16.開花
え?
えええええ?!
そう思ったのは俺だけではない。観衆からも驚きの声が上がり、ネットのアクセス数も発言数も二桁跳ね上がった。
支店長が大きく目を開き、尾を激しく振る。
「ちょっと待て! ここで諦めるのか!」
だが女王様は、静かに背の葉を揺らせた。
「職務に忠実な執行官様を苦しめるのは、私どもの本意ではありません」
「だが……」
「私共は、おそらく歴史で初めて、星間文明の決定に異を唱えました。ですが、私たちには準備が出来ていなかったのです。闘う、ということに」
観衆も静まり返り、女王様の言葉に耳を傾ける。
「私たちは、闘争心の強い種族ではありません。母星においては、捕食される存在でした。少しでも生き残るために道具を用いるようになり、やがて技術文明を生み出しました。宇宙への進出を果たし、この広大な両銀河の文明に迎え入れていただき、長い年月を過ごして参りました。急な上り坂、そして長い下り坂を歩いてきました。その私たちの旅も、最後に近づいて参りました」
支店長が顔を俯かせた。横たわっている俺からは、彼女の口がきつくかみ締められるのが見えた。
俺にもわかる。女王様はもう心を決めている。誰にも止める事は出来ない。
「この最後の時に、文明諸種族の皆さんからご支援を頂いた事は、比べるもののない喜びでした。ですが、その事で私どもと関わりあった皆さんが板挟みに合うのを見る事には、耐えられません。私共は、星間文明の審判に……」
女王様は言葉を切った。
俺も支店長も執行官も観衆も、皆が続きを待つ。『従います』という一言を。
……待つ。
……待つ。
「……どうした?」
支店長がかけた言葉にも、答えが無かった。その代わり、女王の背中の葉がふわり、と天に伸びる。
周りのファントリュー人からも、一人、そしてまた一人。青々とした葉が立ち上がり、同期して揺らめく。
そして、一斉に花が開く。
ぷん、と何かが鼻をついた。草いきれと、花の蜜の匂い。春の草原の香り。
何かが、起きている。
静まり返った観衆たちから、呟きが、会話が広がっていく。
一方、横たわっている俺からはもう一つの現象が良く見えていた。
観衆たちの足の向こう、ファントリュー人たちの小さな足から、細いひげのような触手が生え、地面へと潜り込んでいく。少しづつそれは太くなり、やがて彼らを地に強く繋ぎ止める根となっていく。
「始まった……のか?」
支店長が呟いた。
「始まったんだな、女王さんよ!」
「「そのようです」」
女王だけでなく、その周りに立つファントリュー人の口からも、同じ答えが返ってきた。奥の路地からも、ファントリュー人たちが集まってきた。
ごぼう抜きされたファントリュー人たちも、揚陸艇のフィールドの向こうから、加わろうともがいている。
「拘束解除!」
号令が響く。
見ると、ゴルノ執行官が手を振り上げた所だった。フィールドの色がライムグリーンに変わったと思うと、ファントリュー人達が次々とそれを通り抜け始めた。彼らもまた、女王を囲む輪に加わる。
気がつくと、俺はあんぐりと口をあけていた。執行官がそんな事をするとは、まったく思っていた無かったからだ。
「「「執行官様」」」
一言毎に、コーラスのようにシンクロした声が増えてゆく。
「「「「先の裁判で示した条件、私どもは今でも有効だと考えております」」」」
「この定着期の記録に関する知財権の百銀河年貸与……ですね」
「「「「「「はい」」」」」
「了解です」
執行官はヒゲをピンと張った。
「私はその権限において、今回の執行を中止します。皆さんの生活とこのスフィアの安全、その両立に最適なスケジュールを新たに設定するため、知財管理の司法代行者と共にそちらに直接参ります。また、取材スタッフも同行しますので、よろしくお願いします」
「「「「「「「はい。お手数をかけてしまいますが、こちらこそ、宜しくお願いいたします」」」」」」」
歓声が、爆発した。
今まで両者の立場で意見を交わしていたアバターたちが、一斉にこの行動に対する支持を表した。
一方、俺は自分の耳を疑っていた。司法代行者? 取材スタッフ?
それってまさか、あの人も最後までその可能性を捨ててはいなかったって事?
……そうに違いなかった。それを期待していた、かどうかは分らないが、少なくとも最後の最後で『定着期』が始まる可能性を完全にゼロだとは見ていなかったということだ。
くそ。上司も敵も格好良いなんて、どういうことだ。俺なんて、肋骨一本折ったくらいじゃまるで追いつかないじゃないか。
「なお、この件に関する窓口となる担当者は御種族にてご指名頂けます。特に御要望がなければ、機構より経験豊富な人材を……」
「「「「「「要望いたします」」」」」」
コーラスが、彼女の言葉を遮った。
「「「「「「ゴルノヴェルーガ執行官様、貴方にお願いしたいと思います」」」」」」
彼女の動きが数秒間止まった。
ジルトル人の感情の表し方を良くは知らない。だが、ヒゲの細かい震えが心の震えでなくてなんだ。
それを隠すように背を向け、小声で何か話していたが、やがて振り返る。そして両腕を開き、
「今、上司から許可が出ました。皆さんからのご信頼に必ずお応えします。後ほど、改めて直接お伺いに参ります」
そう言うと俊敏に踵を返す。ダイブアウトするのだろう。俺は慌てて声をかけた。
「ゴルノ執行官!」
肋骨が痛み、思わず顔をしかめる。執行官がゆっくりと振り返る。
「……なにか?」
呼吸を抑え、言葉を搾り出す。
「……先程は、失礼な態度を取り、本当にすみませんでした」
執行官は口を開きかけたが、再び閉じる。空中に指先で何やら文字を書き、そのデータをこちらに飛ばした後、小さく頭を下げて消えた。
第7銀河標準文字で書かれたその文字データに触れると、内容がバンドを通して日本語に変換されて浮かんだ。
『濁流の中の宝玉はぶつかり合って磨かれる。自ら砕けない限り』
「け、気障な奴だ」
支店長はいやな顔をした。
「五億年も前からの格言だ。意味は、分るよな」
答えるのは難儀だったので、俺は小さくうなずいた。
かっこよすぎるだろ、ゴルノさん。
……あれ?
VRデータにも、擬似的な感触がある。その裏側の感触に違和感があった。
裏返してみると、そこには別のデータが添付されていた。指でつついて開くと、横から支店長が覗き込む。ご丁寧に、日本語で書かれていた。
「何だって?」
「ええと……『次からは、信頼できる宇宙船レンタル業者のご利用をお勧めする』……だ、そうです」
……ばれてた? あの前から肋骨にひびが入っていた事を?
「エリートさんだが、食えない奴だ」
支店長は苦笑いした。
俺は、ファントリュー人居住区の医療施設に収容されることになった。
執行ロボット達が、先ほどとはうって変わった優しさで俺の体を持ち上げ、運んでくれる。
ただ困ったことに、今まさにメタモルフォーゼを進めている皆さんの仲を通り抜ける必要がある。俺は至って恐縮したし、心配もしたのだが……なにしろ、30分くらい前には力づくでゴボウ抜きをしていたロボット達だ……皆さんは声をそろえて俺たちを招いた。
「「「「「「早く、早く通って。私たちのことは気にしないで」」」」」」
そしてロボット達も、根を踏まないように慎重に、優しくといって良いほど慎重に、その中を通り抜けた。俺たちが近くを通ると、ファントリューの皆さんは小さな手で俺の体に触り、
「ありがとう」
そう、ささやいてくれた。
俺の視界が滲んでぼやけた。
俺なんて、何も出来なかったのに。集めた情報も、銀河ネットでの宣伝も、ロボットへの体当たりも。
ただトラブルと勘違いが、たまたまこの結果を導いてくれただけなのに。
そして思い出した。
学生の頃、NPOにも参加した。元々は就職に向けての実績作りの為だったが、その活動の一環で、アフリカの元紛争地に行った事がある。
もちろんその時には紛争は落ち着いていたが、その根となる民族対立は解消しては居なかった。
俺たちはそこで、双方の民族の人たちと交流し、共同で管理する井戸掘りを手伝った。
生まれてはじめて、虫も埃も入ってくる所で寝起きして、今まで食べたことの無いものを食べた。
煮沸の足りない水を飲んで腹を下して3日寝込んだ事もあった。
井戸の完成の日、二つの部族が一つの祭りをした。少し強張っていた人たちが、だんだんと柔らかい表情になって、話を始め、歌を交換したり踊り始めたときは、不覚にも涙がこみ上げたものだった。
そう、今のように。
ああ、無駄じゃなかった。
勉強したことがすぐに使えなくても、あの四年間は無駄じゃなかったんだな。
そんなことが、今になって分かるなんてな。
今度、あの時の仲間に電話してみよう。
運び込まれた医療施設で、機構が派遣した医師達による手術が行われることになった。ファントリューの医師達は既にメタモルフォーゼが進んでいるので仕方ない。
手術の準備が慌ただしく進められる中、支店長は俺に付き添っていてくれた。と言っても、しょっちゅうネットを通して仕事をこなしているようだったが。
その顔を下から眺めながら、俺はあることに気付いた。というか、今日起きたことを頭の中で整理して、やっと思い至った。
以前俺がある種族のことを「クズ」と言った時、支店長は激怒した。
あのとき俺は誤解していたんだ。彼女が繁栄する強大な種族の一員だから、そう言ったんじゃない。自分もカルヴァルに入った種族だから怒ったのだ。だから彼女が言うのは良くても、俺が言うのは許せなかったんだ。
そういえば支店長、「貧乏は、悪だ」って言ったこともあったな。それも今なら分る。それは彼女がリーダーだからだ。
個人であれば、貧乏暮しを楽しむ事だってあるだろう。でも種族の皆の暮らしに責任を持つ立場になったら、貧乏を受け入れられない。
豊かでないことはまだ良いだろう。だが、貧しいという事は、助かる命が助からないということだ。学べる若者が学べないということだ。リーダーなら、それを許容するわけには行かない。
同じ言葉でも、それを放つ者の立場と想いによって、意味が全く異なってくる、そういう事だったんだ。
それなのに俺は、彼女のことを許せるとか許せないとか考えていたとは。恥ずかしい。子供の頃に書いた作文を今になって人前で読み上げられるよりも、遥かに恥ずかしかった。
「なあ、グオン」
「はい」
「お前は、要領が良く、計算高くて他人に冷淡な奴」
一呼吸おいて、
「だと自分では思い込みたがってるが、本当は落ち着きがなくて感動屋、涙脆くて無茶をするお調子野郎だよ」
その口の端が、にっと上がった。
「つまり、うちの会社にぴったりの奴だ」
支店長はそう言うと、大口を開けて吼えるように笑った。
そういや、この会社での面接で、俺は何を言ったんだっけ? なんか、断片的にしか思い出せない。まあ、そこまでの間に追い詰められて、パニクってたからな。
「宇宙が好きだからです!」
とか、
「色々な種族に会って、星間文明の人々の暮らしを見たいし、知りたいんです!」
とか、そんな事を思いつくまま、喋り倒した気がする。
小学生かよ、俺。
よくもまあ、心にも無い出まかせを次から次へと。
だが。
本当に出まかせだったんだろうか。
確かに子供の頃、異星人とコンタクトしたってニュースを見た時にはワクワクしたし、その後、星間文明の情報が入ってくる度に貪るように読んだものだ。
案外、あの時しゃべり倒した出まかせの方が、それまでの就活でアピールしてきた事より、ずっと本音だったのかも知れないな。
俺は、何でもそれなりに上手くやろうと思っていた。
やれと言われたことをこなすのは自分の得意分野だとは思っていたが、自分に取り立てて向いた仕事があるとは思った事が無い。そうやってほどほどにこなして行くのが自分だと思っていたのだ。
俺は自分の肉体の形は知っていても、精神の形を知らなかった。形があるのかどうかすらわからなかった。
だから支店長にそう言われ、やっと気づいた。
俺にもあったんだ。自分の、形が。
俺は、左腕とその拳で目を隠した。
「どうした? また痛くなったのか?」
支店長がかがみこんで心配そうな声を出す。俺は歯を食いしばるように声を絞り出した。
「いえ、ただ……色々と、済みませんでした」
俺には、そうとしか言えなかった。
「そっか」
支店長は短く答えた。
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