第5話 人生最悪の一日⑤
身体が重かった。だがこの疲労感は仕事に依るものだけではない事は明白だった。
夜行は自宅に戻ると、まず最初に庭に向かった。庭には花が植えられており、アマチュアにしては見事なガーデニングがされている。
夜行は無心になって花の手入れをした。どれだけ疲れていても、どれだけ忙しくても、夜行が花の面倒を見ない日は無い。だがそれも終わると、疲労がどっと押し寄せ、ふらつきながら家に入っていった。
「あ、お帰り夜行~」
リビングでは、パンキッシュな恰好をした少女、皆川明が寝っ転がりながらテレビゲームに興じていた。周囲にはスナック菓子やジュース類の空き缶が転がっている。
「お前……! まだいたのか? さっさと家に帰れと言っただろ」
「夜行はそう言うけどさぁ、私に帰る家なんてないし~」
「ならマンガ喫茶とか、男の家とか……養護施設でもいい。手続きなら俺がしてやるよ」
「やだよ養護施設なんて。それにあたしに男なんていないし……夜行だって彼女いないんだから、丁度いいじゃん」
「余計なお世話だ」
「あ、ごめんごめん。彼女だけじゃなくて友達もいないんだっけ? まあでもその性格じゃあね~残当だよね~あはは」
図星をつかれて、夜行は自分自身を大人げないと思いながらも強い口調で話題を逸らした。
「はっきり言うぞ。迷惑なんだよ、俺は一人で暮らしたいんだ。お前を昨日この家に泊めたのは、あくまで一泊だけっていう約束だったからだ」
明はゲーム機の電源をいきなり切って、夜行に向かい合った。
「お願い! 私を捨てないで夜行! 私、夜行しか頼りが……!」
「猫なで声で言ったって駄目だ。いいか、明日の昼までにはここを出てけよ」
「あ! もしかして友達いないって言われて怒ってる? ご、ごめんなちゃい! 私、ちょっとした軽口のつもりだったんだけど、まさかそんなに気にしてるなんて……!」
「とにかく、出てけったら出てけ」
「やだ! ……仕方ない。こうなったら実力行使で……」
明はそう言いながら、夜行の身体に腕を回し始めた。
「なんの真似だ?」
「ねぇ、いいじゃん夜行ぉ。私の事好きにしていいからさぁ……」
夜行はやんわりと明の腕をどけた。
「何が好きにしていいだ。お前みたいな胸の貧相な女なんか御免だ」
「ひどっ! 人が一番気にしてる事を! 大体リアルJCの誘いを断るってどういう事!? それ男としてヤバくない!?」
「俺はロリコンじゃない。大体お前学校に通ってないだろうが。今のお前は単なるニートだ」
「うっ。それはぁ……そうかもしれないけどぉ……」
「諦めろ。ここにお前の居場所はない。明日になってもここにいたら、強制的に追い出すからな」
「……夜行、私の事嫌いなの?」
「言っただろ。俺は一人で暮らしたいんだ」
「……ごめん……迷惑かけて……分かったよ。私の事を助けてくれた夜行の事困らせたくない……明日になったら出てくよ……」
「分かればいい。俺は風呂に入ってから寝る。おい、ゴミの片づけしておけよ」
夜行はそう言って、リビングを出て浴室に向かった。
熱いシャワーを浴び、睡眠剤と抗うつ剤をワインで飲み干した後、寝室に向かう途中、夜行はちらりとリビングの中を見た。言いつけ通り、明はゴミの片づけをしていた。
しかし、急に明の動きが止まった。不審に思って注意深く明を観察すると、どうやら明は泣いているようだった。
「夜行のバカ……! 夜行の為なら私、なんだってしてあげるのに……私……私明日からどうしたら……」
「……」
夜行はそっと、自分の首筋にある烙印を触った。……こいつのせいで、自分も不当に社会から虐げられてきた。烙印こそないが、明は今まさに、かつての自分のような境遇に置かれているのだ。
そう思うといたたまれなくなった、
「おい」
「わっ!? な、なに夜行!?」
「……やっぱりいいよ」
「え?」
「お前の好きなだけこの家にいていい。ただし、ちゃんと学校に通え。それが条件だ」
夜行がそう言うと、明は涙を浮かべたまま表情を明るくさせた。
「ほんと!? ほんとにほんと!?」
「ああ。……いや、もう一つ条件があった。大人になるまで酒は飲むな。煙草も禁止だ。当然だがドラッグなんかもっての他だぞ」
「うんうん! 約束する約束する! ありがとう夜行! 私、夜行の事大大だーい好き!」
「現金な奴……それじゃあな」
「うん! おやすみ~!」
明は元気よく夜行に手を振った。夜行も軽く手をあげて、ドアを閉めた。
睡眠剤のお陰か、夜行はベッドに入った瞬間に深い眠りに落ちる事が出来た。
そして、目が覚めた時にはもう既に八時間経っていた。……だが睡眠薬の副作用のせいで、頭がボーっとしていた。
「……ちっ」
夜行は舌打ちした。それは仕事に向かうストレスから放ったものではない。彼の隣で明が眠っていたからだ。
「おい、起きろ」
夜行は乱暴に明の身体をゆすった。すると、明はむにゃむにゃ言いながら起床した。
「う~ん……あ、おはよー夜行。今何時?」
「午後の2時。寝る時は自分の部屋で寝ろって言っただろ」
「いいじゃんちょっとくらい。私の場合お昼寝してただけなんだからさぁ……ふわぁぁ~」
もう一度明は大あくびした。
「それにしても大変だよね~。夜勤の12時間勤務なんてさぁ。私だったら絶対に嫌だけどなぁ~」
「全くだ。我ながらよくこんだけ働いてるもんだと感心する」
「あ、そうなんだ。それじゃあなんでこの仕事続けてるの?」
「……おい、着替えるから出てけよ」
「あ、別に気にしないでいいよ」
「お前が気にしなくても俺が気にするんだよ! さっさと出てけ!」
「あはは! 夜行ったら照れちゃって、かっわいい~。あ、朝食……いやお昼か……? まあいいや、とにかくご飯出来てるから、身支度終わったら食べて」
明は笑いながら夜行の部屋を後にした。
「全く……とんだ厄介者が住み着いたもんだな……」
夜行はぼやきながら服を着替え、刀の点検をした。どこにも異常はなさそうだった。
その後は顔を洗い、いつものように化粧をしてからリビングに向かった。
「うわ~ねぇ見て夜行、またテロだって~。なんか最近多くない?」
明が見てたニュース番組では、ガザ地区での動乱やロシアによるウクライナ侵攻のニュースに混じって、『黎明』と名乗るテロ組織のメンバーが、日本の各地で様々な事件を起こしているという報道をしていた。
「世の中荒れてるねぇ。外国だけじゃなくて、日本ももうあんまり安全じゃなくなってるのかなぁ」
「鶏が先か、卵が先なのか……」
「え? 何?」
「世の中が荒れてるから、訳の分からない凶悪犯罪が増えるのか、凶悪犯罪が増えるから世の中が荒れるのか、どちらなのかと思ってな。考えても仕方ないのかもしれないが、職業柄考えずにはいられない」
「……う~ん、どっちなんだろうね……」
「ご馳走様。あんまり旨くなかったけどな」
「ひどっ! せっかく作ってあげたのに!」
「あとこれ、持っとけ」
「え? なに? ……え?」
夜行は一万円札を5枚明に無理やり握らせた。
「中学生のお小遣いにしちゃ破格だろ。それで一か月やりくりしろ」
「え!? え!? こ、こんなに貰えないよ!?」
「金渡さないと、お前また社会のダニ共とつるみだすだろ」
「夜行……」
明は目を潤ませながら夜行に駆け寄った。
「夜行! 大好き!」
「あ、そ」
夜行はそんな明を軽く躱した。照準が合わなくなった明は派手にすっころんだ。
「じゃあな。留守番頼んだぞ」
「もう! そこは抱き合うところでしょ! 行ってらっしゃい!」
家を出て車に乗り込むとき、夜行はくすりと笑った。
「……ま、あいつがいるお陰で多少は気がまぎれるか……」
そう呟いて、夜行はエンジンをかけて車を発進させた。
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