追憶の軌跡 第二記
「あー、その、兄さん……」
気まずい空気を漂わせるばかりだった弟が、ようやく口を開いた。女と兄の視線が弟へ向かう。
「俺もよくわかってないんだけど……その、この女……」
「お姉さんに向かって”この女”ですって?」
女が弟を、まるで本物の姉のような口ぶりで咎める。弟は女を横目で見て、心底面倒くさそうな、そしてどこか恐れているような表情を浮かべた。
「……えーと、うん……」
弟は頭を掻いた。
「今から、俺らの姉ちゃんになるらしい……?」
「お前が疑問形なら私はどうすればいい?」
「俺もわかんないんだよ……!」
心の奥底からひねり出したような叫びが弟の口から漏れる。兄よりはなにかを知っているようだが、なにもわかっていないらしい。やはり弟は役に立たない。
無に等しいやる気を振り絞り、体を起こす。
「……姉?」
「うん。ほら、お姉ちゃんですよ〜」
まるで幼子を迎え入れるときのように、両手を広げてにっこりと微笑む女。
姉を自称する見知らぬ美女。渋々とはいえそれを受け入れんとする弟。以前の兄であったら脳細胞焼き切れ案件である。だが、今の兄は一味違う。
「……あ、そう……」
* 兄 は 思考放棄 を覚えた ! *
冗談を抜きにしても、兄は以前よりも現実味への執着が薄れていた。寛容になったとも、適当になったとも言える。
「ローゼメリアって言いまーす。長いからメリアで良いわ」
「……うす」
「俺が言うのもなんだけど順応早くない……?」
「うるさいお前が連れてきたんだろ」
「俺じゃないよ!!」
弟が何やら叫んでいるが、この際どういう原理でこのメリアと名乗る女がここにいるかは置いておいてやろう。どうせ考えても無駄なんだろうから。重要なのはどういう対応をすべきかである。
女の清々しいほど曇り一つない微笑みを見て、兄はぼんやりと考えた。
弟が受け入れるというのなら自分がとやかく言うことはないだろう、と兄は結論づける。
弟がそう言うなら弟がなんとかするんだろうし、自分が焦っても碌な結果にはならない。そもそも彼女張本人が何も考えていないような面をしている以上、きっと大丈夫なんだろう。
要するに丸投げである。
自分の部屋に知らない人間が一人増えたところで兄はどうでもよかった。倫理観はとっくに捨てていたし、生活習慣や衛生観念についてもどうなったっていい。
ただにこにこと笑みを浮かべる女に敵意はなさそうだ。少なくとも自分と弟を殺そうという気はないはずだ。それならもうなんでもいい。
女が声をかけてきた。
「アタシのほうが年上だし、お姉ちゃんって呼んでね♡」
「……うん」
「兄さん!?」
兄は弟よりもこの状況を受容していたかもしれない。弟は目を白黒させ、女は上機嫌になった。
「お兄ちゃんの方はごちゃごちゃ言わなくて話がわかる子ねぇ、弟クンと違って」
「おい
「暴言は禁止よ〜?」
姉は自身の口の前で人差し指をクロスさせる。弟は目眩を覚えた。
寝起きで知らない女を見た兄よりも自分のほうが混乱している。なんでだよ。
弟は脳の感情的な部分で悪態をつき、冷静な部分で訝しんだ。
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