第4話 卯(うさぎ)おかしいのは誰だ?

ある朝、俺は鏡を見て気がついた。

「なんだか俺の耳大きくなってないか?」

耳の先がとがって少し伸びたような気がする。触ると柔らかい毛が生えている。しかし、痛くも痒くもないから様子を見ることにした。


いつもの通勤電車の中で気がついた。周りの人みんな、耳が伸びているぞ。俺だけじゃないらしい。1センチくらい伸びてる人もいれば、すでに5センチくらい伸びてウサギっぽくなってる人もいるが、みんな平然としている。なぜ誰も騒がないんだ?おかしいと思わないのか?


会社のいつものデスクに座る。周りの同僚もみんな耳が伸びている。そして平然といつもの作業をこなし続ける。なんだか音がよく聞こえるようになったようだ。空調のモーター音がうるさい。書類をめくる音、キーボードを叩く音、人の息遣い、足音、外からは車の往来、話し声、などなど、今まで気が付かなかったけれど、自分は音、いうなれば雑音に取り囲まれている。ウサギというのは大変な世界で暮らしているんだな。


隣の席の女性たちのおしゃべりが、やけに気になる。

「ピアスの穴3つ開けたわ。」

「あら、少ないのね、わたし8つ開けたわよ。8は縁起のいい数字だからよ。」

女性はおしゃべりが好きだ。


昼時、トイレで鏡を見ると、朝よりも耳が長くなっている。どこまで伸びるんだろう、心配になってきた。俺はこのままウサギになってしまうんだろうか。人間がウサギになったら、困ることだらけだな。とても今までのような日常生活は送れない。


焼き肉やラーメンなんか食べられない。食事は草ばかりで、とても俺には我慢できそうにない。身体がウサギになったら車の運転もできないし、いまやれていることはほとんど不可能になるな。


などと心配していたが、周りを見る限り、耳以外の身体は人間のままらしい。すこしホッとする。ホッとしている場合じゃないのだが、最悪の事態と比べると多少はマシな気がするのは不思議なものだ。


夜ベッドに入ったが、予想したとおり眠れない。うるさいのだ。換気扇、冷蔵庫、近隣の気配、それら全てが雑音となって迫ってくる。テレビを見ても、ドラマの中で展開される会話の周辺の音ばかりが耳に入ってきて、落ち着いてストーリーを楽しむどころではない。


耳栓をしてみた。これで安心かとおもいきや、今度は自分の身体の中の音が聞こえてくる。呼吸、心音、消化器官が動く音、瞬きにも音があるんだな。人の体は騒音まみれだ。


他のみんなは気にならないのだろうか。普段通り平然としているように見える。この雑音が気にならないのだろうか。というか、自分の耳が伸びたことに驚かないのだろうか。明日になったらどうなるのだろう。


などと考えているうちに、いつの間にかうとうとしたらしい。目覚ましの音が耐えられないほどけたたましく響く。バスルームで鏡を覗く。昨日同様耳の長い自分が映っている。しかも少し伸びているらしい。


そして、いつも通り電車に乗って、いつも通り会社のデスクにすわり、いつもどおりの仕事をこなす。周りの人たちも同じように何の変化も、驚きも感じている様子なく日常を生きている。


 おかしいのは誰だ?

 俺以外のみんなか?

 それとも俺か?



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る