第3話 人生最悪の一日③

 夜行は車を高速で走らせ、運転したまま志穂に電話をかけた。

『はい、こちら夜警団……』

「志穂、俺だ。夜行だ」

『ああ夜行さん、犯人と白石風夏の居場所は特定できたんですか?』

「多分な。それより夜警団のデータベースにアクセスして、佐良﨑輪の忌躯としての能力情報を、口頭でいいから教えてくれ」

『分かりました。少し待っていてください……』

 約20秒後に志穂は資料を読み上げ始めた。

『では読み上げます。大丈夫ですか?』

「ああ」

『佐良﨑は能力者です。データベースには『命令』の能力を持つと記されています』

「命令の能力……精神攻撃型か」

『脅威の判定としては、Bランクになっています。これは佐良﨑が過去にこの能力を鍛えた形跡が見られない事と、比較的最近に能力を得た事が理由になっています。しかし、能力そのものは非常に厄介な部類で、もし彼が過去にこの能力を悪事に使っていたならば、間違いなくAランクの判定を食らっていたでしょうね』

「それで、肝心のその能力の内容は?」

『対象相手に命令すると……例えば、眠れと佐良﨑が命じると、その対象相手は本当に眠りに落ちます。能力がかかるまでに必要な所要時間はおよそ3秒程度です』

「能力発動に何か条件は?」

『ありません』

「それじゃあ能力の範囲は? 例えば佐良﨑が対象相手に『宇宙人を捕まえてこい』と命令したら、対象相手はどうなる?」

『能力の範囲は比較的厳しいようです。今夜行さんが仰ったケースですと、そもそも能力は発動しないでしょう。あくまで簡単な命令……例えば寝ろとか動けとか、そんな単純な動きしか命じられません』

「それじゃあ『死ね』はどうだ? それでも発動するのか?」

『うーん……申し訳ありませんがそこまでは……ですが例えば、ナイフを対象相手に渡した状態で命じたのならば、発動するかもしれません。ナイフで首を切り裂いたり、心臓を串刺しにする行為はそこまで難しくありませんから』

「分かった。ありがとう」

 夜行は電話を切ると、一層強くアクセルを踏み込んだ。


 耳なじみのある音楽によって、白石風夏は目を覚ました。何故か頭がガンガンと痛み、朦朧とする。風夏は酒を飲んだ事はないが、二日酔いになるとこんな感じがするんだろうなとぼんやり思った。

「やあ、気が付いたのかい?」

 眼鏡をかけた、痩躯の男が微笑みながら風夏に挨拶した。

「あんたは……?」

「僕の事を忘れてしまったのかい? あんなに頻繁に君に会いに行ったってのに……」

 その時風夏の頭の中に、自分を追い掛け回してきた佐良﨑輪の不快な記憶が濁流の如く流れてきた。

「う、うわぁ! あ、あんたは! 佐良﨑……!」

「なんだ、やっぱり覚えててくれたんじゃないか」

「ふ、風夏に何の用!? こ、ここどこ!? 風夏なんでこんなところに……!」

 思わず立ち上がって咄嗟に逃げ出そうとした風夏だったが、その試みは失敗に終わった。

両腕両足に鎖をつけられており、逃げ出せないようになっていたのだ。

「ひっ……!?」

「今流れてる曲、勿論知ってるよね? 君が初めて発表したシングル曲だ。この教会でライブを行った時、オープニングで歌ってくれた」

 佐良﨑はスマホから流していた曲を止めると、薄気味悪い微笑みを浮かべながら風夏に向かってきた。風夏は悲鳴を上げようとしたが、声が掠れて上手く声を出せなかった。

 佐良﨑の目には何の感情も顕れていなかった。ただ黒いだけ。まるで鮫の目のようだ。

「君は祝與だ。人々を癒し、歪んだ世を正すのが仕事の筈だ。なのに、君はその責務を投げ出した。今の君は単なる金に目がくらんだ、ゴシップに塗れた芸能人だ。……これ以上僕を悲しませないでくれ。これ以上君が欲に目を奪われていく様を見るのは耐えられない」

「あ……あ……!」

「昔の君は輝いていた。ここでライブを行っていた頃はね。……僕が君を、あの頃の君に戻してあげる。そして君は僕の記憶の中で、永遠に生き続ける……!」

 佐良﨑の手にナイフが握られている事に風夏は気付き、更に恐怖を大きくした。

 殺される。風夏はそう確信した。

「いや……いやあああああああ!」

 風夏が絶叫した瞬間、佐良﨑は狂気的な笑顔を浮かべ、ナイフを高く掲げた。

 その時、教会の入り口の扉が強く開け放たれる音が木霊した。

「見つけたぞ。諦めろ佐良﨑」

 佐良﨑は舌打ちすると、怠そうに後ろを振り返った。

「……誰?」

「夜警団。夜警団の月海夜行」

「夜警団だと……?」

「佐良﨑輪、俺にはお前の殺害許可が下りてる。死にたくないのなら、今すぐにナイフを床に置いてうつ伏せになれ」

 夜警団の一員を名乗る夜行がやってきても、風夏は安心するどころか増々不安になった。お世辞にも恵まれた体格とは言い難い、中性的な風貌の夜行の事を頼り難く思ったのだ。

「夜警団……なんで僕を止めるんだ? 僕は正しい事をしているんだ」

「お前は私怨で人を殺そうとした極悪人だ。分かってるのか? 祝與を殺害した場合、通常の殺人よりも重い罪が課される。良くて死刑、軽くても無期懲役だぞ」

「ふざけるな! お前等権力者はいつもそうだ! 祝與を過剰に保護する反面、僕ら忌躯を差別する! ……夜警団! お前達の存在そのものが、この歪んだ世の中の象徴だ! 僕の邪魔をするのならお前等にも正義の鉄槌を……!」

 自分の演説に酔って、佐良﨑が注意散漫になった隙を、夜行は見逃さなかった。 

 一瞬、夜行の全身に稲妻のようなものが走ったのを、風夏は確かに見た。そして次の瞬間、夜行は佐良﨑輪の首をきつく締めあげていた。

「え……え!? い、今のどうやったの……!?」

 思わず、風夏は素っ頓狂な声を上げてしまった。しかし混乱していたのは風夏だけではない。佐良﨑も同様で、混乱の只中にあった。

「……!?」

「喋れないだろ? これで自慢の能力も使えない」

「……!」

「死ね」

 佐良﨑の目に恐怖の色が宿った。それと同時に、夜行は手に力を込め、佐良﨑の首の骨をへし折った。

 首の骨が折れる嫌な音が響き、風夏は思わず目をきつく閉じ、耳を手で覆った。

 夜行は佐良先の身体を投げ捨てると、風夏に向かってゆっくりと近付いて行った。風夏はふるえながら夜行を見上げた。

「そ、そうか! あ、あんた……あんたも忌躯なのね!? このチビ! あんた等忌躯なんて、皆死んじまえ!」

「……」

「いやあああああ! 風夏に近付かないでええええ!」

 風夏は再び目を閉じ、自分の身体を抱きながら、子猫のように丸まって震えた。だが、いくら経っても何も起きない。

 風夏は恐る恐る目を開け、夜行の方を向いた。すると、夜行は中腰になって、風夏に向かって手を差し伸ばしていた。

「俺は君の敵じゃない。君を助ける為にやってきたんだ」

「……ふ、風夏を殺さないの……?」

「もう悪夢は終わったんだよ。さあ、家に帰ろう。お母さんとお父さんが君を待ってる」

 優しい声色だった。その声を聴いて、風夏は自分でも気付かぬ内に安堵の涙を流していた。

 風夏は夜行に抱き着き、泣きじゃくった。夜行は風夏を抱きしめてやった。

「来るのが遅くなってごめん。でももう大丈夫。君の事は俺が守る」

「うん……うん……!」

 夜行は電撃を纏った手刀で、風夏につけられた両手両足の鎖を解いてやった。が、それでも風夏は立ち上がろうとしなかった。

「どうした?」

「こ……腰が抜けちゃって……」

「……俺の身体に手を回して」

「え……? う、うん……」

 言われたとおりに、風夏は夜行の身体に手を回した。すると、夜行は風夏の身体を抱きかかえた。

「あ……」

「さあ、家に帰ろう」

 夜行は風夏を抱きかかえたまま、教会を後にした。


 抱き合って再会を喜び合う風夏とその両親を遠目で眺めていると、夜行の胸の中に穏やかなものが訪れた。

「お手柄でしたね、夜行さん」

 高崎と、その後ろをまるでかるがもの子のようにくっついてくる坂本が、夜行に近付いてきた。

「はいこれ、コーヒーです」

「ああ……アイスコーヒーか……」

「いいえ。これ、本宮刑事が買ってきたやつです。ここに来た時、夜行さん本宮刑事にコーヒー買ってくるように頼んだでしょう?」

「そういえば……すっかり忘れてた」

「かんかんに怒ってましたよ。俺の事パシリにした癖にその約束をすっぽかすなんて、何様なんだって」

「そりゃあ悪い事したな。だが緊急事態だったんだ。仕方ないだろう」

「あ、これ領収書です。預かっておいてください」

「その辺に捨てとけ」

「そう言うと思いました」

 高崎は領収書を破って、ポケットにしまった。

「あ、あの! 夜行さん!」

 坂本は目を子供のように煌めかせながら夜行に話しかけた。

「なんだ?」

「すごいです! 俺、夜行さん……いや、夜警団の事正直舐めてました! こんな短時間で事件を解決に導くなんて、神業です!」

「それは隣にいるお前の先輩に言ってやれ。高崎が現場状況の調査と、風夏の親からの聞き込みを詳細に行ってくれたお陰で、事件を解決する事が出来たんだ。俺一人じゃこんなに素早く佐良﨑の居場所を割り出せなかった」

「そっか……凄いっス先輩!」

「いえ、実際に奴を始末し、風夏を助け出したのは夜行さんなんですから、やはり今回の事件は夜行さんのお手柄ですよ」

「持ち上げたって何も出て来やしないぞ」

「もしかして、照れてます?」

「うるせえ」

 夜行がそう言うと、二人は面白そうに笑った。

「それじゃあ俺はもう帰る。後の事は任せた」

「はい。任せて下さい」

「夜行さん! 今度詳しいお話聞かせて下さい!」

「ああ……あとこれついでに捨てといてくれ」

 夜行はコーヒーを坂本に押し付けると、二人に背を向けて車のある場所に向かって歩いて行った。

「やばっ! ちょっと待って夜行さん!」

 そして車に乗り込もうとした夜行を、風夏が駆け寄ってきて呼び止めた。

「どうした? まだ俺に何か用が?」

「いや、用って事もないんだけど……お礼を言いたくて。助けてくれてありがとう。風夏、夜行さんが来てくれなかったら多分死んでたと思うから……」

「礼はいい。これが俺の仕事だ」

「夜行さんにとってはそうでも、風夏にとっては17年間生きていた中で、一番の大事件だったの! ほんと、助けてくれてありがとね! それと……チビって言っちゃってごめんなさい。風夏あの時パニくってて……」

「気にするな。別にどうとも思ってない」

「そ、そう? その割には悲しそうな顔してたよ?」

「……実はちょっと傷ついた」

「やっぱり? ほんと、ごめんなさい。この通り謝るから……あ、そ、それとさ……」

 風夏は僅かに頬を赤らませ、もじもじしながら言った。

「や、夜行さんがよかったらでいいんだけど……ラ、ラインの交換とかしてくれないかな―って……そうすれば、いつでも連絡とれるようになるじゃん?」

「……嬉しいね。君みたいな誰もが羨む美少女に口説かれるなんて」

「え? じゃ、じゃあ……」

「だが駄目だ」

「……どうして?」

「君と俺とじゃ、住む世界が違い過ぎる。君は人々に幸福を与える祝與、対して俺は社会から蔑まれている忌躯だ」

「そんなの……そんなの風夏気にしないよ! 夜行さんが風夏にとってヒーローなのは、変わらないもん!」

「君は気にしなくとも、君の周りにいる人間は気にするだろう」

「風夏は風夏の気持ちが一番大事なの! 周りなんてどうでもいいよ!」

「アバンチュールが欲しいのなら他をあたれ。とにかく、俺は子供の恋愛ごっこに付き合うつもりはない」

 冷たい声で夜行にそう言われて、風夏はショックを受け、その場に立ち尽くした。

「……夜行さん……」

「じゃあな」

「また……またあなたに会える?」

「会わない方がいい。俺の事は忘れて、自分の人生を生きろ」

「……」

 夜行は車に乗り込み、その場を後にした。風夏は車の姿が見えなくなるまで、ずっと目で追い続けた。

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