第10話 僕はチカラを受け継いだ。

 僕は3年生の1年間このように色々とイジメられたわけだが、惨たらしいイジメエピソードがこの物語で伝えたい内容ではない。これは僕が大人になってからの行動のきっかけにすぎないのだ。バカ達が進路で悩んでいるのは“飯ウマ”であるが、僕自身も進路を選ぶ必要がある。進路指導の先生や担任の厚見先生に言われた地元企業のいくつかを訪問したり面接を受けてみたりしたものの、働きたいと思える企業は無かったし、面接を受けても不採用だった。大学への進学も一応選択肢の中にある。他府県の人達が名前を聞いても分からないようなF欄大学のいくつかを1月から2月にかけていくつか受験する予定だ。


 大学受験を控えた新年。両親と元旦に初詣に行ったのとは別に、爺ちゃんに連れられて弟の信也と3人で初詣に行った。葛城一言主神社。爺ちゃんは時々僕を連れて来てくれるが、本殿だけではなく決まって蜘蛛塚にも手を合わせる。この時もそうだった。

 「戦争中はな、この辺りの男達も「御国のために」と銃剣を掲げて出征したがほとんど帰ってこなかった。ワシも陸軍に入隊させられたが、ワシは頭が悪くて運動もできんかったから本国で物資の見張りとか、街の見回りばかりじゃった。当時は「役立たず」、「足手まとい」、「マヌケ」とバカにされたが、生き残って今こうして孫と初詣ができている。人生何が幸せか分からんもんだな。」

 「実は、ワシやイクヤはここに埋葬されている日本古来の先住民族の末裔なんじゃ。ワシらは背が低く毛深くて、見た目が良くない上に、古代大和朝廷に従わなかった蛮族として忌み嫌われてきた。ワシらは昔から同族との結婚が多いが、渡来人系の人と結ばれて信也のように普通のアジア人の風貌で生まれてくる子もいるし、今でもイクヤのようにワシらの血が色濃く生まれる子もいるんじゃ。」

 「イクヤは学校で友達もできず、成績も悪く気の毒じゃから我が一族に伝わる特殊能力を譲ってやろう。代々一族の男性に受け継がれてきたらしく、ワシが父親からここで受け継いだ時は「何か困った時に数字が思いつく」、「年に数回しか使えない制限がある」、「一族の繁栄のために役立てろ」と説明を受けたが、何の事かよく分からず使いこなせなんだ。これからイクヤへ譲る儀式をするが、まあ色々試してみてくれ。」爺ちゃんからこのような話をされた後、爺ちゃんに言われた通り塚の前で手を繋いでお祈りし、ありがたく受け取った。爺ちゃんから一大決心のように譲られた特殊能力とやらだが、爺ちゃん自身がどんなチカラなのか分かっておらず、そもそも本当にそんなチカラがあるのかも分からなかった。この真贋が分からない骨董品のような特殊能力だが、この特殊能力「figure」が僕の人生に一筋の光明をもたらしてくれることになる。ちなみに、「figure」という名称は後に信也が名付けてくれた。

 「信也には申し訳ないが、これは我らの血が濃い者に譲り渡す習わしになっておる。イクヤを哀れだと思って許してやってくれ。」と爺ちゃんが言うと、信也は「大丈夫だよ。お兄ちゃんにあげて」と何の未練も無いように許してくれた。

 

 初詣の時は使いどころも使い方も分からないチカラだったが、大学受験で思いがけず役にたった。頭が悪いくせに受験するだけ受験料の無駄というものだが、就職活動が上手くいっていないし、マークシート方式ならマグレ当たりするかもしれないといくつか願書を出していた。頭が悪いなりに家では入試用の参考書に目を通すが、授業で見聞きした気がする程度で、内容が理解できず頭に入って来ない。一応蛍光ペンで線を引きながら読み進めるが、試験当日まで参考書の最後まで行きつくことができなかった。もちろん一度線を引いただけで、読み返して覚えながらやっていたわけではない。それでも1冊終えることが出来なかった。

 1月下旬、最初に受験する日程になった奈良観光産業大学 産業学部の入試。うちの高校普通科の連中も真面目に進学を目指して受験したり、マグレ狙いの記念受験をする私立のFランク四年制大学である。国語、外国語、地歴公民3教科全て4択のマークシート形式の入試で、「周りも一応受験するから」と親に頼んで出願していた。

 入試当日。朝一番の国語の試験から初めて「figure」が発現する。問題用紙を読んでいると、問題文に書かれている選択肢の中で1つだけ数字が浮かび上がるように見えるのだ。問題を読んでも回答が分からないので、あまり考えずに浮かび上がっている選択肢の数字を回答用紙にマークした。午前中2つ目の英語でも同じだ。英語では問題の長文を読むどころか英単語の意味も分からないので、問題用紙を眺めるだけだったが選択肢の数字が浮かび上がり、それを回答用紙でマークした。午後の選択科目では日本史を選択していた。この試験の時には開始直後こそ数字が浮かび上がってきたが、途中からこの不思議な現象が無くなってしまい自力で解かなければならなかった。爺ちゃんが言っていた回数や時間の制限なのかもしれない。分からない問題はとりあえず全部①にマークしておいた。

 他にも、奈良xx大学と大阪xx大学も願書を出しており、それぞれ別日程で受験したが、全部または大部分がマークシート方式にも関わらず「figure」が現れる事は無かった。


 受験結果は奈良観光産業大学のみ合格。2月下旬に合格通知が家に届いた日には両親も爺ちゃんも大喜びしてくれた。問題ごとの〇×や点数など試験結果の詳細が分からないので「figure」でマークした回答がどの程度正解だったのか検証できないが、合格という事実には変わりない。夜、爺ちゃんにこっそり報告すると、「そんな使い道があったのか」と驚き、「イクヤも死ぬ前に自分の子供や親戚に引き継いでおくれよ」と笑っていた。

 受験結果は当然学校にも報告する。担任の厚見先生によると奈良観光産業大学を受験したうちの高校の生徒は約1/3が合格し、学力が無いのに記念受験した者も含めて約2/3が不合格だったとのことだ。先生にとっては僕も記念受験側に認識されていたのだろう、「合格」と伝えると驚かれたが学校の進学実績引き上げに貢献したのだから喜ばれた。同学年で僕が進学と噂が広がると「有尾って誰だっけ?」から始まるものの、Fランクとはいえ数少ない四年制大学合格者の一人だ。「意外だけどスゴイ」と言われるようになった。

 バカ達からは「単三のくせに生意気だ」、「カンニングでもしたんじゃないか」、「マグレだ!一生分の運を使い果たしたんだ」等と言われたが、負け惜しみにしか聞こえない。バカ達も大学への憧れや大学生への畏敬の念があるのだろう、僕の大学合格が決まってからはイジメが収まった。バカ達が他の生徒にも八つ当たりをするようになってからは、クラスメイトだけではなく同学年の生徒もサッカー部の連中が僕をイジメているのを見たり、知っていたりしたはずだが誰一人僕の味方になってくれる人はおらず、先生に伝えてくれる人もいなかった。厚見先生もきっとイジメに気付いていたはずだが、授業中も休憩時間も関係なくお喋りしたり寝たりする底辺高校生を、経験が浅くやる気が無いブス教師に制御できるはずがなく、この1年間僕は殺伐とした動物園に放置された小動物の様だった。苦道さんと酷本さんに撮られた僕へのイジメ画像、恥ずかしい画像は、高校卒業後どうなったのか分からない。

 ちなみにバカ達の進路は、泡知さんはサッカー部が強い兵庫県のとある企業への就職。枯林さんは底辺短期大学へ進学。弾地さんと酷本さんはそれぞれ別々の専門学校へ行き。汚黒くんは清掃会社へ就職、墓野くんは専門学校行きだ。苦道さんは就職と言うかアルバイトらしい。バカ達はたった1回の試合で進路を台無しにし、僕はたった1回の試験で大学への切符を手に入れた。

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