第4話 人生最悪の一日④
雪は壁にかけている時計を今一度眺めた。とっくに日付は変わっており、時計の針は既に4時を超えている。
車が通る音が外から聞こえた。雪は急いで窓の外を見た。が、外を走っていたのは雪が期待していた車ではなかった。
雪は寂しげにため息を吐いて、化粧台の椅子に座った。これだけ待ったのに来ないという事は、もう自分の待ち人は現れないのだろう……そう思った矢先だった。
雪は何者かに口を塞がれた。雪は驚いて目を見開いた。
「……あれ? ひょっとして俺、口を塞いじゃったのか? ごめん、暗いから……」
そのどこか悲し気で中性的な声を、雪はずっと待ち望んでいた。雪の表情から自然と笑みが零れる。
相手は手の位置をずらし、今度は雪の口ではなく、目を覆ってみせた。
「だーれだ?」
「うふふ……誰かな? 窓から入って来るという事は、やっぱり泥棒さんかな?」
「ぶっぶー。正解はサンタクロースだよ。良い子にプレゼントを持ってきた」
「プレゼント? なんのプレゼントを持ってきてくれたの? サンタさん?」
「母さんがずっと欲しがっていた万年筆だよ。……お誕生日おめでとう、母さん」
雪は後ろを振り返ると、愛息子の夜行をきつく抱きしめた。
「夜行! 絶対に来てくれるって信じてた!」
「や、やめてよ母さん、恥ずかしいよ……」
「だって、久しぶりに夜行に会えて嬉しいんだもん。最近ちっとも会いに来てくれなかったし」
「ごめん母さん。最近ちょっと多忙で……」
「いいの。こうして会いに来てくれたんだから。ねぇ夜行、プレゼントあけて良い?」
「うん」
雪はプレゼンの封を開け、子供のような無邪気な笑みを浮かべながら万年筆を取り出した。
「ねぇ夜行、透視していい?」
「え? 別にいいけど……」
雪は万年筆を両手で包んで、目を閉じた。すると雪の脳裏に、夜行がどの万年筆を選んで買うべきか、真剣に悩んでいる映像が流れた。
「ありがとう夜行! 私の為に、あんなに真剣になってくれて!」
「い、いや、いいって……照れるな……」
「……夜行、あなた……」
「え? どうしたの? 母さん」
「夜行……よく見ると首に血が……」
雪は目の色を変えた。
「ひょ、ひょっとしてケガしてるの!? 大変! お医者様を呼ばなきゃ……!」
「だ、大丈夫だよ母さん。これは……これは俺の血じゃない。俺はどこもケガしてないよ」
「え……本当?」
「本当だよ。見てほら、大丈夫でしょ?」
「……という事は、他の人の血なのね……」
「え……まあそうだね……」
「また人を殺したの?」
「……」
雪の目からぽろぽろと涙が零れ始めた。夜行は焦った。
「な、泣かないでよ母さん……!」
「だって……だって……う……うわあああああん……」
まるで幼い子供がするように、雪は声をあげて泣き出してしまった。夜行はなんとかして彼女を宥めようとしたが、一向に雪は泣き止んではくれなかった。
「母さん……」
「ご、ごめんなさい夜行……でも、悲しくて……」
「お嬢様! 大丈夫ですか!? お嬢様!」
どかどかと大きな足音が聞こえたかと思うと、メイド長である染野沙苗が部屋の中にすっ飛んできた。
沙苗は、夜行の姿を認めた瞬間に、表情を厳しくし、目線を冷たくさせた。彼女は夜行を見る時、いつもそんな目をする。
「……どこから入ったんですか夜行さん? 入り口は閉まってた筈ですが」
「ああ、そこの窓から……」
「まるでコソ泥ですね。みっともない」
「や、夜行の事を悪く言わないで沙苗! 夜行は私の為に……! ごほっ! ごほっ!」
「お嬢様!?」
沙苗は夜行を押しのけて、雪をベッドに寝かしつけた。
「こんな遅くまで起きてちゃダメです。今日はもう寝て下さい」
「そんな……せっかく夜行が来てくれたのに……」
「お嬢様はお身体が弱いんですから、わがまま言わないで下さい」
「むぅ……沙苗の意地悪……」
「……ごめん、母さん……プレゼントここに置いてくよ」
「ううん、謝らないで夜行……」
「全く! もういい年なのに、こんな時間に窓から侵入するなんて、あなたには常識ってものが……」
「……いい歳……? あれ……夜行って、今いくつなんだっけ……?」
沙苗はぎくりとした。余計な一言を放って墓穴を掘ってしまったと、気付いた時には遅すぎた。
「……」
「夜行?」
「……25だよ、母さん」
「25……? そんなのおかしいよ……だって、私は今日17歳になったのに……」
「あ、あの、お嬢様……」
「うぅ……! わ、私は一体……!? あ、あの時私……! な、なんでだろう……思い出せない……!」
「お嬢様、このお薬を飲んで下さい! お願いします……」
「う、うん……」
沙苗は薬と、水の入ったコップを雪に渡した。雪は沙苗に言われた通りに薬を飲み、目を閉じた。そして、暫くすると彼女は静かな寝息をたて始めた。
雪が眠ったのを確認すると、沙苗は静かだが毅然とした口調で夜行に言った。
「……夜行さん、お話があります。申し訳ございませんが、もう少しだけお付き合い願えませんか?」
「ああ……」
夜行はそう言いながら雪の顔を見つめた。25歳の子を持つ母とはとても思えない程に若々しい容姿の彼女を見る度に、夜行は辛い想いを感じずにはいられなかった。
古時計の針が動く音をバックに、沙苗は重々しく口を開いた。
「……雪……お嬢様の症状が重くなっているんです……最近、ますます記憶が錯綜してしまっているようで……」
「……」
「それだけじゃありません。……身体の具合も……例によって、原因不明ですが……」
「……医者はなんて?」
「長く持っても、後1年の命らしいです」
「1年だと!?」
「今日は比較的調子が良い方です。酷い日だと、一日中眠ってたり、苦しんでるときもあります……」
「なんとかならないのか……? 薬とか手術とか……」
「あらゆる手は打ちました! でももう……もうどうしようもないんです!」
感情の昂りから、沙苗は悔し涙を流した。
「夜行さん! 26年前に雪を攫って襲った犯人は……あなたの父親はまだ見つからないんですか!?」
「……あらゆる手を尽くしてる。だが相変わらず、何の手がかりも得られない」
「いい加減にして下さい! どうして12年も捜査してるのに手掛かり一つ得られないんですか!?」
「沙苗さん、あんまりデカい声出さないでくれ。誰か起きてくるぞ」
「話を逸らさないで下さい! ……あなたの魂胆は分かってます! あなたは本当は、実の父親の事を見つけたくなんてないんだ! だって、もし奴を見つけたら、あなたは彼を殺さなきゃいけなくなる! だからあなたはわざと……!」
「俺がどれだけ奴を憎んでるか分かるか?」
夜行の声があまりにも暗かった為に、沙苗は思わず息を飲んだ。
「俺が夜警団に入ったのは奴を殺す為だ。……奴の非道な行いのせいで母さんは……! あいつがいなけりゃ……!」
「や、夜行さん、その……」
「俺はこの命に代えても俺は必ず奴を見つけ出し、この手で殺す。約束してやるよ……ただじゃ殺さない。奴が自分の方から殺してくれと懇願しだしても、それでも俺は許さない……地獄の方がマシだと思えるほどの苦しみを与えてから、じわじわと息の根を止めてやる……」
「夜行さん、もう止めて……」
「奴を苦しませる方法は色々考えてある。……まず最初に、奴の両手両足の爪の下に針を通してやる。その後歯を全部引っこ抜いて……」
「止めて!」
再び沙苗が大きな声を出したので、夜行は我を取り戻した。
「……今日はもう帰る。母さんによろしく言っておいてくれ」
「え、ええ……」
「じゃあ……」
夜行はそのまま立ち上がり、暗闇の中に消えた。早苗は何かに取りつかれたように、じっとそのまま椅子に座り続けた。
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