第7話

「じゃあ、明日からマネージャーよろしくな」

「いや、まだやると決まったわけじゃ」

 拓郎には一旦帰ってもらい、マネージャー契約交渉はお開きとすることになった。

 円満に雇用契約が結ばれたからでは当然ない。

 俺がバイトに行かなければならない時間となったからだ。


「じゃあ、俺はこのままパトロールに行くよ」

 拓郎は去り際、そんなことを言った。

「パトロールって、いつもお前そんなことをしているのか?」

「まあな、いやそんな大したことじゃないって」

 拓郎は嬉しそうに言う。

 言外に「暇なんだな」という意味を込めたつもりだったのだが、どうやら通じなかったらしい。


「パトロールって何するんだよ。この辺を歩いて回るってだけなのか?」

「いやいや、この辺をチャリで見て回るんだよ」

「同じだろ」

「全然違うって。俺の『マシンダークサイクロン』はな、スピードも馬力もそんじょそこらのチャリとは段違いで捜索範囲が格段に……」

「わかったわかった」

 拓郎の愛車自慢を諫める。ホームセンターで買った三段ギアの普通のママチャリであることを俺は知っていた。


「バイトは何時まで?」

「閉店まで。だから今日はもうお前には付き合えんぞ」

「あ、そう。じゃあパトロール終わったら島村の店行こうかな」

「いいよ、来なくて」


 俺がアルバイトしているのは、大学近くの古い中華食堂だった。

 レジ脇の本棚に『ゴルゴ13』や『ミナミの帝王』が置かれ、壁に手書きのメニューが張ってあるような店だ。外観は明らかに古い耐震基準で造られたとわかる寂れた佇まいであるが、味は何を食べても外れがない。


「いいじゃん。この前行った時だって、島村暇そうにテレビ見てたし」

「あの時はたまたま客入りが悪かったんだよ。いつもは忙しくしてるって」

 店の名誉のためにも、一応反論しておく。拓郎はそれを笑って聞き流した。

「じゃあ、あとでパトロールの活動報告に行くから」

 拓郎はそう言い残すと、『マシンダークサイクロン』を駆って颯爽と立ち去っていったのだった。




「どうしたの島村ちゃん、ぼうっとして」

 いつも通りカウンターの丸椅子に腰かけて、ぼんやり壁掛けのテレビを眺めていると、店長に呼び掛けられる。店内に客はおらず、閑古鳥が鳴くどころか巣を作っているような状態だが、これがこの店の平常運転だった。


「すみません。暇だったもんで、ちょっと考え事しちゃってました」

「暇にさせて悪かったね」

 店長が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 

 そういえば、と思い店長に尋ねる。

「店長はカニマンって知ってますか?」

「カニ饅? もしかして新メニューのアイデア?」

「いや、違いますよ。最近この辺でよく出没する、ヒーローを騙った不審者です。蟹の格好の」

「ああ、夕方のニュースなんかでたまに見るよね。なんかちょっと気味の悪いコスプレしてる」

「そうです、そいつです」

「そのカニマンちゃんがどうしたの?」


 無精ひげを生やした体格のいい中年男性の店長は、誰にでも「ちゃん」付けで呼ぶ癖がある。

 親しみがあって嫌いではないのだが、カニマンちゃんは流石にないだろうと思う。


「店長はカニマンについてどう思いますか?」

「え、それどういう意味の質問? 島村ちゃん、彼のファンなの?」

「いえ、全然」

 ファンどころか、マネージャーにさせられようとしています。などとは口が裂けても言えない。

「うーん。よく知らないけど、色艶がいいし、身もたっぷり詰まってそうだし、悪くないと思うよ。かに玉とかにしたら美味しく食べられるんじゃないかな」

 聞く相手を間違えたなと思い、適当な相槌を打って話を終える。


 視線をまたテレビに戻す。俺たちの大学で撮影のあった、氷見可憐ひみかれんが主演する映画のコマーシャルや、市内で頻発する強盗事件のニュースなどが代わる代わる映し出されていたが、内容は全く頭に入ってこない。


 さっきからずっと、思考の回路を我が物顔でぐるぐる回っているのは、拓郎とカニマンのことだ。

 あいつがカニマンの正体だったという事にも驚いたが、まさかあんな身体ごと変身しているものだとは夢にも思わなかった。まるっきり化け物ではないか。

 しかも、そいつが自分のマネージャーになってくれだなんて言うものだから、悪い夢でも見ているような気分だ。


 正直に言って、拓郎の頼みは断るつもりであった。

 カニマンのマネージャーなんてやるわけがない。


 ただ、一度助けてもらっている手前、あまり無下にもしづらいのも事実だ。上手いこと言い訳を探して、拓郎を納得させなければなるまい。

 バイトが忙しいというのはどうだろうか。

 いや、めちゃくちゃ暇だし無理があるか。


 そんなことを考えていたのを見透かされたわけではないだろうが、「島村ちゃん、やることないなら倉庫からビールのケース出してきてもらってもいい?」と店長の声がした。


 裏口から外に出ると、日は傾き始めており、夏の夜の匂いが鼻に触れる。アブラゼミの合唱は鳴りを潜めており、代わりにオケラやキリギリスの鳴き声が、薄ぼんやりした景色にたなびいていた。

 倉庫の周りを飛び回っている羽虫を手で払いながら、鍵を開ける。相変わらず建て付けが悪く扉は硬かったが、乱暴にこじ開けた。


「暑いな」

 ビール瓶のケースを持ち上げたときには、もう汗だくとなっている。

 夜の空気が蒸すように生暖かいのはいつもの事であるが、今日は一段と熱気があるように感じられる。肌にまとわりつく汗が心地悪い。


 それにしても、と思う。

 拓郎は何故あんなにはしゃいでいられるのだろうか。

 暢気というか緊張感がないというか。


 さっき辞めたと言っていたが、拓郎は大学内のボランティアサークルに所属していた。部長の渡海とかいが言うには、活動にも結構熱心だったらしい。

 だから人助けがしたいというのは嘘ではないと思う。

 ただそれ以上に、拓郎は自分がカニマンであることを楽しんでいるのではないか、そう感じてしまっていた。


 カニマンになった原因も、自分の身体にどんなリスクがあるのかも全くわかっていないのに、それをラッキーだと思えるような感性は、どうしても理解できない。


 正直に言ってしまえば、大学生にもなってヒーロー気取りでカニマンなんて名乗っている拓郎を、俺は少し軽蔑していた。


 そんなことを考えていると、耳元で蚊の羽音が聞こえた。刺されるのは御免なので、倉庫を閉めて足早に店内へと戻る。


 そういえば、拓郎はもうパトロールを終えたのだろうか。うちの店に来るかもなんて言っていたが、まさか本気じゃないだろうな? と思う。

 店内に戻ったら、ひょっこり俺の前に現れるのではないか。

 嫌な予感に、身震いする。

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