カニマン

武士

第1話

「俺さ、実はカニマンなんだよね」


 午後の講義が休講となり、無為に時間を過ごしていた水曜日の昼下がり。

 アポも取らず突然うちにやってきた拓郎は、えび煎餅を齧りながらそんなことを抜かした。

 俺が「はぁ?」と言ったのは、拓郎の言っている意味がわからなかったからではない。

 もちろんカニマンのことは知っている。おそらく、この街でカニマンを知らない者はいないだろう。有名人だ。

 だから、拓郎が烏滸がましくも自分をカニマンだなどと言ったその不遜さに、「はぁ?」と言ったのだ。

「このえびせん美味いな。富山で買ってきたんだっけ?」

 拓郎は小箱からえび煎餅の袋を取り出しまた齧る。

 えび煎餅は確かに富山で買ってきたものだったが、拓郎に食べる許可を出した覚えはない。

「いいなぁ、俺もどっか旅行行きてえよ」

 拓郎はぼんやり呟きながら、とめどなくえび煎餅を頬張り続けていた。一袋二枚入りの煎餅を彼はすでに三袋開けている。

「今日あちいな。ちょっと冷房下げるわ」

 俺の返事を待たず、拓郎は勝手にリモコンをいじる。ちょっとと言いながら、『下げる』を五回押した。そして、そのまま流れるようにその手をえび煎餅の小箱へと伸ばし、四袋目を開封する。

 五袋目にまで手を出したら、こいつを追い出そう。

 そう考えていたところで、拓郎はふと手を止めた。

「なあ、島村」

「なんだよ」

「これって共食いになるのかな?」

「何が?」

「ほら、蟹も海老も同じ甲殻類だろ?」

「だからなんだよ」

「カニマンがえびせん食べてたら、やっぱ共食いなのかなって」

「ちょっと待ってくれ」

 俺は思わず手のひらを拓郎の眼前に突き出す。彼は小箱からそっと五袋目のえび煎餅を引き抜いた。

「お前それ、冗談だよな?」

「ああ、まあそりゃそうだよな。海老と蟹じゃ味も食感も全然違うし。別物だよな」

「違う。そっちじゃない」

「そっちってどっちよ」

「お前がカニマンだって話だ」

「ああ、そっちか」

 拓郎は間抜けな声で笑う。

「いや、それはマジよ。大マジ」

「じゃあなんだ、お前があのカニマンの正体だっていうのか?」

「そ、俺がカニマン。びっくりした?」

 馬鹿な。そんなこと信じられるわけがない。


 カニマンは、一ヶ月くらい前からこの街で人助けや慈善活動をしている正体不明の正義のヒーローだ。具体的な活動は、道のゴミ拾いや川で溺れた子供の救出、悪漢の退治まで多岐にわたる。

 なぜ彼が世からカニマンと呼ばれ、その名を認知されているのか。

それはもう酷く単純な話で、頭部は甲羅、腕は鋏といった全身蟹人間とでも言うべき容姿をしているからである。もちろん、着ぐるみか何かではあるだろうが。

 蟹の格好をしているからカニマン。

 わざわざ説明するのも恥ずかしい。

 確かに、カニマンの活動範囲は市内やその周辺に限られているし、出没時間は講義のない平日の夕方以降や休日が多い。彼が人助けをしている時も、通行人が動画を撮ったりしていると、ちょくちょくカメラ目線だったりするのは拓郎に通ずるところがあると言えなくもない。

 しかし、市民のために日々善行をはたらくカニマンと、許可なく人の家に上がり込み、えび煎餅を頬張り続けるこの男が同一人物だとはどうしても思えなかった。

 いや、思いたくなかった。


 とりあえず、えび煎餅をこれ以上食われるわけにもいかないため「出ていけ」と言おうとした瞬間、それを制止するように拓郎は人差し指を俺の前に突き立てた。

「皆まで言うな、証拠を出せと言いたいんだろ?」

「全然違う。お前がカニマンな訳がないだろ。帰れ」

「ふふふ、これを見てもそう言えるかな?」

 不敵に笑った拓郎は、財布を取り出しその中を漁ると、一枚のカードを取り出した。何故かその手は濡れているように見えた。

「じゃじゃーん、これなーんだ」

 それを見た瞬間、俺は言葉を失った。

「島村がこれ落としたの、先週の金曜だろ?」

 拓郎が差し出し、テーブルに置いたそれは、俺のバス定期だ。

「飯食いに行った帰り道だ」

 彼の言うとおり、先週の金曜日、あの事件があった日に紛失し、俺はずっとそれを探していた。

「なんでお前が持ってるんだよ」

 あの時お前は真っ先に逃げ出したじゃないか。

 そう言おうとした瞬間、はっとする。

「まさか、お前本当に……」

「そう。そのまさか、さ」

 俺はまじまじと拓郎を見つめる。彼はにやけ面を隠しきれないほど嬉しそうにしながら、五個目のえび煎餅の袋をびりっと破いた。

「って、一回言ってみたかったんだよね」 

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