第10話

「よかった。本当によかったね、島村ちゃん」

 カニマンによる救出劇から十分ほど時間が経ち、子供の命に別状はないことが報道された。

 消火活動は依然続いているが、子供が救出されてからのニュース番組には、どこかひと段落と言った雰囲気が感じられた。


『繰り返します。カニマンによって救出された子供は、たった今命に別状はないことが確認されました。呼吸器系に障害が見られるようですが、症状は重くないという事です』

 現場のリポーターは興奮冷めやらぬ様子で、カニマンの功績と子供の無事を何度もカメラに向けて訴えかけている。


「気味の悪いコスプレなんて言っちゃって悪かったかな」

 店長が申し訳なさそうに言った。

「こんなの見たら、俺もカニマンのファンにならざるを得ないよなぁ。なあ、島村ちゃん」

「そうですね」

 生き生きと語る店長の声に反して、自分が発した言葉は随分冷めているように聞こえた。


 と、そこで「すみません、5人です」と来客があった。大学生らしき若い男たちを席に案内する。

 その後も火事のニュースが一段落するのを見計らったかのように、ぞろぞろと客が入り始めた。

「なんか急に来たねえ。さ、仕事仕事」

 店長はぱんと手を叩き、厨房へ戻っていく。


 どこか別の店と間違えているのではないか、そう疑いたくなるほど客足は途絶えず、気付けば満席となっていた。この店でまさかこんな光景を見れるとは、と小さな感動すら覚える。

 次々に注文が殺到し目がまわるほどの忙しさであったが、火事のニュースを、命懸けで子供を助けた拓郎を見た後に芽生えた、鬱屈とした感情を忘れるにはちょうど良かった。


「カニマンって、なんかしたの?」

 注文が一段落した後に、ふと耳に入ったのは、最初に入店した大学生の声だった。テレビでは未だに火事とカニマンの事が取り上げられているらしい。

 餃子の準備をしながら、聞き耳を立ててしまう。

「知らん」

「なんか市内で火事があって、マンションに取り残された子供助けたんだってさ」

「ふうん」

 大学生たちはカニマンについて話題にしたものの、あまり関心はなさそうだ。みな、視線は手元のスマートフォンに向いていた。


「てかさ、カニマンって気持ち悪いよな」

 大学生の一人が口にした。

 聞いた瞬間、「お前、さっき拓郎がどれほど命懸けで」と怒りが湧く。

 それを察知した訳ではないだろうが、大学生は「あ、見た目の話ね」と付け足した。周りの友人たちは、「確かに」と同意する。


 それについては否定できないなと思った。

 ただ、あれは『かにじる』を飲んじゃったせいなんだ、拓郎が悪いわけじゃないんだ、と弁解したくなる。改めて、『かにじる』は馬鹿らしいなと思った。

 拓郎がこれを聞いていたら、さぞショックを受けるに違いない。


 そう考えていたところ、『それでは現場のカニマンさんに繋ぎます。どうぞ』とキャスターの声がしたのだから驚かずにはいられない。

 映像がスタジオから切り替わると、大学生が気持ち悪いと評したカニマンの姿が映し出される。アップで顔を映されると、ぶつぶつした赤い顔面に黒い目玉が浮き出ており、なるほど、これは確かに気持ち悪いなと思ってしまう。


 着ていたジャージはほとんど焼け焦げており、もはや半分着ていないような状態で、酷くみすぼらしく見える。特にズボンの損傷がひどく、人間の状態であったなら、局部が丸見えになってしまうところだった。


 画面の中のカニマンは、ヒーローインタビューを受ける野球選手さながらに手を振っている。

 拓郎、お前何やってんだよ。


『カニマンさん、本日は大健闘でした』

 リポーターは興奮した表情でカニマンにマイクを向ける。

 まさか拓郎は目立ちたいが故に、こんな所にのこのこ出てきたんじゃないだろうなと不安になる。

 変身を解いてインタビューに応じるつもりか?

 拓郎の、あのはしゃぎようを思い返すと、ありえなくもない。

 だが、カニマンが人間に戻る瞬間など、テレビで流していいはずがない。とんだ放送事故になる。


 カニマンは、これから話しますと言わんばかりにカメラに向かって一礼した。

 やめろ馬鹿。心の中で強く非難の声を上げる。

 しかし、ここで拓郎は予想外の行動を取った。


 頭上で腕を交差させると、カチカチ、と鋏を2回ぶつけて叩いたのだ。

 

 画面の中には静寂が流れ、リポーターは「は?」と声に出した。

 テレビを見ている大学生たちも、呆けた表情で固まっている。

 店長は必死に鉄鍋を振っていた。


 画面の中のカニマンは、もう一度鋏を2回叩く。

 誰もがカニマンの奇行に疑問符を浮かべている中、俺にだけ頭の中に光るものがあった。

 あれだ。『ヘルプ』のサインだ。


「頭上で腕を交差させて鋏を2回叩いたらすぐに来てくれ」

 あいつは確かそう言っていた。


 つまり、あいつは何千人何万人が見ているともわからない公共の電波を使って、俺だけに合図を出している。助けに来てくれ、と。

 カニマンは最後に、頭をさするように手を回す謎の仕草を取った。そして、そのまま彼は走り去って、画面からフェードアウトしていった。


『今のは一体何だったのでしょうか?」

 キャスターが困惑を隠さず呟いた。リポーターは口をぽかんと開けたまま、答えられずにいる。

 その答えは、おそらく俺だけが理解していた。


 着替えだ。

 変身汁でびちょびちょになったどころじゃない。あんなボロボロに燃えた服じゃ、家まで帰れるわけがない。


 納得はする。ただ、だからってそんなサイン出したところで俺が見てるかどうかもわからないじゃないかと思う。

 馬鹿じゃねえの。何やってんだよ。


 そう思った瞬間に、「お前こそ何やってんだよ」と心のどこかで声がした。

「あいつは命懸けで子供を助けたぞ。お前は何やってんだ」と。


「でも、実際あの子供に対して何ができたわけでもあるまい」

 俺は自分にそう言い訳する。

「確かにその通りだ。でもそれでいいのか?」


 いい訳がない。でもどうすれば? すぐに答えは出た。

「拓郎を助けることは俺にも出来る」

 問いかけてきた自分が、「まあ、今は着替え持っていくくらいしかできないけどな」と笑った。


 上等じゃないか。

 このままじゃあいつは露出狂だ。マネージャーとして、そんなスキャンダルを見過ごすわけにはいかない。


「店長、この店って副業しても大丈夫ですか?」

「え? 島村ちゃん、本業のつもりだったの?」


 店長の返事を聞くより早く、俺はエプロンを脱いでいた。

「お先に失礼します。お疲れさまでした」

 そう言い残すと、俺は店を出て全力で駆けた。


 急いで家に服を取りに行かないと。カニマンへの変身がいつまで続けられるものなのかはわからない。

 拓郎が公然わいせつ罪で捕まるまでに間に合うだろうか。


 いや、大丈夫だ。きっと間に合う。俺の愛車『ここあちゃん』の性能は、そんじょそこらのチャリとは段違いなのだから。

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