第20話

 溶き卵をフライパンに入れると、じゅううと熱が入る音がする。

 菜箸で卵液を素早くかき混ぜ、半熟状になったら焼けた面を丸めて形を整える。

 最後に全体をひっくり返し、つなぎ目に火を通す。

 そのまま出来上がったオムレツをチキンライスの上に被せて、完成である。

 

「河童、全然起きないな」

 時刻は既に夜の八時を回っていた。

 河童を連れ帰ってからすでに一時間以上たっているが、一向に起きる気配がない。 

  

 俺たちも流石に腹が減ってきたが外に出るわけにもいかないため、冷蔵庫にあった食材で適当に食事を済ませることとした。


「実は寝てるふりしてるだけなんじゃないのか?」

「狸寝入りならぬ河童寝入り」

 拓郎が自分で言ってくすくす笑う。


「島村が料理してる間揺すったり呼びかけたりしてるけど、全然反応なかったよ。くすぐっても起きなかったから、マジで気を失ってると思う」

 多分、肛門も確認してみたんだろうなと想像できたが、それは絶対に聞くまいと思う。


「それにしても悪いな。御馳走になっちまって」

 拓郎はオムライスを掻き込むように食べながら言う。

 米粒がテーブルにこぼれ、とても行儀がいいとは言えないが、作った身としては見ていて悪い気はしない。


「気にするな。というより、河童を置き去りにされたまま帰られる方がきつい」

「てかさ、河童の分は作ってあげなくてよかったのかよ」

「本当に河童だったとしたらオムライスは食べないだろうからな。きゅうりが好物なわけだし」


 瑞々しくてさっぱりしているきゅうりと、濃厚な味わいのオムライスは食べ物としては全くの対極に位置している気がした。


「目覚めたら、コンビニで冷やし中華でも買ってくるよ」

 俺がそう言ったのと、「なんか、めっちゃいい匂いするんだけど」という声が聞こえたのはほぼ同時であった。


 待ちわびた瞬間は、唐突に訪れた。俺は反射的にベッドの方を振り向く。

 そこには、水かきの付いた手で寝ぼけ眼をこする河童の姿があった。

 散々焦らした割には、あまりにもあっさりした起床である。


「なあ島村、やっぱり河童もオムライスいけるんじゃないのか?」

 流石の拓郎も戸惑いの表情を見せていた。


 河童は嘴を大きく開けて暢気なあくびをした直後、異変に気付いたように顔をきょろきょろ動かす。

 呆けた表情で瞬きをした後、こう呟いた。


「おい、どこだよここ」

 河童は確かにそう言った。

 それが河童の言語で意味を持つ言葉でないのなら、彼は今日本語を話したことになる。


「すみません、ここは陸上です。川の中ではないんです」

 拓郎は恭しく河童に言う。


「は? お前何言ってんだ?」

 河童はひどく不快そうな顔をする。その話しぶりは実に流暢だ。


「川の中ってなんだよ。俺が魚面さかなづらしてるって言いてえのかよ。舐めてんのか?」

「いやいや、滅相もない」

 拓郎は慌てて胸の前で手を振る。

「凛々しくて男前で、まさしく河童の中の河童って感じです」

 俺も横で激しく頷く。


「意味わからねえ。お前、俺が河童に見えるってのかよ」

 河童が困ったようにそんなことを言うものだから、こちらも困惑せざるを得ない。


「そりゃあ」

 俺と拓郎は顔を見合わせる。

「見えますよ」


「はぁ?」

 河童はひどく怪訝な表情を浮かべた。

 警戒心というよりは、会話の通じない相手を前にしている。そんな目だ。


「なあ、拓郎」

「ああ」

 俺たちは小声で言って頷き合う。


「驚かせてしまってすみません。ここは俺の家です」

「何で俺がお前の家にいるんだよ。てか、お前ら誰だ?」


「俺は島村と言います。で、こっちにいるのは餅井拓郎」 

「どうも」


 俺と拓郎が名乗ると、河童は苛立ったように鼻を鳴らす。

「名前なんてどうだっていいんだよ。お前ら何者なんだ」


「何者って言うなら、俺たちは河童の恩人かな」

 拓郎が嬉しそうに答える。


 聞く相手を間違えたと思ったのか、河童は俺の方を見た。

 だが、拓郎の言ったことは事実なのだから俺も首肯するほかない。

 河童はますます苦い表情を浮かべる。


「さっき河原でパトロールしてたら、突然あんたが流れてきたんだ。だから、俺と島村でわざわざ川の中に入って、助け出してあげたんだぜ」

「は? パトロール?」

 拓郎の説明に、河童は怪訝そうな反応を見せる。


「そう、この町の平和を守るために、常に目を光らせてるんだよ」

「なんかお前ら怪しい奴らだな」

「いや、河童に言われたくない」


 俺が言うと、「ちょっと待て」と、河童はいよいよ黙っていられないと言うように叫んだ。

「あのさ、さっきからその、河童って何なんだよ」


 この反応、間違いない。俺は確信する。

「拓郎、手鏡持ってるか?」

「いや、持ってない」

「じゃあスマホのインカメでいいか」


 自分のスマホのカメラを起動し、河童に手渡す。

 河童は眉を顰めながらもそれを素直に受け取った。


「おい」

 画面を見た瞬間、河童は素っ頓狂な声を上げる。


「なんだよこれ」

 河童の肌から血の気が消える。

 いや、実際は真緑のまま何も変わらなかったのだが、少なくともそう見えてしまうほど、河童には動揺が滲んでいた。


「何で河童が映ってんだよ」

 河童は呆けた声でそう言った。

 

 間違いない。こいつは河童になった元・人間だ。

 そして河童になってしまったこと自体、本人は今初めて知ったのだ。


「もうわけわかんねえ」

 河童は呆然とした様子で、脱力してその場にへたれこむ。

 まるで尻子玉を抜かれたかのように。




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