第14話

「そしたらさ、山神先生、授業放棄してそのまま帰っちゃたんだよ。なあ、島村?」

「え、でもそれ雄二は悪くないじゃん」

「そうそう、全然悪くない」

「……」


「あ、そういえばさ。この前俺、駅前のカフェで島村に会ったじゃん? その後なんだけどさ……」

「え、駅前のカフェってパンが美味しいって有名なとこ? いいなー、あたし行ったことない」

「今度三人で一緒に行こうよ、ね? 雄二?」

「……」


 来たことを後悔するまでに、さほど時間はかからなかった。

 山田と里中は俺に気を遣うことなく、というより意図的に会話に入れないようにしているのでは、としか思えないほど渡海だけに声をかけ続けている。

 誰が何を保障してくれていたわけでもないが、話が違うではないか、と言いたい気分だった。


 敬遠ばかりで勝負してもらえない四番打者みたいだなと思ったが、話題を振ってもらったところで、俺のトーク力では内野ゴロみたいなコメントしか言えないであろうことは残念である。

 

「そういえば、島村は知ってるか?」

 自分から誘った手前、という思いがあるのか渡海は俺に話題を振ることを止めなかった。

「何がだ?」

「カニマンだよ」

 今日はどこに行ってもその話題だなと思う。感心半分、辟易半分といった気分だ。


「ああ、昨日の火事の事か?」

「やっぱり知ってるか。実は前々から市内で人助けしてたみたいだけど」

「らしいな」

「昨日はすごかったな。ドラマでも見ているような気分だった。それこそ子供の頃に見てた、仮面カイザーとかみたいな」

「ああ、天網恢恢疎にして漏らさず?」

「そう。天網恢恢疎にして漏らさず」

 渡海が笑う。その言葉は、俺たちが子供のころにやっていたヒーロー番組の主人公、『仮面カイザー』の決め台詞だったからだ。

「あんなにかっこよくはないと思う」


「でもほら。最近、S市内って事件が多いだろ? ここのところ立て続けに強盗騒ぎとか起きてるし」

「ああ。先月は宝石店が狙われて、今月はカードショップだっけ?」

「そうそう。五十万のリザードンが盗まれたらしい」

 五十万という数字に、不謹慎ながら生唾を飲む。カードゲームというよりは、イラスト付きの株券と言った方がしっくりくる。

 とりあえず、今度実家に帰ったらカードボックスを漁ってみることとしよう。意外な掘り出し物が見つかるかもしれない。


「でも確か、まだ犯人は捕まってないんだよな?」

 渡海は「らしいな」と頷き、緑茶に口を付けた。

「だからさ。まあなんというか、街にカニマンみたいなのがいると、ちょっと安心するよな」

「カニマン自身が危なくないという保証はないけど」

「それはそうだけど。いったい何者なんだろうな、カニマンって」

「さあね。あんな化け物じみた奴の正体なんて、全く見当もつかないよ」

「なあ、島村はカニマンってどんな奴だと思う?」

 図々しくて能天気なお前の同級生だ、なんて言えるはずもなく、どう答えるべきか悩んでいるうちに横から声が飛んでくる。


「私は嫌いかな。見た目グロくて気持ち悪いもん」

「うん、生理的に無理」

 里中の言葉に山田も同意する。昨日店に来た大学生の客もそうだったが、カニマンのビジュアルは若年層には相当評判が悪いらしい。

「ひどい言い様だなぁ」

 渡海は困ったように笑う。


「だってマジでキモイじゃん。あんな格好して街中うろつくとか流石にありえなくない?」

「でも、昨日の火事で子供を助けたのは本当に凄かった。他にも、色々と人助けをしてるんだろ」

「それもなんだか怪しいよね。偽善者っぽいっていうか。ヒーロー気取って目立ちたがってるだけじゃないの?」

「絶対暇した学生とかフリーターとかだよね。来てる服も芋っぽいし」

 渡海のフォローも虚しく、山田と里中は口々にカニマンへの非難を口にした。  

 散々な言われように、拓郎に同情せざるを得ない。


「同じ市内にいるってだけで、正直気味が悪いよね」

 山田が吐き捨てるように言う。

「もしかすると、市内どころか同じ学校にいたりして」

 彼女の言い方に流石にむっとして、意地悪なことを口走ってしまう。

 敬遠策に根負けして、あからさまなボール球に手を出した。


 案の定、山田が俺を睨む。

「だったら早くどっか行ってほしいんだけど」

 まるで、お前がカニマンなのではないかと言うような言い方だった。俺は委縮して何も言えなくなってしまう。


「でもさ、俺は結構カニマン好きなんだよね」

 渡海がそう言うと、山田は目の色を変えて「まあ変わってるけど、悪い人ではないんだろうね」なんて言うものだから開いた口が塞がらない。

「昨日の火事は俺もニュースで見ていたんだけどさ。感動してちょっと涙出てきちゃったんだよな」

「わかる」

 山田と里中は、いかにもといった表情で頷く。


「色々とやかく言う人もいるけどさ、やっぱり心から人助けをしたいと思っている人じゃなければあんなことは出来ないよ。きっと素顔は誠実で高潔でモラルと良識に満ち溢れた人物に違いないと思うんだ」


「いや、流石にそこまで崇高な奴ではないと思うけど」

 俺が言うとすかさず、「ねえ、知りもしない人の事そんな風に言うのよくないんじゃない?」と、里中が物申してくる。ホームベースの位置をずらされた気分だ。

 おいお前から何か言ってくれよ、と渡海に視線を向けるが、何故か黙ってこちらを見ているだけだった。審判はストライクともボールとも言わない。


 結局、午後の講義が始まる時刻が近づいてきたため、山田と里中はそこで席を立った。

 じゃあまた、と渡海にだけ声をかけて足早に立ち去っていく。本当は渡海と三人で来るはずだったところを邪魔してしまい、申し訳なく思った。


 渡海はなぜか席に残ったまま、優雅に緑茶を啜っている。

「なあ、渡海も行かなくていいのか?」

「午後は休講なんだ。島村こそ」

「俺はなんか気乗りがしなくてな。今日はもう疲れた」

「そんな簡単にサボるなよ」

 渡海が呆れたように笑った。


「誰のせいでこんなに疲れたと思ってんだよ」

「誰のせいだろうな」

「渡海に言うのも申し訳ないけど、こんなに気まずいランチは初めてだった」

「悪かったよ、まさかこんなに島村がアウェーになるとは」

「アウェーどころか、サッカーしに来たつもりでいたら野球場だったみたいな気分だ」

 渡海は少しばつの悪そうな表情を浮かべた。


「何で俺を誘ったんだよ」

 元々サークルのメンバーで食事する予定だったところに部外者を入れて会話が弾むはずがないなんて、考えなくてもわかることだ。

 お前はそんなに空気の読めない男だったか? と不満をぶつけたくなる。


「だって島村さ、餅井と仲いいだろ」

 渡海は苦い顔でそう言う。だが、何が「だって」なのか理解できない。

「拓郎? 何で拓郎?」

「ほら、さっきも話したけど餅井は俺らのサークル辞めただろ?」

「それが何か関係あるのかよ」 

「だから島村にあの子らと話してもらって、悪い奴らじゃないってことはわかってほしかったんだ。まあ逆効果だったみたいだけど」

 渡海は申し訳ないという風にそう言うが、話がまるで見えてこない。


「どういうことだよ。なんで拓郎がサークル辞めると、俺がお前たちに悪印象を持つっていうんだ」

 風が吹けば桶屋が儲かる、みたいな話をされているようで混乱する。


「もしかして、餅井から聞いてないのか?」

 渡海は意外そうな表情を浮かべる。

「サークル辞めた理由ってことか? そんなの聞いてない。なんかあったのか? いやまあ、その言い方だと何かあったんだろうけど」


 少し考えるようにしたあと、渡海は「いや」と言った。

「それなら、俺から言う事でもない。忘れてくれ」

「それ言われて、なるほどそうですかって忘れられる奴いるのかよ」

「俺なら絶対無理だけど忘れてくれ」

 なんだよそれ、と思うが、俺としてもわざわざ過去のトラブルをほじくり返すような野暮なことはしたくなかったし、正直に言えばそこまで関心があるわけでもなかった。


「それよりさ、島村はカニマンについてどう思う?」

「話題の変え方が無理矢理すぎるだろ」

 リラックスした様子で、さもない雑談というように話を振ってきたが、渡海の目の奥はじっとこちらを見つめている。


「しかもなんだよ、そのうぶな高校生みたいな質問。何? お前カニマンの事好きなわけ?」

「そうだよ。さっきも言ったけど俺はカニマンが結構好きなんだ」

「ああ、そう。悪いけど、俺は渡海ほどカニマンのファンってわけじゃないよ。まあ、立派な奴だとは思うけどね」

「それだけか?」

 渡海はまだ俺に意見を求めてくる。涌井もそうだったが、昨日の一件で随分カニマンの熱烈なファンが増えたものだ。


「それだけってなんだよ。実は俺もカニマンの事ずっと前から狙ってたんだ、なんて言ったら困るのか? そんなことは絶対にないから安心して告って来い」

 半ば投げやりに答えると、渡海は「出来るならそうしたいかもな」なんて言うものだから返事に困る。


「渡海って、もしかして重度のケモナー?」

「ケモナーってなんだ?」

「いや、知らないならいい」

「あのさ」

 俺の恥ずかしい推測を気に留めることもなく、渡海は真面目な顔をして言った。

「もしそうだったら正直に言ってほしいんだけど」

「何だよ」


「島村って、カニマンの正体を知ってるんじゃないか?」

「え?」

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