゃない。ただ、憲法ゼミの彼ら、何か隠してるというか、怯えているような感じがしたんだよな」


「怯えている?」

 俺と川崎の声が重なる。

「何に?」


「あくまで、話しててそんな感じがしたって言うだけの話ですよ」

 渡海は弁解するように手を振る。

「同じゼミの友人が謎の失踪を遂げたわけですから、ただそれで不安になってただけだと思います」

「まあこれは多分俺の勘違いです」と、渡海は詫びるように言った。


 それから昼休みが終わるまで互いが持っている情報を出し合ったが、手掛かりとなるような有力なものはなかった。

 誰に何の相談もなく蒸発したり自殺を図ったりするような性格じゃないというのは川崎と渡海共通の見解だったし、失踪以降の目撃情報も目ぼしい物はなく、結局、さっきの恋愛絡みのトラブルという憶測以上のものは出てこなかった。


 探偵まで雇っていると言っていた川崎からもほとんど有益な情報が出てこなかったことには拍子抜けした。


「あとは、最近市内で強盗事件とかよく起きてただろ? あのグループに連れ去られた、とかは?」

 本人との面識が一切ない俺は、思いついたことはとりあえず口に出していけのスタンスでこの話し合いに臨んでいたため、可能性の在庫処分といった気持ちで言ってみた。

 そこで、一瞬だが川崎の表情がひどく強張り、陰鬱なものになったことに気付く。


「まあ、あるわけないですよね」

 川崎が粗野な性格をしているものだから気遣いを忘れかけていたが、大事な家族が行方不明になってしまった人に対し、あまりにも不用意な発言だったなと反省する。


「そろそろ時間だな」

 渡海が時計を見て言う。

 周りを見渡すと、午後の授業に向かうため、すでにほかの学生たちは忙しなく席を立ち始めている。


「とりあえず、俺の方はもう一度鈴木さんや山葉さんを当たってみます」

 渡海はあまり期待は持っていなさそうな顔で言う。俺たちはどうしたものかと考えると、頭の中に光るものがあった。


「それなら、ゼミの方をもう一度、今度は俺たちが聞いてみるよ」

「島村が?」

 多分何も出てこないと思うけど、と渡海は不安げに言うが、俺は俺なりの伝手があった。


「俺の友達に涌井ってやつがいるんだけど」

「なんだよ、餅井とこいつ以外にも友達いたのかよ」

 川崎が横から失礼なことを言う。


「で、誰なんだよそいつは」

「同じ法学部の同級生です。確かゼミは憲法だったはず」

 他のメンバーの事はまるで知らないが、流石に友人の所属ゼミくらいは覚えていた。今思い出した、と言う方が正しいが。

「なんだよ、五匹の悪い虫のうちの一人か」

 川崎は嫌悪感たっぷりに言うが、「いや」と俺は首を振る。

「涌井はそういう奴じゃないです。だから、あいつからならゼミでの様子について、客観的な話が聞けると思います」

 

「そうか、涌井君か」と、渡海も納得したように言う。

「わかった、そっちは島村に任せるよ」


 最後に、「お互い何か掴めたら情報共有しましょう」と川崎に連絡先を伝え、渡海は席を立った。


「あんまり有益な情報は得られなかったですね」

「最初から期待はしてなかったけどな」

 川崎は投げやりな口調で言うが、その表情からは落胆がありありと見て取れる。

「とにかく、次はその涌井って奴に話を聞かねえとな」

「そうですね」


「俺たちも行きましょう」と声をかけると、川崎は「あ」と声を上げる。

「どうしました」

「いや、なんでもない」

 そう言ったものの、なぜか彼はそわそわした様子で席を離れようとしない。

「行かないんですか?」

「いや、そのだな……」


 川崎はしばらく口をもごもごさせていたが、やがて何かを決心したかのように真面目な顔で言った。

「あのさ、デザートも食べていいか?」

「へ?」


 俺がきょとんとしていると、川崎は恥ずかしそうに呟く。

「朝は偉そうなこと言ったけどよ、実は俺、学校の食堂で飯食うのちょっとだけ憧れてたんだよな。高校にはなかったし」

「はぁ」


 俺がぽかんとしている内に、川崎はそそくさと食券の自販機に駆けていった。

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