第14話

 フィリーネが顔を向けるとシドリウスが立っている。

 シドリウスは今日もその美貌には磨きが掛かっていて、目のやり場に困るほどだった。

 フィリーネは椅子から立ち上がって挨拶をする。

「おはようございます、シドリウス様」

「おはようフィリーネ。折角の食事をイシュカが台無しにしているようだな」

 シドリウスはぴくりと片眉を跳ね上げて、イシュカへ鋭い視線を向ける。

 ようやく落ち着いたイシュカは、咳払いをしてから「申し訳ございません」と謝った。


 別に食事を台無しにされた訳ではないので、フィリーネはシドリウスに誤解だと説明する。

「イシュカは悪くありません。ただ他愛もない話をしていただけです」

 フィリーネは相談内容については触れず、言葉を濁した。食べられる本人に食事量が変わらないと打ち明けてガッカリさせたくなかったからだ。

「フィリーネがそう言うのなら構わないが……」

「はい、大丈夫です」

 笑みを浮かべて返事をしたら、シドリウスはそれ以上は追求せずに引き下がってくれた。

 シドリウスはテーブルを一瞥して口を開く。

「料理は口に合ったか?」

「はい。とっても美味しかったです」

 シドリウスはフィリーネの感想を聞いて満足げに頷き、ゆっくりとした足取りでこちらに近づいてくる。


 次にフィリーネの隣の席に座ると、フルーツボウルへ手を伸ばした。

「シドリウス様は朝食を食べられましたか?」

 この屋敷で暮らし始めてから、シドリウスと夕食以外を共にしたことは一度もない。

 仕事が忙しいらしく、日中は屋敷にほとんどいないのだ。とはいえ、フィリーネが食堂にいる頃合いを見計らって必ず会いに来てくれるので交流する機会はあった。

 シドリウスはフィリーネの質問に答える。

「もちろん、私は先に食べている」

 そう言いつつも、シドリウスの手はフルーツボウルへ向かったままだった。

 小腹でも空いているのだろうか。それなら家事精霊に何か頼んだ方が良いかもしれない、とフィリーネが考えていたところで、口元に何かが触れる。

 意識を引き戻すと、その何かはシドリウスによって押し当てられていた。

 咄嗟に離れて確認してみたら、それはイチゴだった。


「シドリウス様!?」

「私も今朝食べたがこのイチゴは美味しかった。おまえにも是非食べて欲しい」

「ですが……」

 シドリウスの手ずから食べさせてもらうなんて想像もしていなかった。

 フィリーネはどうしていいか分からず面食らってしまう。

(どうしよう。……とっても恥ずかしいわ)

 彼は純粋に世話を焼いてくれているだけだろうが、やはりこういった類いの行為には慣れそうにない。

 困り果ててとうとう涙目になっていたら、たちまちシドリウスの表情が強ばった。

「……っ、すまない。おまえにとっては、不快だったようだな」

 さっと手を引っ込めるシドリウス。その表情には悲痛な色が滲んでいる。

 フィリーネはその様子に心苦しくなった。


(シドリウス様は私に太って欲しくてイチゴを食べさせようとしていただけ。あと、私が成人するまでは大切に可愛がるって仰っていたから、これが彼の可愛がり方なんだわ)

 それなのに逃げようとして、シドリウスの親切を無下にしてしまっている。

 このままでは生け贄の意味でも愛玩の意味でも失格だと思った。

(いつまでも恥ずかしがっていたらダメだわ。慣れる努力をしなくちゃ!)

 フィリーネは深く息を吸い込み、イチゴを持つシドリウスの腕にそっと両手を添えた。

「……不快じゃないです。シドリウス様にされて不快なことなんてありません。私がただびっくりしてしまっただけなんです」

 本当は自分から異性の腕に手を添える事態が恥ずかしい。

 けれど、この世の終わりのような顔をされてしまっては放っておけなかったし、いつまでも慣れないという理由で逃げ続けるのは嫌だった。

 彼の厚意に応えたい。


 腹を括ったフィリーネは、シドリウスが持つイチゴへとゆっくり顔を近づける。それから口を開いてイチゴをパクリと一口で食べた。

 やはり最後は恥ずかしくなって固く目を閉じる。

「んん!!」

 ところが、すぐにフィリーネは目を開いた。

 思いのほかイチゴが甘くて、羞恥心が吹き飛んだフィリーネは目をキラキラと輝かせる。

「このイチゴ、甘くて美味しいです!」

 素直な感想を述べたフィリーネは、食べさせてくれたシドリウスへと視線を向ける。

「シドリウス様? どうされましたか?」

 フィリーネはきょとんとした表情で首を傾げる。


 それもそのはずで、シドリウスはフィリーネが食べたイチゴのように耳の先まで真っ赤になっていたのだ。

 シドリウスは手で顔を覆ってから天井を仰ぐ。

 長い溜息を吐いた後、声を震わせながら言う。

「フィリーネの破壊力がやばい。……想像以上に可愛すぎる」

「自分で食べるように仕向けておいて何を仰っているんですか」

 向かいの席で一部始終を見ていたイシュカは呆れ顔になっていた。

「ご主人様、今日は町へ薬を売りに行く日です。そろそろ出発の準備をしないといけません」

 まだほんのりと顔は赤いが、いつも通りに戻ったシドリウスはイシュカの言葉に頷いた。

「確かにもうすぐ市場が開く時間だ。フィリーネ、良かったら私たちと一緒に町へ出掛けないか?」

「一緒に町へ?」


 実を言うと、これまで王都以外の場所へ出かけた経験がなかったので、シドリウスの提案はフィリーネの心を躍らせた。

 特に、エリンジャー公爵が運営しているガルシア領は非常に豊かな土地で住人たちも活気に溢れていると報告書で何度も読んでいたので、一度見て回りたいと思っていたのだ。

 当然、フィリーネは一緒に町へ行く方に心が傾いていた。

「ご主人様、いろいろ情報収集したいので新聞を買ってもいいですか?」

 イシュカの発言を聞いた途端、フィリーネの心は揺らいだ。

 町へ行って自分を知る者――社交界新聞の記者がいたらどうしようという不安に襲われる。彼らに見つかってしまったら、すぐに取り囲まれて根掘り葉掘り質問され、満足するまで拘束されるに決まっている。

(もしそうなったら、二人に迷惑を掛けてしまうわ)

 やはり自分は行かない方がいいと俯きがちになっていたら、シドリウスが口を開く。


「何を心配しているのか分からないが、町の人間は良い人ばかりだ。この私が保証する。それに今回はおまえも魔術師として行くから、フードをすっぽり被って足下まで覆われた外套も着る。容姿は見られない」

 シドリウスの気遣いにフィリーネは愁眉を開いた。

 これなら新聞記者もフィリーネだと分からないし、外套を脱がない限りは見つからないだろう。

「お心遣いに感謝します。では、私も一緒に行きます」

 安心したフィリーネはシドリウスたちと一緒に町へ行くと決めた。

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迷信でマツの木と結婚させられた悲運令嬢、何故か竜王様の嫁になる 小蔦あおい @aoi_kzt

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