第2話 人生最悪の一日②

 夜行は新しい煙草に火をつけながら、スマホをチェックした。

「……着信が入ってるな」

 志穂から着信が入っている事に気付いた夜行は、折り返しで電話をかけた。

『夜行さん!? よかった繋がった! こっちは大変だったんですよ!』

「なんだどうした?」

『白石風夏って知ってますか?』 

「名前と顔くらいはな。最近話題の祝與だろ。飲料水のCMに出てる……」

『彼女が忌躯に拉致されたらしいんです! 直ぐに現場に向かってください!』 

「……」

『もしもし夜行さん!?』

「……他の奴じゃ駄目なのか? 今日は絶対に外せない用事が……」

『夜行さんが現場に一番近いんですよ! それに失敗したら事ですよ! なんてったって白石風夏は数多の祝與の中でも人気の……!』

 志穂が早口でまくし立てると、夜行は皮肉っぽく答えを返した。

「分かった分かった。絶対にしくじれないから、優秀な俺に捜査にあたれって言いたいんだろ?」

『え、ええそうですよ。さっき団長にも連絡して、そしたらあなたに捜査して欲しいと……私が決めた訳じゃないんだから、嫌味言わないで下さいよ』

 夜行は紫煙を吐き出した後言った。

「これから現場に向かう。マップと事件のデータを俺の車のナビに送ってくれ」

『了解です』

「それと、今俺がいるレストランに人をやってくれ。忌躯の半グレ集団が血の密売をしていた現場を押さえた」

『……分かりました。ではよろしくお願いしますね。……あ、夜行さん?』

「なんだよ?」

『少しくらい禁煙したらどうですか? 圭から聞きましたよ。夜行さんってところかまわず喫煙してる、重度のヘビースモーカーなんでしょ? 身体に悪いですし、そもそも今時喫煙なんて……』

 夜行は電話を切ってスマホをしまい、駐車場に向かった。


 本宮刑事は苛立ちながら腕時計を眺め、吸っていた煙草を地面に向かって吐き出し、踏みつけた。同じような末路を辿った煙草の吸殻が、周りには十本程転がっている。

「一体いつになったらやってくるんだよ……」

 そうして、また新たな煙草に火をつけようとした瞬間、まるで肉食獣の咆哮のような、けたたましいエンジン音が近づいてきた。

「やれやれ、やっとご到着か……」

 本宮刑事は煙草を投げ捨てると、車から出てくる夜行に向かって敬礼した。

「ご足労頂き、ありがとうございます」

 車から降りた夜行は、本宮刑事の顔を眺めた。『なんで俺がこんな若造にへりくだらなきゃいけないんだよ』顔にそう書いてあった。

「お出迎え感謝します。わざわざ外で待っている事も無かったと思いますが」

「私も外で待ちぼうけなどしたくなかったのですが、上からの命令で……」

「辛い立場ですね。お互いに」

 そのまま目の前の豪邸に入っていこうとする夜行を、本宮刑事は慌てて呼び止めた。

「あ、あの、私になにかする事は……」

「別に何も。ここから先は私が担当するので、もう帰っても結構ですよ」

「しかしそういう訳には……」

「ではこれから駅前のコンビニまで一っ走り行ってきて、ブラックコーヒーを買ってきて下さい」

 本宮刑事はあからさまに嫌な表情をした。

「不満ですか?」

「……いえ別に。では……」

 本宮刑事は回れ右をしていなくなった。夜行が敷地内に入った時、背後から「クソッ!」という野太い声が聞こえた。


 屋内は連絡通り、しっちゃかめっちゃかになっていた。趣味の良い調度品も破壊尽くされ、金目なものは盗まれている形跡がある。まるで台風でもやってきたかのような有様だ。

 警察官が現場検証を行っている中を、夜行はずかずかと進んでいった。だが既に夜行が来る事は連絡済みなのか、誰も夜行を止めようとはしなかった。

「ああ夜行さん」

 白石風夏のものと推定される部屋に入ると、刑事の高崎が夜行に話しかけてきた。

「随分待ちましたよ。遅かったですね」

「悪い、丁度潜入捜査中でな……そいつは誰だ?」

 高崎の背後にいた、童顔の若い男が頭を下げた。

「自分、坂本緑と言います! 最近刑事になったばかりの新入りです! よろしくお願いします!」

「あ、そう」

 興味なさそうに一際荒らされている部屋の観察を始める夜行にムッとしたのか、坂本は高崎に小声で耳打ちした。

「なんスかこいつ? 若いのに随分偉そうですけど。あいつ絶対友達いないだろうなー」

「夜警団の月海夜行さんだ。確か25歳じゃなかったかな」

「25? 俺と同い年じゃないですか」

「夜警団は完全な実力主義だからな。若くても能力があれば取り立ててもらえるらしい」

「へー。いいシステムですね。俺も警察じゃなくて、夜警団に入っとくんだったなぁ」

「止めとけ。とんでもないブラックだぞ夜警団は。あんたじゃ多分耐えられない。それと、友達がいなくて悪かったな」

 夜行が口を挟むと、坂本はギクリとした。

「も、もしかして今の話聞こえてました……?」

「時間が無いからこうやって巻き気味で喋ってるんだ。その辺の事情を考えて欲しいもんだな。いや、考慮に入れて頂けませんか?」

「あ、あはは……」

 一通り部屋の物色が済んだ夜行は、高崎に向かい合った。

「通報してきた被害者の母親は?」

「夫と一緒に応接室にいますが、会わない方がいい。パニック気味なので、話を聞き出すのは困難です」

「やれやれ、時間が限られてるのに……まあ当然の反応か」

「代わりに自分が事件の詳細を聞き出しました。なにか質問があれば自分に」

「助かる。……被害者の母親は、犯人に心当たりがあると言っていたそうだが、何故そう言い切れた?」

「犯人と思われる男は、以前から被害者を付け回していたそうです。なんでも狂信的な被害者のファンで、ライブ会場やイベント会場でも度々問題をおこしていたとか。終まいにはストーキングや脅迫の手紙を送りつけるようになりました」

「警察に通報は?」

「一か月前にしています。逮捕こそされませんでしたが、厳重注意を受けています」

「その事を逆恨みして犯行に及んだ訳か」

「現場に佐良﨑輪の指紋も残されていました。まず間違いなくクロです」

 夜行は煙草を口にして、椅子に座った。

「ちょ、ちょっと煙草は……」

「いいんだ坂本。犯人であると推定される佐良﨑輪に関する資料は、既に集めてあります」

 そう言いながら坂本はアタッシュケースに入れていた書類を取り出し、夜行に渡した。

 夜行は注意深く、だが素早く資料に目を通すと、低い声で言った。

「……恋愛妄想(エロトマニア)か」

「いや、確かに佐良﨑はマニアですが、エロいと決めつけるのは……」

「夜行さんはエロいマニアじゃなくて、エロトマニアと言ったんだ坂本」

「え?」

「夜行さん。こいつに少し、夜行さんの手腕の程を見せてやって下さい」

 夜行は資料を読みながら解説をしてやった。

「恋愛妄想は有名人や上司等の、自分より高位にいる人間に向けられる観念的で空想的な愛情の事だ。こいつは間違いなくこのタイプの犯罪者と断定出来る。有名な恋愛妄想型の犯罪者は、1980年にジョン・レノンを殺害したマーク・デイヴィッド・チャップマンが挙げられる」

「ジョン・レノン? ……あ、イマジンの人?」

「そうだ。チャップマンは元々ジョンの熱狂的なファンだった。ビートルズやジョンが発表したソロアルバムを所有するばかりか、ジョンが日本人と結婚したのを真似て、自身も日系人女性を妻にしてる程だ」

「なんか……そこまでくると病気ですね」

「しかしファンだった男が何故自身のヒーローの殺害を……?」

「動機についてはケースバイケースで一概には言えないが、恋愛妄想型の犯罪者に共通してる心理現象としては、人格の融合がある」

「人格の融合?」

「被害者……チャップマンの場合はジョンを、佐良﨑の場合は風夏を崇拝するあまり、自分自身が本物のジョン・レノン、或いは白石風夏であると思うようになった。やがて本物のジョンや風夏の事を偽物だと感じるようになり、殺害を試みる。崇拝の対象が偽物になっていくのを止めなければ、自分も偽物になると考えたんだ。そしてその結果が殺人だ」

「あのー、言っている意味がよく分からないのですが……偽物もクソも白石風夏は白石風夏で、佐良﨑はどうやっても白石風夏にはなれないですよね?」

「常識的に考えればな.。だが奴等の頭の中では、こんな狂ったロジックが成立してるんだ」

「いやいやいやいやいや………」

「俺達が相手してるのは凶悪犯だぞ。真っ当な感性、真っ当な思考回路はとうの昔に失われている。一言で言えば、狂ってる。常識的な意見を持ち出して反論する方がナンセンスだ」

 坂本は背中に寒気を感じた。それなのに冷や汗と脂汗がとめどもなく溢れてきて、気味が悪かった。

「それにしても詳細な資料だ。よくここまで調べてくれた。礼を言う高崎」

「何か不足な事態がおこれば、警察も糾弾されますから。これくらいは当然です」

「……成程。まあ大体分かった」

 夜行は資料をアタッシュケースの中にしまい、高崎に返した。

「やろうと思えば、佐良﨑がこの場所で風夏を殺害する事など容易かった筈。だがそうせずにわざわざ彼女を攫ったのは、特定の場所で彼女を殺害する為だ」

「そこがどこか、分かったのですか?」

「佐良﨑が直に初めて風夏に出会ったのは、風夏がライブを行った小さな教会だ。奴はその場所に潜伏している可能性が高い。二人にとっての想い出の場所で、自身の信仰の的である風夏を殺すつもりなんだ。多分な」

「多分? 本当のところはどうなのか分からないんですか?」

「俺はあくまで、佐良﨑輪のデータから奴の思考回路を辿り、推論を出したに過ぎない。俺の推論が間違っている可能性も十分にある」

「そんな! もし間違っていたらどうするんですか!?」

 興奮しそうになる坂本を、高崎が制した。

「坂本、夜行さんがそう言っているんだ。ここは夜行さんに一任しよう」

「しかし……!」

「そうしてくれると助かる。パトカーでサイレン鳴らしながら向かったら、佐良﨑は動揺してたちまち風夏を殺害するだろうからな。もう奴は風夏に対して何の未練もないんだ。ところで、事件発生から現時点でどれくらい経過してるんだ?」

「事件発生推定時刻は22時から23時の間と思われます」

「まずいな……もう既に事件発生から二時間近く経過してる。おい、俺は一刻も早く現場に向かうが、お前等は何もするな。警察が何人来たところで、忌躯相手じゃ邪魔なだけだ」

「無論です。下の者にも後は夜行さんに任せて何もするなという指示を出しています」

「それはどうも。それじゃあ俺はその教会に向かう。お前等は引き続きここで調査を続けていてくれ」

 そう言いながら、夜行は窓を開けた。

「……? 何やって……?」

 そして、夜行は躊躇いもなく外に飛び出した。驚いた坂本は外を覗いたが、夜行の姿は無かった。

「ど、どうやったんですかあの人!? ここ二階ですよ!?」

「さあね。つくづく謎の多い人だよ、あの人は……」

 高崎はまるで、自慢の玩具を自慢する子供のような声色でそう言った。

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