第9話 人生最悪の一日⑨
肉の焼ける香ばしい匂いが、レストランの中に充満している。井伊義治はその匂いを嗅いで、腹を鳴らした。
「お待たせしました、井伊様、高見様」
ウェイターが恭しい態度でステーキを二人の前に出すと、井伊は何も言わずにステーキにがぶりついた。
「うめぇ! おい高見、この肉何の肉だ? 牛肉じゃないな?」
「いきなりで悪いが」
高見は井伊の質問には答えず、眼鏡の位置を直しながら言った。
「あなた達の組織には、資金提供を打ち切りたい」
「は? 何言ってんだてめぇ?」
「もうあなた達と付き合うメリットもないのでね。黎明も大きくなったし、もうあなた達は必要ない」
「……俺がこの世界でなんて呼ばれてるか知ってるか? 高見?」
「さあ。存じ上げないが、なんだね?」
「ハイエナだ。俺は敵と見做した奴には容赦がない。骨も残さずに食らいつくす」
井伊は肉をくちゃくちゃ噛みながら、獰猛な目で高見を見つめた。
「お前、自分の事を何様だと思ってるんだ? 俺達の関係が無くなったら、お前も破滅するんだぞ」
「君が私を殺すからか?」
「よく分かってるじゃねぇか。そうだ」
「まあ、そう言いだすだろうとは思ったよ。だから事前に先手を打たせてもらった」
高見は何の感情も滲ませない、淡々とした話し方で続けた。
「君が店の外に待機させていた護衛だが、全員始末させてもらった」
井伊は口の中にステーキを入れたまま固まった。
「……なんだと?」
「小心者め。威勢の良い事を言っていても、結局のところは部下頼みか」
「なんだと!? 口の利き方に気をつけやがれ!」
井伊は立ち上がって高見の胸倉を掴んでみせたが、高見は全く動揺する様子を見せなかった。
「止めておけ。私は忌躯だ、体つきは少々細いが、君が敵う相手ではない」
「忌躯だからなんだってんだ! 俺は……!」
「君は先ほど、自分の事をハイエナだと言ったな。君がハイエナだとすると、私は蜘蛛だ」
「あ!?」
「自分の手をよく見てみたまえ」
井伊はふと高見の胸倉を掴んでいる自分の手を見て、悲鳴をあげた。
「うわぁ!? な、なんなんだよこれ!?」
彼の手はドロドロに溶け、原形を失いかけていた。親指が一本地面に落ちており、骨が丸見えになっている。
「私は身体の中で毒を作り出せ、体液を通じてそれを身体の外に放出出来る。さながら蜘蛛が持つ毒のようなね……先ほど君の腕に私の血を注入させてもらった」
そう言って、高見は自分の手首を井伊に見せた。彼の手首には管のような物が伸びている。
「神経毒だ。注入されたら最後、痛みすら与えずに肉を溶かす」
「お、おい! ふざけんじゃねぇよ! 元に戻せ!」
「つくづくみっともないな。親子共々……」
「お、親子!? それってどういう……」
「言っただろ。先手を打たせてもらったと」
「ま、まさかお前……!」
「お前の妻も、娘達も既に始末してある。この能力を用いてね」
井伊の顔が顔面蒼白になった。
「母親の方は直ぐに殺したが、若い女の血と肉は中々美味だからな。保存させてもらう事にしたよ。生かしたままで」
「な、な……!」
「念の為君に味見して貰ったが、好評なようで何よりだ。さぞかし真央様も喜んでくれる事だろう」
井伊は吐き気を抑えられなくなり、その場に嘔吐した。高見はそんな井伊に近付き、お返しとばかりに今度は高見が井伊の胸倉を掴んだ。
「では悪いが私はこれで失礼させてもらうよ」
「ひぃ!? た、助け……!」
井伊は舌を出してみせた。その下には彼の手首と同じように、肉の管のようなものが生えていた。
井伊が絶叫を上げそうになった瞬間、高見は井伊の脳に舌から生えている管を注入した。たちまち井伊の身体がとけていき、液体状になった。
「比留間!」
井伊が名前を呼ぶと、先程料理を運んできたウェイターが再び厨房からやってきた。
「片付けておけ」
比留間はニヤリと笑うと、コップを手に取って、それを地面に置き、何度かコップを叩いた。するとひとりでに、かつて井伊だった肉体と、彼が胃の中から吐き出したものが一緒になって、グラスの中に入っていった。
「これ以上ここに用もない。帰るぞ比留間」
「はい」
二人は何事もなかったように店を出た。そしてそのまま立ち去ろうとしたが、突然二人組の男達が高見と比留間の前に立ちはだかった。
「Bonsoir ! 高見! ……と、後ろにいるのは誰だ?」
「……なんだね? 君達は?」
二人組の男達……夜行とスタンはそれぞれ、自分の首筋にある烙印と、左手にある烙印を高見に見せた。
「……忌躯か」
「そういう事だ。アポなしでやってきて悪いが、あんたが黎明のメンバーだっていう噂を耳にしてね」
高見は夜行を睨んだ。
「そう身構えるなよ。俺達はあんた等の仲間になりたいんだ。俺達を黎明に入れてくれ」
「……私が得体の知れない連中を、はい分かりましたと言って仲間にすると思うか?」
「悪い話じゃないと思うぞ。自分で言うのもなんだが、俺達結構使えるぜ? あんたの為に働いてやろうっていうんだ。もっとも、払うものは払ってもらうがな」
――ゴミ共が。高見は内心で毒づいた。忌躯の中には、こうやって大金目当てに用心棒紛いの生業をしている連中が一定数存在しているのだ。だが所詮金で動いている以上、信用ならない連中である。高見はその事を過去の経験からよく知っていた。
「俺は知ってんだぜ高見。あんた等……黎明は近い内にデカい事件をおこすつもりだろ?」
スタンは試しにカマをかけてみた。すると、高見がほんの僅かとはいえ表情を変化させた事に気づき、そのまま押し切る事にした。
「その時に戦闘員が必要になる筈だ。ここで俺達を逃したら絶対後悔する羽目になるぜ?」
「……悪いが、素性の分からない連中を雇うつもりはない」
「逆に言えば、素性さえ分かれば雇ってくれる訳だな?」
夜行が口を挟んだ。
「まあそうだが……」
「それなら問題ない。俺達二人共、夜警団に掴まって煉獄棟に入れられた過去がある。過去の犯罪データを調べれば、俺達の出自が明らかになる筈だ」
高見は三秒ほど考えてから口を開いた。
「……よし、いいだろう。実力さえ伴っていれば、お前達を黎明に入れてやる」
「やり! やっぱり俺の見込んだ通り、話の分かる男だなぁあんた!」
「焦るな。私は実力さえ伴っていればと言ったんだ」
高見は自分の背後にいる比留間に、前に出ろと合図した。
「こいつの名は比留間。私のガードマンだ。こいつを倒せたらお前等を仲間に入れてやる」
夜行は前に出ようとしたが、スタンが夜行を制した。
「俺がやる。お前はそこで俺の戦いぶりを見物してな」
「おい、大丈夫なのか?」
「心配するなって、ちょちょいのちょいっと、俺がやっつけてやるさ」
「いいのか? 二人がかりでも、私は構わないぞ」
「御託はいいから、さっさとかかってこいよ」
高見は比留間の肩を叩き、後ろに下がった。
「殺すつもりでやれ」
比留間はニヤリと笑い、着ていたスーツの下から、液体の入っている瓶を何個か取り出し、それを地面に撒いた。ジュゥーという音と共に湯気があがる。
「……?」
「やれ」
比留間は高見が合図すると、手を前に突き出した。すると、液体が一人でに動き出し、スタンに向かっていった。
「うわっ!? なんだこれ?」
スタンはなんとか液体を避けたが、僅かにジャケットに液体がかかり、その部分が解けた。
「硫酸か……液体を自在に操れる能力とみた」
いつの間にかスタンから距離をとった夜行は、比留間の能力を冷静に分析した。
「肉体攻撃型……不意打ちには便利かもしれないが、一対一で使うには少々火力不足だな」
夜行は次々に襲い掛かってくる液体から、なんとかして身を躱すスタンを眺め、呆れた様子でため息を吐いた。
「あの程度の相手になに手間取ってるんだ。おいスタン! 遊んでないでさっさとそいつを倒せ!」
「そ、そんな事言ったってさあ! うわっ!?」
物理法則を無視して襲い掛かってくる硫酸をなんとか躱しながら、スタンはなんとか比留間に向かっていった。
「近付きゃこっちのもんだ! 俺の能力で……!」
スタンは懐から何かを取り出そうとした。が、比留間はもう再び瓶を何個か取り出し、それを地面に撒いた。すると液体が自在に動きだし、スタンに襲い掛かった。
「くっ!」
スタンは咄嗟に攻撃を避けたが、気付いた時にはスタンは硫酸に囲まれていた。
「終わったな」
喋らない比留間の代わりに、高見が勝負の終わりを宣言した。
「お前達は私の必要とする人材では無かったようだ。無駄な時間を過ごした」
「ああ、確かに終わったな……この無口野郎がよ」
「……なんだと?」
スタンは笑いながらジャケットのポケットから妙な形状の笛を取り出した。高見と比留間は意味が分からないといった表情を浮かべた。
「なあ高見さん。ちょっとそいつから距離をとってくれないか? ……もう少し後ろ。よし、それくらいで大丈夫だな」
高見が比留間から十分な距離をとった事を確認すると、スタンは笛を吹いた。が、音らしい音は鳴らなかった。
「何の真似だ?」
高見は何ともなかった。が、いきなり比留間が苦しみだし、その場に倒れた。
「なんだ!? どうした比留間!?」
比留間は叫びながら地面にのたうち回り、悲鳴をあげながらその場で嘔吐した。頭痛が酷いらしく、強く頭を抑えている。
「お、硫酸の動きが止まったな。この勝負、俺の勝ちって事でいいだろ高見さん?」
「……ああ、そのようだな」
「一応言っておくが、俺のツレも俺程じゃないが、結構強いぜ。なあ、俺達の事雇ってくれるだろ?」
「……いいだろう。歓迎するよ」
「よっしゃあ!」
スタンはガッツポーズをして喜んでみせた。そんな彼の足首を、比留間は目を地ばらせながら掴んだ。
「お、おい! この頭痛と吐き気を止めてくれ……! し、死んじまう……!」
「あー……それが言いにくいんだけど、俺の能力ってあんたのと違って、自然に収まるのを待つしかないんだよ。ごめんちゃい」
「な、なんだと!?」
「まあでもあんただって俺を殺そうとしたんだし、自業自得って事で納得してくれ」
「ふ、ふざけんな! 今すぐなんとかしろ……!」
高見は眼鏡の位置を直しながら比留間に近付いた。
「た、高見さん! お願いです! 助けて下さい……!」
「安心しろ。今苦しみから救ってやる」
高見は膝をつき、手首の管を比留間に見せた。
比留間は恐怖から表情を歪めた。
「そ、そんな! やめて下さい高見さん!」
「喚くな。直ぐに終わる」
「嫌だ! そんな死に方嫌だあああああああ! ぁぁぁぁぁぁぁ……」
高見が管を比留間の脳に突き刺すと、ものの数秒で比留間の身体が液体状になり、溶けていった。
「あら~……死んじゃった」
「喋り慣れてないせいか、冴えない遺言だったな」
いつの間にかスタンの傍に立っていた夜行が、嘲笑混じりにそう言った。
「そういえば、君達二人の名前をまだ聞いてなかったな。聞かせてほしい」
「ああ、ギルマン・ジュール」
「……夜月茉莉」
「女みたいな名だな」
「文句あるか?」
「いいや。君の美しい顔によく似合う名前だと思っただけだ」
「褒めてくれて嬉しいよ」
夜行は皮肉たっぷりに言い返した。
「……ところで早速だが、君達に仕事を頼みたい」
「仕事? どんな?」
「人探しだ」
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