第2話

 先週の金曜日の夜、俺はカニマンに助けられた。

 事件が起きたのは、拓郎と二人で飯を食いに行った帰りでのことだ。


 俺は三人の屈強なスキンヘッドたちに絡まれてしまった。

 何故「俺たち」ではなく「俺」なのかというと、拓郎は絡まれる前に早々に逃げだしていたからに他ならない。


「てめえ、よくも舐めたマネしてくれたな」

 一番背の低いスキンヘッドが、威圧的な声で叫んだ。残りの二人が、それを見てにやにやと笑っている。


 心の中で大きく溜め息をつく。

 どうしてこんな事になったのか。


 俺と拓郎が交差点を渡ろうとしていた時、目の前を猛スピードで右折していった車があった。明らかに無理矢理なタイミングで、ふつふつと怒りが湧いてきた。だから、俺は走り去っていく車に向けて、蹴りの仕草を取ってしまったのだ。

 直後、車のブレーキランプが光り、ぞろぞろと三人の男たちが降りてきた。その車がヴェルファイアだと気付いた時には、すでに取り囲まれていた。


 確かに俺の行いは品のないものだったかもしれない。だが、この時の俺はファミレスで頼んだポテトを半分以上拓郎に食われて、虫の居所が悪かったのだ。


 だから、俺は自分の行いを後悔こそすれ反省はしていなかった。強いて反省しているとすれば、ヴェルファイアを相手に喧嘩を売ってしまったことくらいか。


「大した蹴りだったじゃねえか、え?」

 中背のスキンヘッドがすごんでくる。どことなくジダンに似ていたため、「貴方ほど大したものでは……」と謙遜したくなる。


「すみませんでした」と言おうとしたところで、「謝って済むとは思っていないだろうな?」と、一番大柄なスキンヘッドがドスの利いた声で言った。

 俺はすかさず「もちろん」と返す。

 もちろん思っていた、とまではもちろん言えない。


「俺たちは今からお前を殴る」

 大柄スキンヘッドが唐突に宣言した。

「目には目を、歯には歯を、ということだ」

 それなら殴るんじゃなくて蹴るべきなんじゃ? と思った。もっと言えば俺は別にスキンヘッドたちを蹴ってもいない。


 ただ、どう見てもそういう理屈が通用しそうな連中には見えなかったし、そんなことを考えているうちに俺の体は羽交い絞めにされていた。気付けば目の前で大柄スキンヘッドが拳を鳴らしている。

 必死にもがいてはみるが、中背スキンヘッドの力が強く振りほどけない。

 実はこの時ポケットからバスの定期券を落としていたのだが、それを気にしている余裕もなかった。


 小柄スキンヘッドがぽつりと呟いたのはそんな時だった。

「おい、そういえばもう一人いたよな」

「あ、それは餅井です。餅井拓郎」

 反射的に拓郎の名を口に出していた。薄情と思われるかもしれないが、それだけポテトの恨みが募っていたという事だ。


「餅井君、いるなら出て来いよ」

 小柄なスキンヘッドが茶化すように叫び始める。


「流石にもう逃げてんだろ」

「ほっとけよ」

 残る二人のスキンヘッドは冷めた反応を見せるが、小柄スキンヘッドは拓郎を呼び続けた。流石に煩わしく感じたのか、中背スキンヘッドが「うるせえよ」とたしなめる。


「今更のこのこ出てくるわけねえだろ」

 大柄のスキンヘッドがぼやいた。その直後だった。


「ぐええええ」


 動物の鳴き声とも機械音ともつかない、気味の悪い音が聞こえた。

「なあ、今返事あったよな?」

 小柄スキンヘッドがはしゃぐ。


 どうだろう、とスキンヘッド二人、そして俺は顔を見合わせた。

 首を絞められたヒキガエルの断末魔にも、ガス欠バイクのエンジン音にも聞こえたが、とても人の声には聞こえなかった。


「おい、一応確認しとくけど、餅井君ってのは人間だよな?」

 大柄のスキンヘッドは半分冗談のつもりなのだろうが尋ねてくる。

「ええ、まあ。多分」

「ほらな、流石に今のは人の声じゃねえよ」

 大柄スキンヘッドは面倒くさそうに言う。

「その辺の動物が喚いてんだろ、どうせ犬かなんかだ」


 そこで、小柄のスキンヘッドが「蟹だ」と呟いた。

「蟹? いや、犬かなんかとは言ったけど、蟹はないだろ」


「違う。蟹だよ」

 小柄のスキンヘッドが震えた声でまた言う。さっきまでの軽薄な様子から一転して、顔を蒼白とさせていた。


「は? 何言ってんだお前」

「蟹の鳴き声ってあんな感じじゃないだろ。聞いたこともねえけど」


「違う! だから……」

 小柄スキンヘッドは正気を失ったように叫んだ。

 そして恐る恐る、といった様子で俺たちの背後を指さす。彼があまりにも鬼気迫る様子だったものだから、それにつられ、俺たちは後ろを振り向く。


 なるほど、と思った。

 そいつは、いつの間にかそこに立っていた。


「蟹だ」

「蟹だな」

「蟹ですね」

 気付けば、口を揃えてそう呟いていた。

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