第6話 人生最悪の一日⑥

 夜警団の本部は東京のど真ん中にあるが、正確な場所は団員しか知らされていない。これは忌躯という超常的な力を持つ烏合の衆を相手しなければならない都合上、襲撃される可能性があるからである。

 外から見れば単なるビルであり、セキュリティも万全。ペーパーカンパニーを何社も使って擬態しており、更に定期的に場所を変えるので、一般人が夜警団本部に辿り着くのはまず不可能になっている。

 地下の駐車場に車を停め、さらにその後パスワードとキーカードを使って、夜行はビルの一階に上がった。

「夜行さん、おはようございます」

 受付まで夜行がやってくると、受付嬢の菊地圭が、いつも通り爽やかな笑顔で夜行を迎え入れてくれた。

「ああ……」

「どうしたんですか? 元気なさそうですね?」

「昨日飲んだ薬のせいかな……頭痛がするんだよ。それに倦怠感もある」

「え? 何? また薬飲み始めたんですか?」

 圭は笑顔を浮かべたまま呆れた表情を作った。そんな表情を浮かべる圭に、夜行は少し怒りを感じた。

「ああ、どっかの誰かさんのせいでな」

 夜行が皮肉を言っても、圭は笑顔を消さず、事務的な態度も崩さなかった。

「女々しいですよ。もう私の事は忘れて下さい」

「ふざけやがって……俺の事捨てといて、謝罪もなしかよ」

「捨てられるような事したからいけないんじゃないですか。あ、いてて」

 圭はわざとらしく背中に手をまわした。

「急に背中が痛くなってきました」

「そんな訳あるか。大した傷もなかったくせに……」

「人の事怪我させといて、その言いぐさはないんじゃないですか? なんだったら訴えてもいいんですよ」

 夜行は圭の目の前まで近づいて、低い声で言った。

「やりたきゃやれよ。どうせ勝てやしないんだからな」

 夜行の眼光に押され、圭は思わずたじろいでしまい、僅かではあるが恐怖した。

 しかし、直ぐに元の調子に戻り、圭は毅然とした調子で言った。

「そういえば夜行さん、団長が呼んでいましたよ。急ぎの用らしいので、直ぐ団長室に向かってください」

「……」

「夜行さん」

 夜行は何も言わずに後ろを振り返り、エレベーターに乗って団長室に向かった。

 圭は夜行がいなくなったのを確認すると、ホッとした様子で肩を撫でおろした。


団長室の前に立つと、夜行はドアを三度ノックした。

「団長殿、月海夜行です。俺をお呼びだとか」

「お前以外に誰かいるか?」

「いや……俺一人ですが、何故?」

「ならいい。入ってくれ」

 何故レオがそんな事を聞くのか疑問に思いながら、夜行は団長室の中に入った。

「夜行、ドアの鍵を閉めてくれ。誰にも聞かれたくないんだ」

 言われた通りに夜行は鍵を閉めた。ここまで神経質になっているところを見るに、どうも内密の話をするつもりのようだ。

 夜行は歩を進め、マホガニー性の机の前に姿を現した。

「まさかと思うが、録音はしてないだろうな」

「してる訳ないでしょう。した方がいいんですか?」

「するな」

 鼻筋の通ったレオの顔を見ながら、こいつは相変わらず冗談の通じない男だと夜行は思った。

 レオ・キーブルク……いかにもドイツ人といった感じの顔つきに、真っ白の髪という、胡散臭い外見をした男だが、癖の強い夜警団の面々を束ねる強力なカリスマを持つ故、団員達の信頼は厚い。

「ひょっとして痩せました?」

「3キロ程な」

「働きすぎですよ。少しは休暇をとって下さい。あんたがぶっ倒れると困る」

「機会があれば、な」

 レオはそう言いながら煙草のケースを取り出したが、中身が入っていなかったらしく、ケースを握りつぶした。

 夜行は一本煙草を取り出して、レオに渡してやった。

「どうぞ」

 レオが煙草を咥えると、夜行はジッポーライターで火をつけてやった。

 レオは煙を吐き出しながら、重々しく口を開いた。

「夜行、お前はお前の師匠である天上院梨絵の娘の、祝與の天上院アリスの事を覚えているな?」

 夜行は今は亡き梨絵と、幼い頃のアリスの顔を続けて思い出した。

「覚えてますよ。あの子はなんていうか……独特な雰囲気の子でしたから。印象に残ってます」

「そうか。その天上院アリスだが……」

「彼女が何か?」

「行方不明になった。もっと正確に言うと、攫われた」

「なんですって?」

 夜行は思わず声を大きくさせた。

「犯人は近頃巷を騒がせているテロ組織、黎明のリーダーを名乗っている」

「白石風夏が攫われたばかりたっていうのに、昨日の今日でまた……どうなってるんだ、全く」

「今度は白石風夏の件とは比較にならない程深刻だ。同レベルと考えるな」

 夜行も煙草を一本取り出し、吸い始めた。

「今回の任務は宮内省直々に下された。そして夜行、彼らはお前に事件の調査をするように命令してきた」

「何故問題児の俺を?」

「分からん。……だがこれが原因かもしれん」

 そう言って、レオは机の中から写真を一枚取り出した。夜行はその写真を受け取ろうとしたが、レオは中々夜行に写真を手渡そうとしなかった。

「驚くなよ」

「なんです? 一体何が映ってるっていうんですか?」 

 夜行はレオから軽い気持ちで写真を受け取り、眺めそして……息を飲んだ。

「……!」

「アリスを攫った犯人はお前にそっくりだった。まるで生き写しだろ? だがお前の筈はない。事件発生当時、お前は白石風夏の自宅にいた。裏もとってある。……なによりその身体つき、そいつは正真正銘の女だ」

 レオの言う通り、写真に写っている女は、現在の夜行よりも一回り若い女……というより、少女だった。だが顔の骨格や体つきは、正しく女のそれだ。

「私はこう考えている。その女はお前の近親者だ。恐らく、26年前にお前の母親、月海雪を拉致し、乱暴したお前の父親の娘……つまり、お前から見れば腹違いの妹か姉という事になるな」

 夜行は思わず写真を握る手に力を込めてしまった。そのせいで写真が少し歪んだ。

 レオは淡々とした口調で続けた。

「その女はお前の父親の居場所を知っている可能性が高い。……こんなメモが犯行現場に残されていた」

 そう言って、レオは机の上に高級紙を置いた。その紙には恐らく口紅で書いたと思われる真っ赤な字で、『26年前の復讐』と書かれていた。

「このメモが何を意味しているのかは知らんが、26年前と言えば丁度、月海雪が攫われた事件が起こった年だ。その事件の復讐と考えるのが妥当だろう」

「……」

「夜行、お前に依頼する任務は二つ。天上院アリスを早急に保護し、そしてこの女を始末する事だ」

「始末? 冗談でしょう? この女から親父の居所を吐き出させる必要がある以上、そう簡単に殺すわけにはいかない」

「宮内省はこの女の死体を持ってこいと要求している。必ず殺すんだ」

「何故死体なんか……」

「この女の身体になにか秘密があるのか、それとも彼女が死んだという確証が欲しいのか……理由はどちらかだろう」

「……ふざけやがって。死体を持ってこいなんて命令、12年間夜警団で働いていて一度も下された事がない。この事件には何か裏があるに違いないですよ」

「そうだろうな。私もこの事件には胡散臭いものを感じている。感じてはいるが……」

「夜警団が宮内省の狗である以上、逆らう事は出来ないと?」

「そういう事だ」

 夜行は逡巡した。いや、正確に言うと逡巡したふりをした。だが答えははっきりと決まっていた。12年間夜警団で働いているが、今回が初めて掴んだ、実の父親に繋がる手掛かりらしい手掛かりなのだ。

「……分かりました。ただ条件が二つあります」

「言ってみろ」

「まず一つ目ですが、今回の事件は絶対にしくじりたくない。早い話、頼りになる相棒が欲しい。スタンを同行させる許可を下さい」

「だが奴は夜警団を……」

「ええ、あいつは既に夜警団を辞めています。ですがあいつ以上の適任が見つからない以上、仕方ない」

「……いいだろう。だが奴が協力してくれるだろうか?」

「してくれないのなら、一人で調査にあたるまでです」

「そうか。それで、もう一つの条件は?」

「俺のやり方に口を出さない事。これから俺は法を破る事もするかもしれない。ですが、見逃して頂きたい。無論俺が必要としたのなら、その際はバックアップをお願いします」

「バックアップは期待するのに、悪行は見逃せと? 少々虫が良すぎないか?」

「構わないでしょう? この女を始末しさえすれば、政府のお偉方だって満足の筈だ」

「……分かった。それも出来る限り善処しよう」

「ありがとうございます」

「では早速調査にあたれ。言い忘れていたが、本件はまだマスコミにかぎつけられていない為、アリスが失踪したというニュースをどこの局も流していない。だがいずれ奴等はこのネタを嗅ぎつけてくる筈だ。事が大事になる前に、本件に決着をつけろ」

「了解」

 夜行は回れ右をして、団長室を出ていこうとドアのノブに出をかけた。

「おい」

 夜行が振り返ると、レオは相変わらず険しい表情のまま言った。

「死ぬなよ」

 夜行は軽く手を挙げた後、部屋を後にした。

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