第18話

 俺たちが河童と出会ったのは、日が傾き始め、夕日を反射した川面が橙に染まりつつある頃だった。


 堤防沿いの道には、ちょうど学校帰りの時間なのだろうか、自転車を駆る中高生が行き交っている。中には、友人同士でウィリー走行をして騒いでいる集団もいて、若いなぁと思いながら眺めていた。


「そうだ島村、もう一つ河童について面白い話があるんだけど。河童って実はこうも……」

「いや、もういいよ河童の話は」

 それより早く帰ろうぜ、と訴える。日も暮れているし、なにより何時間も自転車を漕ぎ続けて何の成果がなかった事が精神を疲弊させていた。


「何だよ島村、まだまだこれからだろ」

「勘弁してくれよ。俺はもうケツが痛いんだ」

「運動不足だな、島村。健全な精神は健全な肉体に宿る。見てろよ」

 拓郎はにやにやしながら、「跳べ、ダークサイクロン」と叫ぶ。そして、ウィリー走行を始めた。

 幼稚だなぁと思いながら眺めていると、案の定、拓郎はバランスを崩し、河原の斜面を自転車と共に転がり落ちていった。


 呆れて追いかけていくと、川に落ちる寸前のところで横たわっている拓郎の姿がある。

「あぶねえ、サワガニになるところだった」

「意味が分からん。お前は海の蟹だったのか」

「越前ガニだ」

「岐阜出身のくせに」


 手を貸すと、それを掴んだ拓郎がゆっくりと起き上がる。

「まさかこの俺がコケるとは。河童の川流れとはこのことだな」

 拓郎は衣服に付いた草や泥を払いながら、図に乗ったことを言う。

 また河童かよ、と辟易する。


「ほら、服も洗わなきゃだし早く帰ろうぜ」

「そうだな」

 観念したように拓郎は呟いた。

 ようやく帰れると思ったところで、拓郎は再び「おい島村、河童の川流れだ」と口にした。


 しつこいと言おうとしたところ、拓路は目の色を変え、歩いてずんずんと川の中へと入っていく。

 ズボンが濡れるのはお構いなしで、その足取りにはまるで躊躇いがない。

 まさか、川で服を洗うつもりなんじゃないだろうな。


「おい、何やってんだよ。サワガニになりたいのかよ」

 そう言ったときだ。

 ちょうど川の真ん中あたりで、人のような形の緑の何かが流されているのを見つける。拓郎はそれを追いかけていた。


「島村、ちょっと引き上げるのを手伝ってくれ」

 拓郎に言われ、俺も川の中へ入ってく。幸い、水深はそこまで深くなく、歩いて進んでいけた。

「おい、マジかよ。なんだよこれ」

「見てわかんないのかよ。河童だろ」

 拓郎が背負ってきたそれは、かの有名な妖怪、河童だった。


 いや、本当に河童なんて生き物がいるのかは自信がないが、頭に皿が乗っていて、甲羅を背負い、手には水かき、体色は緑であれば、もはや河童と見做して差支えないだろう。

 なぜかパイナップル柄のアロハシャツを着ているが、それは見ないこととする。


「おい、河童。大丈夫か?」

 拓郎の呼びかけにも返事はなく、微動だにしない。気を失っているらしい。


「とりあえず、岸まで引き上げよう」

 拓郎は近くにあった橋梁の高架下を指さす。

 俺たちはそのまま二人で河童を背負いそこまで運んだ。


「で、この河童どうするんだよ」

 何とかして救出したはいいが、溺れた河童の応急処置なんて習った記憶はない。まさか救急車を呼ぶわけにもいくまい。


「とりあえず息はしてるみたいだ」

 河童の口、というより嘴に耳を近づけて呼吸音を確認していた拓郎は、ほっとしたように言う。


「干からびてるわけでもないみたいだし、とりあえず陸に上げても問題なかったみたいだな」

 河童の皮膚を恐る恐る指で突いてみると、ねっとりとしたあんかけのような液が付着する。

 河童の体液なのだろうか? 

 触って大丈夫なものだったか不安になる。

「ちょっときゅうり臭いかも」


 指に付着した粘液を川に濯いでいるうちに、拓郎はどこかに電話をかけていた。

 だが、「河童を拾ったんですけど」「いや、ふざけているわけじゃなくて」「なんで犬はよくて、河童は駄目なんですか」などと話した後、通話を切られたらしく思い切り顔を顰めた。


「保健所じゃ河童は引き取ってくれないって」

「そりゃそうだろ」

 むしろ、本当に引き取りに来たらどうするつもりだったのかと言いたくなる。


「それなら、もう島村の家に連れてくしかないか」

「何でそうなる」

「だって俺のアパートはペット禁止だし」

「そんなん言ったら、うちだってそうだよ」

「頼むよ島村。今、部屋が散らかっててとても人を上げられるような状態じゃないんだ」

「人じゃなくて河童だろ」

「屁理屈言うなよ」

 お前が言うなと言いたくなるが、これ以上不毛な言い争いをしても仕方がない。


「とは言っても、このまま運ぶにしたって相当目立つぞ」

「それなら、あれを使うか」

 拓郎は、橋脚の脇に置いてあったビニールシートを引き摺るように持ってくる。

「これに河童を包むのか?」

「それしかないだろ」


 まあ何もしないよりは。

 そう思い二人で河童の身体にビニールシートを巻き始める。

 大学生二人が河原で河童の梱包作業をしている様は、傍から見ればさぞ奇妙に映ることだろう。見つかって通報されなくて、本当によかった。


「なあ島村。なんかこれって、河童のミイラ作ってるみたいだな」

 拓郎が縁起でもないことを言う。


「こいつまだ生きてるだろ」

 そうは言ったものの、お前本当に生きてるんだよな? と、ビニールシートでぐるぐる巻きにされた河童に問いかけたくなる。

 



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