第6話


 俺と拓郎は、自転車を押しながら一級河川沿いの堤防を歩いていた。

 土手に生えた雑草は連日の晴天に育まれ、ものぐさな大学生の髪のように好き放題伸びきっている。

 どこかで野球でもやっているのか、子供たちの溌剌とした声や、小気味のいいバットの快音が耳に運ばれてくる。


 外に出よう、と言い出したのは俺だった。

 特に用事があったわけではない。

 ただ、あまりにも非現実的なものを目の当たりにしすぎて、少しでも現実のありがたみというものに触れたくなったからかもしれない。

 部屋が蟹臭かったから、というのももちろんある。


「よし、決めた」

 拓郎は突然、思いついたように言う。

「鋏を交差させて、カチカチ、って2回叩いたら、『ヘルプ』のサインな。ほら、こんな感じで」

 拓郎は頭上で腕を交差させると、手を2回叩いた。

「俺がこれやったら、すぐ来てくれの合図だ」

「ちょっと待て。いきなり何レクチャー始めてんだよ」

「何って、マネージャーやってもらうんだから、いざっていうときの合図は決めた方がいいだろ? ほら、俺変身したら喋れないし」

 拓郎はさも当り前のように言う。


「さっきの話、本気なのかよ」

 俺は尋ねた。嘆いた、と言った方が正しいかもしれない。

「俺にマネージャーやれって、本気で言ってるのか?」


「当り前だろ。お前にやってもらわないと困るんだよ」

「勝手に決めるな。俺はやるなんて一言も言ってないだろ」

「頼むよ島村。そう難しい事じゃないんだ。誰にでもできる仕事だよ」

「お前さっき、俺にしか頼めないって言ったじゃないか」

「そうだ、島村にしか頼めない誰でもできる仕事なんだよ」

「意味が分からん」

「島村、お前にやってほしい事なんだよ」

「それがカニマンの」

「マネージャー」


 言っている拓郎に全くふざけている様子がなく、本気で言っているのかどうかも判別がつかない。ふざけているのだとしたら腹立たしいし、本気なのだとしたら余計に質が悪い。


「島村もしかして、嫌なのか?」

「嫌に決まってるだろ」

「あ、マネージャーが駄目なら付き人でもいいんだけど」

「なんか格が下がってないか。それ」

「秘書ならどうだ?」

「呼び方変えても駄目なものは駄目だ」

「わからねえ、一体何が不満なんだっていうんだよ」

「カニマンのマネージャーやる事が不満なんだよ」

 逆に、何故こんな事を二つ返事で引き受けてもらえると思っていたのか。


「大体、カニマンのマネージャーって何やるんだよ。お前のスケジュール管理でもするのか? 午前の講義が終わったら駅前でコンビニ強盗の制圧、その後休憩を挟んで、国道でトラックに轢かれる予定の子供の救出です。なんて、教えてやれって言うのかよ」

「いや、そういうのはいいよ」

「じゃあ何やるんだよ」

「ええと、どうしよう。何やってもらおうか」

「そこ決まってないのかよ」

「例えばそうだな、荷物持ちやってくれよ。俺の着替えとか」

「着替え?」


 聞き返すと、拓郎は自分の着ているTシャツを指さす。俺が彼に貸したものだ。

 拓郎が来ていた服は変身汁まみれになったため、今頃洗濯機の中で洗剤と共に、もみくちゃにされているはずだ。 


「なるほどな。確かに変身した後、あんな蟹臭くてびしょびしょの服着て帰りたくはないわな」

「だろ? よし決まりだ。よろしくな、島村」

「いや、ちょっと待てよ」

 あまりにも性急な決定に待ったをかけざるを得ない。


「俺がやるなんて一言も言ってないだろ」

「じゃあ誰がやるって言うんだよ」

「俺以外の誰だっていいだろ」

「島村じゃなきゃ駄目なんだって」

「それがよくわかんないんだよなぁ」


 さっきから、勧誘がしつこすぎるというか、結論ありきで話しているように聞こえてならない。それがどうにも釈然としないのだ。

 もちろん、釈然としたところでカニマンのマネージャーなんてやる訳がないが。


 ばすん、ばすんと音を立てながら、目の前を白球がバウンドして横切った。

「すみませーん」

 小学校高学年くらいだろうか、グローブをはめたスポーツ刈りの少年が、土手のグラウンドから大きく手を両手を振っている。

「取ってくださーい」

 拓郎は転がっているボールを拾い上げる。

「ほらよ、将来は野球選手か? 頑張れよ、少年」

 尊大な口調で、無駄にスナップを利かせボールを投げ返した。


 格好つけた割に、拓郎の投げた球はひょろひょろとした軌道を描き、少年の手元に届くころには地面を転がっていた。

 ボールを拾い上げると、少年はこちらに向かって叫んだ。

「将来は株と不動産で稼いで、悠々自適に暮らすつもりです」

 彼は一礼して、また友人の輪の中に戻っていく。


「最近の小学生はしっかりしてるんだか、ちゃっかりしてるんだか」

 俺が言うと、拓郎は「子供ってのは自分に都合にいい世界しか見えてないからな。これから社会の厳しさを知っていくのさ」なんて知った風な口を利く。


「なあ拓郎、お前は何でカニマンなんかやってるんだよ」

 俺はふと、疑問に思ったことを口にした。

「そりゃあ、困ってる人を助けたいからに決まってるだろ」

 拓郎はあっけらかんと言う。

「本当か?」

「本当本当」

 拓郎の話しぶりはどこまでも軽い。

「何だよ島村、俺の道徳心を疑ってるのかよ」

「だってさ、普通ありえないだろ。体がそんな化け物みたいになったっていうのに、何でそんな平然としてるんだよ」

「化け物って、ひどいなぁ」

 へらへら笑っているのが、少しだけ腹立たしく感じる。


「せっかくカニマンになったんだからさ、この力はやっぱり世のため人のために使わないとって思っただけだよ」

「普通は、『体が蟹人間になっちまった。よし、じゃあヒーローでもやるか』なんて考えねえよ」

「実はな、前々からこんな力があればいいなとは思ってたんだ。もっと人の役に立てるような自分になりたいって。だから、カニマンはまさに地獄で仏、渡りに船、鬼に金棒ってやつだな」

「鬼に金棒は意味が違うだろ」

 

「でもさ、カニマンはやっぱり市民にとって必要だと思うんだよ。自分で言うのもなんだけど、これまでも何人も助けてきたわけだしさ」

「本当に自分で言うな。まあ、間違ってはいないけど」

 俺もその、助けられたうちの一人ではある。ただ、本人からそう言われてしまうのはどうも釈然としない。

「それにS市内は最近どうも物騒だろ? 特にここ一か月は、強盗事件が何件も起きてたりするし」

「強盗って。お前、そんなのにまで首突っ込む気でいるのかよ」

「そりゃ、俺はカニマンだからな。俺が街を守らないと」

「いや、冗談だろ?」


 流石にしゃしゃりすぎじゃないのか、と思う。

 要するに拓郎は、カニマンを名乗って人助けをして、ヒーローを気取りたいだけではないのか。そんな風に考えてしまう自分がいた。

「だからさ、マネージャーよろしく頼むよ」

 そう言われても、感情は完全に萎えてしまっていた。


「やっぱりお前のお遊びに付き合う気にはなれない。他を当たってくれ」

 俺は素っ気なく言う。


「何でそんな寂しいこと言うんだよ」

「いや、他にも人はいるだろって。サークルの奴らとかはどうなんだよ」

「ああ、サークルは結構前に辞めた」

「いつの間に。でも、渡海とかいとはたまに話してるじゃん」

「あいつくらいだな。俺と話してくれるのは」

「ゼミの方は? 永井とか佐村河内さむらごうちとか」

「永井はいつもバイトで忙しそうだろ。佐村河内は最近顔あんま見ないし」

「というか、涌井でいいじゃん。あいつなら、むしろ喜んでやるだろ」

「ああ、涌井はもっと駄目」

「なんでだよ」

「それはその」

 拓郎は言い淀んで、少し目を泳がせた。


 いいぞ、と思った。否定材料がないなら、このままこの七面倒な役割を押し付けてしまおう。そう内心でほくそ笑んだところで、拓郎は開き直るように言った。


「万が一怪我でもしたら、危ないじゃないか」

「おい、俺は危ない目にあってもいいのかよ」

「そういうわけじゃないけどさ。島村なら何とかするだろ、多分」

「多分」

「それに何より」

「なんだよ」


「島村はカニマンに助けられてる。だろ?」

 その一言で、俺は言葉に詰まる。


 こいつ、本当にいい性格しているよな、と素直に思った。基本的にどこか抜けているというか能天気なくせに、こういう所は抜け目ない。

 無論褒めているわけじゃない。すべて悪口だ。


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