10.酒とマタタビ

 正直に言おう。実のところ、こんなことがあるかもと思ってここまで足を伸ばした。支店長がこの辺で飲んでいるのは知っていたので。

 俺は店を覗き込んだ。幸い彼女は、入り口から近いカウンターに腰を……ではなく、抱きついていた。まあ人間のように背中を反らして座る種族の方が少ないので別にいいんだが。

「支店長」

「お?……おお、グオンー」

 彼女は俺に気付くと、グラスを掲げて応えた。

「どうしたあ?」

「いや、ちょっと飯を食おうと思って」

「そうかー」

 やばい、酔った支店長は予想外の可愛さだ。

「いい一日だったかあ?」

「ええ……はい」

「そうかあ。じゃあ、明日またよろしくにゃー」

「はい、あ、いえ、あの……」

「んー? にゃんだー?」

 それにしても、彼女が飲んでいるのは酒なんだろうか。見た目はよく似ていても、アルコールに反応する異種族はそう多くないらしい。……マタタビと同じ成分だったりして。……まさか。

「あの……少しご一緒してもよろしいですか?」

「ああー?」

 支店長はあきれたように首と尾を振った。

「変な気を使うなよー。別にオフは何をしても良いんだからにゃ」

「いえ、そういう訳じゃないんですが……」

「ああー、相談事にゃら勤務中にちゃーんと時間を取るぞー。これでもー、星間労働条約は守ってるつもりだぞお」

「いえ、そういう訳じゃないんですが……」

 俺は口ごもった。なんで声を掛けたのか、しっかり説明できそうにない。

(やばい、怒鳴られる)

 覚悟した俺の前で、支社長がにっと片方の口の端を上げた。

「まー、それならそれで結構だけどにゃあ。まあここ座れー」

「お邪魔します。ええっと、メニューを……」

 俺は出現した地球人用のARメニューを覗き込む。

 お、バーにしては珍しくチーズドリアなんかあるな。という事でそれを頼む。まあここで素面ってのもなんなので、とりあえずビールも頼む。うーむ、日本のサラリーマンの有るべき姿だ。

 この店のマスターは、腕が四本のパイへリック人だった。そのマスターが俺の注文を受けて立ち上がる。

 四本の腕で、どれだけすごい調理を見せてくれるのかと思ったら、合成調理機に器を入れてジェスチャーで設定しただけだった。ま、まあ、しょうがないか。

 その後すぐに回ってきたジョッキに、支店長は鼻をひくつかせ、顔をしかめた。

「アルコールかー。地球人は好きだにゃー。あたしたちの種族には有害なだけだわー。でもまー、地球の文化に敬意を表して、かんぱーい」

「か、乾杯」

 軽く噛みながらグラスを合わせる。そして黄金の豊穣なるものをクリーミーな泡と共に胃へと流し込む。

「くはーっ!」

 俺は(少々わざとらしく)声を上げた。飲み会では、アルコールで酔うんじゃない。雰囲気で酔うんだ、と先輩に言われたっけな。

「実のところ、地球人でもけっこう有害ですよ! でもだからどうしたって言うんですか! 美味いもんは美味い!」

「おお、いいことゆうにゃにゃいか! よっし、もいちど、カンパーイ!」

「カンパーイ!」

「そいや、支店長の飲んでいるのは何ですか?」

「これは、樹液から取った成分なんだよーアクチニジンっていうさー」

 検索をかける。……マタタビの成分だった! ちきしょう、妙に可愛いな!

「今日はどうだった。あそんだかー?」

「ええと…ちょっと考えていたんです」

「何をにゃー」

「いや、文明って、何なんでしょうね……」

「ふふー」

 笑われるかと思ったが……やっぱり笑われた。正直、ちょっとばかり傷ついた。

「あ、すいません、しょうもないことだとは分かってるんですが。この話はいいです」

 すると支店長が、にやりとして、

「馬鹿にしたんじゃにゃいーちょっと嬉しくてにゃあ」

「嬉しい?」

「あたしも散々考えたし、今も考えてるからねえー。大体この仕事に就いて、それを考えにゃい奴は駄目だろー」

「そうですか」

 ちょっと安心した。

「せっかく文明を築いて、宇宙に出たら、今度は母星を離れなければならなくなって、根無し草となって彷徨うんですよね。そうやって最後はカルヴァルに入って消えていくなんて、なんだろう、って思って」

 ここで頼んだドリアが来て、少し中断。

 支店長はメニューの中身を解析して、

「ほとんど植物由来じゃねーか。そんにゃんで力が出るのか?」

 まあ殆どが米と小麦粉だから。そういう事になるか。

「地球人は植物性の栄養も必要なんですよ。特に俺たち日本人は、米が好きで。腹減ってるときに塩振っただけのおにぎりとか、もう最高ですから」

「なるほどにゃー。お、そうだそうだー」

 支店長はコンソールをつついて何かを探し始めた。

「ちょっとこれを見てみー?」

 目の前に飛んできたAR画面をつつくと、どこかの風景が写っている動画再生画面だった。

 地平線のかなたまで広がる大平原。アフリカのサバンナといわれても違和感が無い。ただ、木はサバンナ以上に少ないし、草もまだらに生えていて、動物の姿も見当たらない。

「あたしの種族の故郷にゃー」

 支店長はほえるように笑う。それがふと宙を見つめて、

「あたしたちの種族が知性を手に入れた頃ぉ、ここは一面の森だったのにゃー」

「え?」

 俺は思わず画面を見直した。この乾燥した平原が、森だった……。

「あたしたちは肉食種族だからー文明とは牧畜だったんだよねー。人口が増えるとー、それを養う牧場はそれ以上のペースで増えちゃって……。文明に加入した頃には陸地の8割が牧場で、野生動物のほとんどが絶滅してたのさ……まあ、昔の話だけどね……あたしたちがこの星から離れて、もう3万年以上になるけど、この環境監視システムの動画を見る限り、まだ自然の復活には程遠いね……」

 支店長の口調は、だんだん落ち着いたものになっていった。

「腹いっぱい食べたい、殺されたくない、長く生きたい。自然な欲求だよ。その延長線上に文明が生まれる。だがその文明は、惑星の資源で賄える所まででは止まらない。だって止まれば、自分を、家族をどこかで犠牲にすることになるからな」

「まあそれを言われると、地球の自然も自慢できるほど守られちゃあいないですね……」

「お前も、ここに来る前に研修を受けただろう?星間文明の歴史の中では、もっとひどい環境破壊を受けた惑星も沢山ある。それよりもっと多いのは、星間文明に至る前に自滅した文明の痕跡と、荒れ果てた惑星だ」

「はい、いくつか見ましたけど、特にトリュー2はレポート出したので……」

 近代工業社会に到達しないまま一万年の歴史を重ね、自然と文明が共に崩壊した惑星だ。大地の殆どが砂漠化し、知性化した当の種族を始め、体長1メートルを越える大きさの動物がことごとく消えてしまった。

「自分たちの文明を守り、自分たちを育んだ故郷を守るには、そこを離れるしかないっていうことなんだろうな……」

「結局それが、両銀河文明32億年の教訓という事なんですね……」

 俺がちょっとダウナー状態になったのを見て、支店長は気分を変えるように、

「そういや、お前は面白いことを言っていたな」

「ええっと、何でしたっけ?」

「根無し草とか、何とか」

「ああ、ええ」

「あたし達は移動が本能の種族だから、そういう感じ方がよく分からん。植物を食べると精神文化も植物的になるのか?」

「いや、そういう訳じゃないと思いますよ」

 俺が胡瓜のスティックをぽりっとかじると、彼女は少しいやな顔をした。まあ肉食種族にとっては嫌な匂いと音なんだろう。すいませんねえ。

「ただ俺たちの文明は、植物を栽培して食料を確保できるようになった上に発展しましたから、それ以降は土地に縛られるようになったんですよ。その反映がこの、根付くとか根無し草とか言う感覚なのかもしれませんね」

「なるほどね。お前の食事は大半植物系の原料みたいだしな」

「ええ。ただ、食は基本ですけど、産業社会になってから人口の流動性も高くなりましたし、文明とは根無し草、流浪化だ、なんていいますからね、その意味では、これもその延長線上にあって、正しいあり方なのかも知れませんけど」

「この宇宙にゃ、もっと多くの生命形態があるのに、水・炭素・酸素系の生命だけが、この技術文明ってのを生み出して、ジレンマに悩んじまうんだな」

「確かに……」

 木星や土星のような水素惑星の液体水素・炭素系、恒星の電磁・プラズマ生命は、そもそも技術文明を生み出す余地が無い。金星地中のような珪素系生命体も同様。

「技術文明って言うのは、呪いなんですかねえ」

「感傷的だねえ」

 支店長はグラスを煽り、

「だが、あたしら技術文明種族も捨てたもんじゃねえ。例えば、その星の生態系を、あまねく両銀河に広めることが出来る。海から陸に、空にと生命が広がったようにな。殆どの種族はやがて消える。だが人は死ぬから不幸なのか? 子孫を残せないから不幸なのか? って事だな。それまでに彼らが生み出した技術や文化が、星間文明に受け継がれる、たとえばこのグラスだ。」

 支店長は、グラスを掲げた。

「この二重のくびれは、ジュリシオ人が産み出したものだ。それは彼らの独特な手の形が産み出したんだ。ちょっとみてみろ」

「はい」

 俺は端末にジュリシオ人のデータを呼び出した。

 うげ。

 ヴィアラク人がエイ〇アンなら、こちらはプレ△ターか。まずこの姿でこんな上品なグラスで何かを呑むと言う事自体、信じられないな……。

 まてよ。彼らに出演してもらってリアルに映画を撮れば地球へのネット配信で副業になりそうな……

「彼らは三億四千万年前に消滅したが……」

 俺のサイドビジネスプラン、十秒で消滅。

「こんな風に、どの種族も、何かしらの遺産を文明に残す。代わりに文明は彼らの母星を守り、その生態系を宇宙で保存するって訳だ」

 支店長は次の酒……ではないらしい飲み物を頼んだ。

「まあ生命と文明の意義なんて、三十二億年論じられて、結論なんか出てねえんだから、あたしらは自分が元気になる道具として好きな論を選べばいいのさ」

「なるほど……」

「ってのもあたしの考えだからな。お前はお前の付き合い方を考えるんだな」

「はい。ありがとうございます」

「なんか、すっきりした顔になったんじゃねえか」

 俺も、自分の胸のもやもやが軽くなったと感じていた。酒のお陰ばかりじゃないはずだ。

「ええ、自分でもそう思います」

「青臭い話をしちまった。だがたまには、こういうのもいいな」

 俺のテーブルの上が空になったのを見て、

「飯食いに出ただけだろ?あたしはもう少し飲んでくから、先にあがりな」

「はい、それじゃあ……」

 コンソールで支払いを済ますと、立ち上がった。そのとき支店長が呟いた。

「おまえらの種族は、これからどんな道を歩むかな」

「成功しますよ」

 俺は少し言葉を強めて、支店長に返した。初めて、彼女に対して挑む顔を見せたと思う。

「ほう」

「俺達は、そりゃ結構感情的だし、しょっちゅう失敗をやらかしますよ。でもその代わり、失敗したって、ただヘコたれてはいません。結構しぶといんですから」

「そうかい」

 支店長はからかうように言ったが、なんだかその目が眩しそうに見えたのは気のせいだろうか?まあ気のせいかもしれない。確かにここの照明は結構強い。

「頑張れ、地球人」

 支店長はグラスを掲げた。

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