カニマン

第16話

　拓郎から電話がかかってきたのは、家に着いた直後だった。

「島村、お前何で午後の講義サボってんだよ」

「うるさいな。こっちもこっちで大変だったんだよ」

　お前のいたサークルの奴らといきなりランチさせられてどれだけしんどかったか、と言ってやりたくなるが、それを拓郎に言っても仕方ない。

「は？　もしかして、襲われたのか？」

　拓郎が慌てたように言うが、どういう心配なのだと思う。

「意味が分からん。違うよ、普通にサボりだ。さっきまで渡海と昼飯食ってたんだ」

　渡海たち、とは敢えて言わなかった。

「そうか、よかった」

　拓郎がほっとしたような声を出す。

「よくねえよ」

　こっちがどれだけ気まずい思いをしたと思ってる。

「渡海はなんか言ってたのか？」

「ああ、そういえば。その事なんだがな」

　一応情報共有はしておいた方がいいと思い、先ほどカニマンについて渡海と話したことを拓郎にも伝えた。

　渡海がカニマンの着ている服を気にしていたので、日常生活でカニマンの時と同じ服を着るのはやめておいた方がいいと言うのも忘れなかった。

「なんだ、そんなことか」

「そんなことって、大事な事だろ」

「それで島村は、渡海に俺の正体がバレるかもって心配してるのか」

「用心に越したことはないだろ」

「普通にしてりゃバレないと思うけどな」

「お前はその普通すら怪しいんだよ」

「はいはい、とりあえず渡海と話すときは気を付けるよ」

「渡海もそうだし、あと涌井とかもな」

「ああ、そうだな」

　拓郎は納得したように言う。

「それで？」

　電話をかけてきたのは、そもそも拓郎だったことを思い出す。

「何の用事だったんだよ」

「何のって、そりゃパトロールのお誘いに決まってるだろ」

「パトロール？　今から？」

「今から」

　拓郎は当然と言わんばかりに答える。

「昨日の今日だぞ？」

　あんな火事があった日の翌日だというのに、流石にハードワークすぎやしないかと思う。

　昨日からあまりにも予期せぬ出来事の連続で、俺だって気持ちの整理がまるでできていないのだ。

「今日くらいは休んでもいいんじゃないか？」

「ありがとう島村、でも俺もう元気だからさ」

「いや、お前の心配をしたわけじゃないんだが」

　ただ、昨日何をしたわけでもない俺だけ休みたいというのも変な話だ。役者本人がやると言うのなら、マネージャーとしては付いていくほかない。

「それにな島村、最近何かと物騒な事件が多いだろ？」

「ああ、五十万のリザードンか」

「リザードン？」

「いや、なんでもない。強盗事件がこんなにも頻発してるのは正直怖いよな。犯人まだ捕まってないらしいし」

「それも何とかしないとだけど。後はほら、同じ法学部の女の子」

「ああ」

　拓郎が言っているのは、俺たちの学部の女子学生が一人、行方不明になっているという話だろう。

　面識はなかったが、カワイだかカワシマだか、そんな名前だったはずだ。

　一か月ほど前から急に失踪したらしい。

　大学構内で、その学生の友人たちが目撃情報を集めるためのビラを配っていたのをよく覚えている。知人だったのかボランティアサークルとしての活動なのかは知らないが、渡海もそれを手伝っていた。

　金銭トラブルで雲隠れしたとか、痴情のもつれで殺されたとか根も葉もない噂が立っているようだが、未だに見つかっていないのは確かなようだ。

「市民は今、この時に助けを求めているんだよ。俺たちがいかないでどうする」

「普通に警察がどうにかするだろ」

「警察じゃ手に負えないことだってあるだろ」

「警察で手に負えないなら、カニマンにも無理だろ」

「まあな」

　拓郎はあっさりと認める。

「ただ、それでも俺が人を助けなくていい理由にはならない」

　まるで何かの義務があって人を助けているかのような大層な口ぶりだが、水を差すのも野暮なので口を噤む。

「それに」

「それに？」

　拓郎は何か言いかけたが、「やっぱり後で話す」と言い直す。

「やめろよ、そういうの」

「なんというか、電話で話すようなことじゃないしな」

　それならそのまま胸の内にしまっておいてくれないかと思いながら、待ち合わせ場所の確認だけして電話を切った。