追憶の軌跡
目覚めると、目の前に見知らぬ女がいた。
女はこちらを見て微笑んでいた。
もし兄にいまだ記憶能力が備わっていたとしたら、「なんで自分の部屋にはことごとく知らないやつが現れるんだ」と頭を抱えたことだろう。もちろん、弟と出会った節を忘却しているため、そんなこともなく大量のクエスチョンマークを頭に浮かべただけである。
彼女は椅子をわざわざ運んだのか、ベッドに横たわった兄にちょうど見える位置に兄の方を向いて座っている。おかげで寝起きの兄にも、女の姿がよく見えた。
女の第一印象は、美人。
高い位置に結い上げた髪の色彩は軽やかな栗色、その毛先は可憐にカールしている。美しく弧を描く眉、ひたすらにまつげの長いツリ目、すらりと通った鼻筋、きれいな形と滲み出すような血色を併せ持った唇。
恐ろしいほど整っているのは顔面だけではない。
赤と黒のシックなシャツとベストとスカートの組み合わせは、ファッションセンスのない兄でさえバランスの取れた素晴らしい格好だと感じずにはいられない。何よりも、ぴっちりしたベストによって浮き出たボディラインの優美さである。
腰はほどよくくびれ、引き締まった様子が目で見てわかる。腰のラインは柔らかくもハリを失わぬ絶妙な弧を描く。胸はその均衡をとったボディラインを損なわないちょうどよい大きさと形を保つ。
そんな女性らしさを詰め込んだような姿形でも、放たれるのは煽情的な淫らさだけではなく、どこか完成されたような安心感。
そう、美しい人。
これに尽きるのだ。
しかし彼女はあくまで見知らぬ人間である。彼女が堂々と人の部屋に居座っている以上、その美しさに感心している場合ではない。
声すらも出ず、どこから突っ込めばいいのかまったく掴めない。まずベッドから起き上がるべきか、起き上がってどうする。不法侵入?宿の者に連絡すればいいのか。そして部屋の主の前に堂々と居座っているのはなんでなんだ。寝ぼけた脳では鮮明な思考すら許されない。
ちらりと視線をずらすと、椅子に腰かける女のすぐ隣に弟が立っていた。弟は兄が起きているのに気づいてはいるようだが、なんとなく気まずそうな視線を向けるばかりでうんともすんともいわない。
兄の方も何か言えるはずもなく、弟に説明を求める意を込めた視線を投げ返す。するとさらに気まずそうに弟は目をそらした。弟には期待できない、ということがわかった。
(おそらく)空き巣相手であろうと横たわったままでは失礼か、起き上がって居住まいを正すべきか、しかしそうしたらさらに気まずくなりそうで、中々体を起こす気が起きない。
結果、兄は寝転がったまま、起き抜けの声を上げた。
「あぁー……誰?」
女は芝居がかった身振りで己を指さし、言った。
「姉でーす♡」
「……」
これ以上謎が増えてどうする。兄は深く深く、ため息をついた。
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