第12話 人生最悪の一日⑫

 何者かに派手に水をぶっかけられた拍子に、桜は目を覚ました。

「な、なんだ!? べっ!? なんなのだこの水は!? 変な臭いが……!」

「おはよう眠り姫」

 夜行は持っていた缶を投げ捨て言った。

「言っておくが、今お前は能力を使えないぞ。烙印にこいつを貼らせてもらったからな」

 夜行はそう言って、持っていた護符をペラペラと動かしながら、桜に見せた。

「な、なんだそれは……!?」

「見ての通り、護符だ。夜警団の秘密兵器の一つ。便利なもんだろう? こいつには忌躯

の能力を押さえつける力がある」

「夜警団!? 貴様夜警団なのか!? ……い、いや!? それより貴様、僕の身体にそ

いつを……!」

 桜はそう言って自分の体を見て、真っ赤になった。いつの間にか服を脱がされ、下着姿

になっている。

「こ、この変態! この僕にそのようなハレンチな真似をするとは! この屈辱は三乗に

して……!」

 そして身体を動かそうとしてやっと、桜は自分がパイプ椅子に鎖でくくりつけられている事に気が付いた。

「な、なんなのだこれは……!? お、おい!」

「喚くな。お前が俺の知りたい事を喋れば、直ぐに解放してやる」

 夜行は煙草を吸いだし、副流煙を桜の顔に向かってはいた。桜は苦しそうに咳をした。

「お前、さっき俺の顔を見て誰かと見間違えたな。真央とか言ったか……誰だそいつは? そいつの事を教えろ」

「貴様こそ一体なんなのだ!? 貴様は真央の……」

 夜行は桜の頬をひっぱたいた。乾いた音が廃れた倉庫の中に響き渡る。

「質問してるのは俺だ。お前じゃない」

 桜は痛みと恐怖から、思わず涙目になった。ここにきて初めて、桜は自分に命の危機が迫っている事を理解した。

「真央とかいう女について、知っている事を全て教えろ」

 適当に胡麻化そうとすると命に関わる。本当の事を話すしかないと桜は決心した。

「じ、実は……実は僕も詳しくは知らないのだ……知っているのはただ、あいつが黎明のリーダーで、六年前にリーダーの座についたという事だけで……」

「……」

「う、嘘じゃない本当だ! 信じてくれ! というより僕だけじゃない! 黎明のメンバーですら、真央の事を知っているのは極少数だけらしくて……!」

 だから高見は自分の顔を見ても何の反応もしなかったのかと夜行は納得した。

「……それじゃあお前と真央はどういう関係だ?」

「真央は……真央は僕の親友を殺しやがった。だから僕はあいつを殺したいんだ」

「……復讐か」

「そうだ。私は丁度その時その現場にいて……あいつの顔を一瞬だけ見た。美しい顔だった……だが冷たい目で……あの顔がどうしても脳裏から離れないのだ……」

「お前の親友は、どうして真央に殺されたんだ?」

「僕の親友は忌躯だったのだ……あいつは僕の親友に、黎明に入れと要求してきた。でも僕の親友は断って……そしたらあいつは見せしめだって言って、僕の目の前で……!」

 桜はポロポロと涙を零した。嘘を言っているようには見えなかった。

「……そのお前の親友とやらを殺せば、真央に何かメリットが有ったのか?」

「そんな事知るか! あいつは頭がイカれてるんだよ! 自分に反逆するものには容赦ないのだ!」

「……そうか」

「僕は復讐を誓った。それから四年後、僕のお兄……何の事情も知らない兄貴が黎明に入って、いい機会がやってきたと思ったんだ。それで……」   

「それで襲撃を?」

「……」

「はっきり言って、お前の考えは甘すぎるぞ。そんな無謀な事繰り返してたら、遅かれ早かれあいつ等に捕まって殺されていた」

「それでも僕はあいつに……!」

「まあもう関係ないか……どうせお前はここで死ぬんだ」

「……え?」

 夜行は煙草をふかしながら、桜から距離をとった。

「もう気付いてるだろうが、さっきお前にかけたのは水じゃない。ガソリンだ」

「な、な……!?」

「俺が夜警団である事をあいつ等に知られると、潜入捜査に支障が出る。だから、ここでお前を始末しておく。このまま死ね」

 夜行はジッポーライターに火をつけ、桜に見せつけるようにブラブラ動かした。

「い、嫌だ……! 嫌だ死にたくない! うわあああああ! 止めてくれ!」

「助かりたいか? ならお前の協力者の居場所を教えろ」

 桜は口を開けたまま固まった。

「さっきこの辺りを調べたら、こいつが見つかった」

 そう言って、夜行はハンドガンを取り出した。

「こんなもの、単なる女子高生であるお前が手に入れられる訳もないからな。という事はお前に味方してる誰かが渡したと考えるのが妥当だ。違うか?」

「ち、違う! それは兄貴の物を盗んで……!」

「いくらお前の兄貴が間抜けでも、拳銃失くした事に気付かない程馬鹿じゃないだろう」

「し、知らない! 僕は何も知らない!」

「あーそうか。あくまでしらをきるんだな。じゃあ苦しんで死ね」

「ま、待て! 待て!」

 遂に桜はえづきだし始めた。

「恥じる事は無い。誰も痛みには逆らえない」

 夜行は諭すような口調で言った。

「う……うぅ……」

「約束する。仲間の場所を教えてくれれば、お前の事は必ず解放する。だから……教えてくれ」

「……仲間は、私の仲間の場所は……」

「ああ」

 桜は震えながらも夜行を睨みつけた。涙がいっぱいにあふれていた目だったが、強い目だった。

「……貴様などに絶対に教えてなるものか! 殺すんなら殺せ!」

「……合格だな」

「……え?」

「悪かった。お前の事を試したかったんだ。自分の命と仲間の命、どちらに重きを置いているのか知りたかった」

 夜行はライターをしまうと、桜に近付いて桜の拘束を解き始めた。桜は訳が分からないという表情を浮かべていた。

「お、おい? い、一体……?」

「今の訓練は、新人が夜警団に入ったら決まって行うものなんだ。まあ審査する団員によって多少内容は異なるが」

「え……? え? 訓練……?」

「今のドッキリをやれば、そいつの精神力を量れる。自分の命を優先するか、それとも仲間の命を優先するか。ちなみに、殆どの奴は自分の命を優先して、ペラペラ秘密情報を喋る」

 夜行は桜の拘束を完全に解いた。桜は椅子から立ち上がった。

「お前みたいに肝の据わってる奴はそうはいない。お前は逸材だ。なあ、お前さえよければ夜警団に……」

 桜は思いきり夜行の鳩尾に肘撃ちを入れた。

「ぐほっ!? な、なにするんだ!?」

 夜行は桜の顔を見上げた。桜はまた泣き出していた。

「バカ! バカバカバカバカ! バカ女!」

 夜行を罵倒しながら、桜はこの場からいなくなってしまった。

「……ちょっと脅し過ぎたか……それにしても……痛ぇ! ぐぅぅぅぅぅ……!」

 あまりの痛みに、夜行は暫く悶絶していた。


 夜行が廃屋を出ると、下着姿のまま身体を水で洗っている桜の姿が目に入った。

「おい」

 夜行が呼びかけると、桜は身体をびくつせた。

「おい……大丈夫か?」

「大丈夫な訳ないだろう」

「……そうだな」

「……」

「……」

「なあ」

「なんだ?」

「夜警団に入ってくれ」

 桜はじろりと夜行を眺めた。

「何故そこまで僕を夜警団に入れたがる? 僕はさっき、みっともなく泣き出したのだぞ」

「皆泣くんだ。厳密に言うと、泣くまで続ける」

「……」

「泣くくらいで済むんなら大したもんだ。泣くどころかクソ漏らしたり、大声で母親に助け求める奴だってザラにいる」

「……貴様も泣いたのか? それともクソを漏らしたか?」

「いいや、もっと酷い。団員を人質にとって殺しかけた。お陰で俺は初日から危険人物扱いされて、今に至るまでその扱いが続いている」

 桜は僅かに笑った。

「それは仕方ないな」

 夜行が桜を認めている素振りを見せた事が効いたのか、桜はポツポツと自分の心境を話し始めた。

「……せっかくの勧誘だが、断るよ。僕は国家公務員になれるような立派な人間じゃない」

「……」

「僕はただ……自分の居場所が欲しかっただけなんだ。学校でも家でも居場所がなくて、それで……」

「だが真央を……悪を憎む心は本物だろう?」

「……そうだ……でも……」

「御大層な大義名分なんて必要ない。その想いさえ持ってるのなら十分だ」

「……本当に……本当に僕は夜警団に入れるのか……?」

「ああ」

「……」

 桜は立ち上がり、夜行に向かって手を差し伸ばしてきた。

「……よろしく頼む」

「ああそれと」

「なんだ?」

「早速で悪いが、お前には人質になってもらう」

「は……人質!?」

「言ったろ、潜入捜査中だって。お前を捕まえてこいと、高見って野郎から命令されてるんだ」

 桜は夜行に出した手を引っ込めた。

「……貴様について行って、本当に大丈夫なんだろうな……」

「さあな」

「……」

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