17.トンボと草原

 その後すぐ、手術が行われた。麻酔が掛かっていたので、詳しい様子は分からないが、意識が戻ると、胸の痛みは殆ど消えていた。予後も順調で、三日で退院することができた。かつての地球の外科手術だったらこうは行かなかっただろう。

 しかし、まあ星間文明の医療だし、ガスじゃなく麻酔光線とか何かそういうものだと思っていた。それが、目の前でお医者さんが手をクルクルと回して印を切るだけで意識が遠のくなんて。

 後で調べてわかったが、手に握った量子波発生装置が脳に作用するらしく、手の動きは装置の悪用を防ぐためのパスワードだったらしいが。俺はトンボか。

 ともかく、たいした痛みも無い状況なので、入院といってもベッドから動けないだけの休暇だった。

 入院の間、ファントリュー人の子供たち――未成熟なため、メタモルフォーゼには参加せず、大人達の融合体から力を受け継ぐ事になる――が入れ替わり立ち替わり、感謝を伝えにきたり、ネットで寄せられたメッセージ(ものすごい量の応援と感謝、それよりは少ないものの、結構すごい非難)にまとめて答えたり、お医者さんたちに怒られない程度には、楽しかった。

 その間に、いろいろな事があった。


 支店長から連絡が行ったとの事で、両親からはそれぞれ電話があった。父からは無茶をした事をやんわりと叱られた後で頑張りを褒められ、母からは炎上対策に関する的確なコメントを頂く。どちらもそれぞれの流儀で、俺を心配していることが伝わってきて、俺は暖かい気分になった。

 ちなみに妹の理乃からは、下着ちら見せ見舞い動画が送りつけられてきた。それを支店長に見られて、えらく誤解された顛末は、詳しく書くと長い話になるので省略する。


 ジュウェセル社は、このスフィアにもエンジンを付けて他の星域に避難させる事にした。集団知性となったファントリューの皆は、住みなれたコロニーで生涯を全うできることとなったし、支店長も葬儀委員長の心配をしなくて済みそうだ。

 そしてうち…フリットグリットは、ファントリュー人共同体と再び管理契約を結んだ。

 ちなみに機構から派遣されてきた学者さん達に話を聞かれた際に教えてもらったが、結局の所、ファントリュー人たちのメタモルフォーゼに引き金を引いたのは、種族存亡の危機感、強制執行によるストレスが主となったようだ。

 女王様……というか、集団知性となった皆さん曰く、「生まれて始めて、銀河標準語でいうところの『辛い』という言葉はこういう意味かと実感しました」だそうな。

 俺なんかが心配する意味が疑わしくなるくらい、彼らの方がよほどタフでしぶとかったようだ。

 俺がやったことはバカ目立ちしたが、それより支店長の気迫、板ばさみになった執行官の姿、支援のためにもどってきた人々、そういったもの全てが重要だったということだ。

 ちなみにその話を聞いて、ミジンコとか粘菌の事を思い出したが、あまりそれについて語ると種族偏見を禁止したなんちゃらにかんちゃらで以下略。まあ、興味があったら調べてみてほしい。

 ともあれファントリューの皆さんには、早速大繁殖の予兆が見られるそうだ。それに集団知性となった彼らは、新たな歌や詩を生み出し始めている。今までの文化を踏まえ、新たな曲調や和音、リズムを取り込んだ豊かな歌、生命の力に溢れた詩を……あと少々、独特のユーモアないしお茶目さが含まれた詩を。

 どうも集団知性となっても、女王様の個性は一番強力に影響を与えているらしい。


 もう一つ。ジュウェセル社のミュルイスバース専務が、健康上の理由で辞職を発表したという事だった。

 俺が見つけ出したあの情報も、結局使いどころが無かったが、素人の俺が見つけ出せたくらいだから、広まるのも時間の問題だったんだろう。

 それに今思えば、あの情報を使わなくて良かったと思う。相手がよほど汚ない手を使ってくる場合に備えての保険であって、今回の件では、機構側は法の原則をやぶらなかったのだから。

 それに機構やその加盟社は、うちにとってお得意様でもあったのだ。衰退期に入って信用度の落ちた客を紹介してもらったり、客の入りにくくなった中古物件を売ってもらったりと。こちらはリスクを引き受ける事になるが、それでも互いにメリットが有る訳だ。

 グリットフリットは、お客ともども、銀河の底辺の住人だ。裏の奴等との付き合いも、まあ有ったりもする。だが俺たちのやっているのは、裏の商売じゃない。それがこの三ヶ月で、だんだんと分かってきたのだ。

 それと、どこにいても、どれほど種族によって違っても、安心できる場所が故郷であり、我が家であるということも。それを提供するのが、自分たちの仕事の意義だということも。


 最後に一つ。俺が支店長と一緒にブースを飛び出したとき、彼女と同様に有休申請を出してくれていると期待していたラムちゃんだったが、事前に出していないものはどうしようもないので、俺は欠勤扱いになっていた。公傷扱いもされないので、新人の安月給がさらに減給されていた。はなはだ遺憾だ。



 退院した俺は、すぐに支社に……つまり太陽系に戻ることになった。このスフィアを離れるに当たって、俺は集団知性となったファントリュー人の皆さんに挨拶に向かった。

「ザザイゴン様には、とても言葉に尽くせぬほどの恩義を施していただきました」

 数日の間に皆さんの体は更に色鮮やかな葉に包まれ、集団は草原のようだった。その草原の間を、子供たちが走り抜け、あるいはかくれんぼしている。

 名前の言い間違いは、もうあきらめた。

「いやそんな。俺はただ、自分がやりたい事をしただけです」

 俺は頭をかいた。

「それで、あの、皆さんの具合はいかがでしょうか」

「「「「「「「心が一つになる、それはとても心地よいものです」」」」」」」

 女王様の言葉に、皆が賛同の声を上げる。が、次には元の女王様だけが小声で、

「ただ、行きがかり上、ゲートの近くで定着したことはいささか不具合というもの。こうと分っておりましたら、中央広場で篭城しておきましたものを」

 女王様は笑い、俺も笑った。

「また来ますから」

「ええ、お待ちしております。ササイ・クオン様」

 ちゃんと言えるのかよ!

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