第25話

「ちょっと、痛いですって」

 川崎に掴まれた両肩が悲鳴を上げていた。

 流石は河童というべきか、握力が化け物じみて強い。あるいは、これが全国に出場する野球部員の膂力ということか。


「優香のこと知ってんのかって聞いてんだよ」

 川崎が声をますます荒げる。自分が河童になったことを知った時とは比べ物にならないほどに興奮している。


「いや、残念だけど俺たちはその川崎さんとは知り合いじゃないんだ」

 河童に詰め寄られて腰を抜かしていた俺に代わって、拓郎が答えた。


「俺と島村はS大の法学部なんだけどさ」

「優香もそうだ」

「俺らの学部は二百人くらいいるから、面識ない奴も結構いるんだ。というより、そっちの方が大半なんだけど」

「じゃあ、お前らは優香と話したことすらないってことか?」

「申し訳ないけれどね」

「なんだよ、ぬか喜びさせんなよ」

 川崎は舌打ちして、ようやく俺の方から手を離した。肩の骨が砕けるんじゃないかと本気で思った。


「川崎は妹さんの事、ずっと探してるのか?」

 拓郎は心配そうに尋ねた。

「別に」

「別にってことはないでしょうに。今だってあんなに慌ててたじゃないですか」

 俺が言うも、川崎の返事は「うるせえな」と素っ気ない。それなら、あんなに強く肩を掴まないでくれと文句を言いたくなったが、口には出さないでおいた。


「とにかく、お前らは優香について何も知らないんだろ? じゃあ、ここにいる意味はねえ。帰らせてもらうぜ」

 川崎が再び部屋を出ていこうとしていたところで、「ちょっと待った」と拓郎が声をかける。


「なんだよ」

「確かに俺たちはその子の事よく知らないけどさ。知り合いの知り合い、ってパターンはあるかもしれない」

「なるほど」

 俺は相槌を打つ。


「俺たちの知り合いを当たってみれば、その川崎優香さんの友達だったりする可能性はある」

「誰か心当たりはあんのかよ」

 川崎は興味くらいは持ったらしく、座布団の上に再び腰を下ろした。

 腹がまだ満たされていなかったのか、スプーンを手に取って、食べかけだったオムライスに再び口を付ける。


「ある」

 拓郎ははっきりと言う。

「そのビラを配っていた学生のうちに一人、俺らの知り合いがいるんだ」

 その知り合いには、俺もピンときた。

「渡海か」

 拓郎は頷く。


「でもよ、そんなビラ作って配ってるってことは、そいつらも碌に手掛かりは掴めてねえってことじゃねえのかよ」

「まあ、そう言われるとそうなんだけど」

 それは認めざるを得ないというように拓郎は首肯する。

「でも、それはそれとして、お互い同じ人を探している者同士、顔くらいは合わせておいた方がいいと思うんだ。情報共有は大事だろ?」

「まあ、確かにな」

 川崎は不本意ながら納得した、という様子だ。


「早速明日、そいつに話をしてみるよ。時間が空いてれば、明日中に会ってくれるかもしれない」

「わかったよ」


「というか、川崎さんの方はどうなんですか?」

 俺は疑問を口にする。

「どうって、どういうことだよ」

「当然、警察にはもう捜索願とかは出してるんでしょうけど。そのほかに知り合いとかで、探すの手伝ってくれてる人とかはいないんですか?」

「知り合いにはいねえな」

「知り合いには? には、って言うと?」

 言い方が引っ掛かり尋ねると、川崎は少し困ったような表情を浮かべる。

「一応、探偵を雇ってんだ」

「おお、探偵」

 俺と拓郎の声が重なる。


「すげえな、島村。コナン君だよ、コナン君」

「どっちかって言うと、ポアロみたいな髭の似合う紳士だろ」

「いや、そんな立派なもんじゃねえんだ」

 川崎は気まずそうに謙遜を口にする。

 現実の探偵というのが、フィクションの中のそれとは大きく乖離しているということは、俺も理解しているところだ。


「いやいや、大したことあるって」

 拓郎は興奮気味に言う。

「餅は餅屋って言うし、探偵にも調べてもらってるなら心強いよ。それなら逆に、うちの大学の奴らも助かると思う」

「いや、まあ。そうか」と、川崎は歯切れ悪く返事をした。


「とりあえず、川崎は今日のところは島村の家に泊まってけよ」

 拓郎が唐突に勝手な提案をする。

「おい、何でお前が決めるんだよ」

「駄目なのか?」

「俺はまあいいけど」

 川崎に視線を向けると、「俺も異論はねえ」と返事がある。


 さっきまではあんなに帰りたがっていたのに、あっさり承諾したことが意外だった。妹の捜索のために、俺たちが必要と判断したということだろうか。

「よし、決まりだな」


「でもさ」

 川崎が俺の部屋で寝泊まりすることは問題ない。

 来客用の布団も足りている。

 ただ彼に限っては、一つだけ問題がある。


「川崎は体勢的に、どうやって寝ればいいんだろうな」

 川崎の背中には、ウミガメのそれと同じようなサイズの甲羅がある。こんなものを背負っていては、とても仰向けで寝ることは出来ない。だからと言って、うつ伏せで寝ては嘴が枕に突き刺さって邪魔になってしまう。


「人間に戻ればいいじゃんか」

 拓郎はあっけらかんと言う。

 すかさず、「どうやって人に戻れっていうんだよ」と川崎から反論がある。

 当然の反応だ。


「あくまで一般論として話すけど」

「河童から人に戻る一般論ってなんだよ」

「いいから聞けよ川崎」と、拓郎は強引に話を進める。


「気持ちをフラットにしてだな、ただ人に戻りたいと念じるんだ」

「は? そんなんで戻れんのかよ」

「念じる、と言うほど気合を入れなくていい。むしろ、考えすぎちゃいけない。体育の授業が終わったら制服に着替えるくらいの気持ちで」

「なんか怖いくらいに具体的だな」

「河童になっちまったこととか、妹さんの事とか、そういうのは一旦全部忘れて、平常心でやってみろ」


「やってみろって言われても」

 川崎は半信半疑、というより一信九疑くらいの気持ちだったかもしれないが、そっと目を閉じた。

「いいか? 時間はかかるかもしれないけど、しばらくそのまま頭の中で人に戻ることだけを念じ続けろ」


 俺も眉に唾をつける思いで聞いていたが、川崎の身体に変化が表れ始めたのは、5分ほど経過してからのことだった。

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