5.我が家
数日後。
「クオンさん、最近少し元気が無いんじゃないですか?」
ラムちゃんに顔を覗き込まれた。
「いや、そんなこと無いです。もう、元気一杯ですよ!」
空元気を出して見せる。
はあ……。ラムちゃんは心の潤いだが、業務システムだけが心の救いって、どんだけ終わってんだ、俺。
いや、めげるな、俺。ここに入ったからには、支店長を見習って、自分を成長させていかねばならない。どうすれば良いのかは皆目分からないけどな!
そんな訳で、支店長が戻ってきて、家賃を踏み倒して逃げようとした種族の事が話題になった時、俺も少し彼女のノリに適応しようとしてみたのだ。
「ほんと、あのクズどもの」「おい!」
俺はいきなり胸ぐらをつかまれてぶらさがっていた。
本当だ。しゃべっていたその時、支社長は確かに座っていた。それが、瞬きする間に目の前に立ち、俺をぶら下げていたのだ。
「おいグオン、調子に乗るなよ」
支店長の声が殺気を帯びていた。
「おめえにそんな事言う資格が有ると思ってんのか?」
「え?でも、支店長も……」
「あたしが言うのと、おめえが言うのじゃ違うんだよ!」
ぎゅう……首が締め上げられる。
「ず、ずびばぜん……」
「支店長、それ以上は危険です!本社に報告しなければならなくなります!」
ラムちゃんの声が、切迫感を帯びているのが怖い。息ができない……。
支店長がふっと息を吐くと、手の力が緩み、俺の足が地に着いた。
「……悪かったな」
目を逸らし、椅子にどかっと腰を下ろす。
俺は息を整えて、
出発点が違うって、どういう意味だ? こっちがぽっと出の新興種族で、支店長が銀河有数の有力種族だからか?
その日、仕事以外の会話は無かった。
アパートに戻った俺は、そのままベッドに倒れこんだ。
疲労感が体を鉛のように重く感じさせる。肉体的にも疲れたが、問題なのは精神的なものの方だと、自分でも分かってい る。
うつ伏せになったまま枕に顔を押し付ける。
心に浮かぶのは……不安か? 怒りか? 違うな。これは、後悔だ。
何でもっと普通の会社に就職できなかったんだ、俺。っていうか、何でまともな会社はみんな俺を取ってくれなかったんだ。
書類じゃほとんど通ったのに、面接となると上手くいかないんだ?誰があんな無茶振りに上手く答えて採用されるんだ?
その時、私物のスマートバンドに着信が有った。目の前にARスクリーンを展開して見ると、お袋からの通話だった。その表示を見た途端、みぞおちの辺りに不快な感覚が襲ってきた。俺は迷い、そして放置した。
お袋は、この歳(敢えて秘すが)にしては若めで、まあ綺麗な方と言っていいだろう。
アクティブかつアグレッシブで、口が悪い。新興情報サービス企業の設立時からの役員で、ネットスキルとネットマナーを激しく俺に叩き込んだのはこちらだ。星間文明加盟後の、テクノロジーの急激な変化にも会社を対応させることに成功した。家族というひいき目を除くのは難しいが、有能な人だろう。
俺はお袋が嫌いなわけではない。どちらかというと仲が良い。それでも俺の心が、今は話したくないと拒んだ。
そう、今出れば、会社はどうかと聞かれる。お袋は勘もいい。ごまかしても、きっと気づかれる。自分が今、この仕事をどう感じているかを。
就職する時、お袋は自分でもこの会社のことを調べたらしい。断定的な事は言わなかったが、俺の決断が安易なものではないか、暗に再考を促すような口ぶりだった。それを振り切るように、俺はこの会社に決めてしまったのだ。理由はただ、それが俺を採ってくれるただ一つの星間企業だったから。
安易そのものだ。そして今、お袋が危惧した通りになっている。俺は怖い。怒られるか、あるいは同情されることが。
しばらくすると、メールが着信した。
******************************
久遠へ
私は、大きい仕事は小さく分けて、一つづつ解決していきます。
小さい仕事が多ければ、似たものをまとめて片付けていきます。
仕事に喜びがあれば、完全にギブアップするまで走りました。
喜びを感じない仕事は、不安でも辞めました。
貴方には、自分で決める力があります。
それでも迷ったときは相談しなさい。
詩音
******************************
俺は……泣いた。
その後、ただベッドに横たわっていた。
そして朝が来た。
体が重い。いや、重いのは、心の方か。
起きなきゃ。起きなきゃ。そう思っている内に、いつも部屋を出ている時間は過ぎ、業務開始時間が迫っていた。
もう駄目だ。俺は会社に電話を掛けた。
「おう、どうした」
「ええと、すみません、今日は体調が悪くて、頭痛と吐き気がありまして、お休みを頂けないでしょうか」
いかにも具合悪そうな声を演技する自分の姑息さが情けない。だが支店長はあっさりと、
「そうか、分かった。ちゃんと体調直してから来いよ」
「はい、ありがとうござ……申し訳ありません」
俺は電話を切った後、余計に落ち込んだ。這ってでも出て来いとか怒られると思ったのだが。これじゃ、俺の駄目っぷりが余計目立つじゃないか。
明日、どんな顔で出社すればいいんだ。
……辞めようかな。
午前中、殆どの時間を、俺はベッドの上で過ごした。
この仕事から逃げたい。でも、家族に合わせる顔がない。いや、責められるのが怖いだけか。
どうすれば。
どうすれば。
思考の堂々巡りは終わることを知らない。
だが、どんなに落ち込んでいても、腹は減る。そう言えば、夕べも食っていなかったのだった。身体の警告を無視するには、俺の意思は薄弱だったようで、結局起き上がって冷蔵庫にドアオープンのサインを出す。
「残念ながら……」
と、全く残念でもなさそうな口調で冷蔵庫が答えた。
「現在あるものでは、お食事を作るのは困難です。追加購入でできるレシピをご紹介いたしますか?」
要するに、空だって事だ。
まだ星間文明の自動調理器に好みのセッティングをしていなくて、基本外食かコンビニ買い食(弁当よりもう少し手の込んでいるやつ)ばかりだった。いつも一食+朝食しか買わないが、夕べはそれさえしなかったので、正真正銘調味料ぐらいしかないのだ。
俺は諦めて食事のために外に出た。
支店長に出くわしたら……その時は、その時だ。
繁華街に出て、街路を歩いている時、五十メートルくらい先に見えた顔に、俺は反応した。支店長……ではなかった。三島霧香だった。
彼女の顔が上がって俺を視界に捕らえるより早く、俺の足は角を曲がって路地に入っていた。
(あれ?)
足早に歩きながら、俺は自分で自分に聞いていた。
(なんで今、逃げたんだ?)
確かにこの前街で出会ってから、外を出歩いていると三島に会うんじゃないかと思って、どこかでビビっていたのは否めない。だからって、反射的に逃げ出すって、どういうことだ。
そうだ。就職先を聞かれてた瞬間に、背筋に冷たいものが走ったんだ。うちの会社が星間中小企業だからだ。心中馬鹿にされると思ったからだ。
そして今逃げたのは、そんな会社ですら、俺は務まってない事を知られたくなかったんだ。
要するに、俺は負け犬だ。それをはっきりと認めるのを避けてきただけだ。
結局、コンビニでフランス料理屋フルコースパックという、贅沢なような貧乏くさいような微妙なものを買って戻った。
調理器で加熱して食べる。だが今の俺には、その味もろくに分からない……と言えれば良かったが、結論から言えば、うまかった。小分けにされたトレイで湯気を上げる、ささやかな蕪のローストが、鹿肉のソテーが、そして付いてきた小瓶の赤ワインが、体に染み渡った。
旨かった。
旨くて、情けなくなった。
俺は、こんなに落ち込んでいると自分で思っても、結局俺の身体は正常に生きていて、旨いものを、栄養を求めている。そんな肉体の働きを止めるほど、俺は苦しんでいないということなんだろうか。
時計が十六時を回った頃、目の前にARコンソールが開いた。
電話の呼び出し音と共に、発信者が表示される。番号は、親父の携帯からだった。
親父は、大手情報機器開発会社の技術職を務めている。まあほぼヒラ社員だ。
最近毛が薄くなってきた。早めの予防治療を受けるか、遺伝していないことをただ祈るか、少々悩んでいる。病気ではない体質改善用のピコマシンは、結構高いのだ。まあそれはいいが、一体この親父とあのお袋が、どこをどうすれば恋愛から結婚に至るのか、今だに理解できない。
俺はしばらく考えて、結局電話を取った。
「もしもし」
「ああ、父さん」
「……クオ君?」
そこ、笑うんじゃない。大きくなったときに、やめてもらう機会を逃してしまって今に至っただけだ。
返事に三秒近いタイムラグがあった。画面右上にはワームホールで無く電波マークが。超空間通話代をケチってるのか。まあ、親父らしいといえばらしいが。
以下、まだるっこしいのでタイムラグを表す冒頭の『……』は省略する。
「何だ、映像は出ないの?」
こちら側の設定で、映像はデフォルトでオフにしていた。切り替えようと思ったが、やめにする。
「今、風呂入ってたんで」
「なんだ、理乃じゃあるまいし」
電話の向こうで声が笑った。
理乃は俺の妹、今は高校二年生だ。
幸い、外見は母親似で、結構かわいい。最近ちょっとケバいが。
幸いでない事に、性格も母親似だ。憎まれ口を叩く叩く。
妹を持たない男性たちには、そんな幻想を持てて羨ましい、としか言いようがない。
閑話休題(話が逸れた)。
妹は、彼氏からの電話以外はいつも映像オフだ。で、彼氏からの時は必要以上に薄着にしたり下着チラ見せとかして何かをアピールしてるんだが、俺の見てたグラビアアイドルの動画でも覗き見してたのか? 前に一度その事を突っ込んだらセルフプロデュースだなんてほざいてたが。まあ、あいつも相変わらずか。
「で、最近どうだ?」
「ああ、まあまあやってるよ」
「そうか。そりゃ良かった。うん」
いつもこんな調子で、親父とはまともな会話になりにくい。むしろ、稀と言ってもいい。今回は、お袋からの電話に出なかったので、電話を掛けるように言われたんだろう。
「……」
間が空いた。
「あの」「あの」
言葉が重なった。しかも同じ言葉でか。
「……なに?」「……なに?」
またか。
「あ、クオ君からどうぞ」
「ええ……ああ、うん。ええと……」
俺は少し考えて、
「父さんが仕事で心がけていることって、なんだ?」
「なに急に。悩み中?」
「いや、そうじゃないけど……」
「そうか。そうだな……」
少し間を置いて、
「僕は仕事で怒ったことはないな。大体は怒られる方だしね」
まあ、そうだろうな。
子供の頃、一度だけ働いている所を見学したことがあるが、自分より若い上司に頭を下げているのを見て、激しく幻滅した。
今思うと、親父との話がぎこちなくなったのも、この辺りにルーツがあったような気がする。やっぱり、子供にとって親はヒーローであってほしいものだ。別にスーパーヒーローでなくても良いが、少なくともそれなりの威厳を持っていてほしかったのだ。
まあ、四十八にして自分の事を『僕』と呼ぶ親父だから、そんな期待をするのが間違っていたのかもしれないが。
ただね、と親父は続けた。
「謝る時も、全力で謝る」
もし俺が家にいた頃に聞いたら、失笑したと思う。だが今は、そんな気持ちにはならなかった。
「……そっか」
「うん。この仕事が好きだし、自分の足らないところはよく分かってる。怒って憂さ晴らしするのと、謝ってこの仕事を続けるのと、どっちがいいか、かな。僕は、仕事で怒るのは一生に一度と決めてるんだよ。まだその一回目は来てないけど」
俺は、しばらく声を出すことができなかった。親父の声と言葉の、あまりの普通さに。
俺は心の底で、親父を馬鹿にしていた。親父を越える事なんて、さほどシャカリキにならなくてもたやすいと思っていた。
とんでもない事だ。出世もせず(いや、できるならした方が良いに違いないが)、頭を下げながら働き、俺や理乃を育て上げた。二十数年間だ。俺はまだ、一月もたたない内に逃げ出そうとしているというのに。
親父は一息ついて、
「これは僕のやり方だよ。クオ君はクオ君のやり方でやればいい」
「……うん」
俺には、それしか答えられなかった。
その時、向こう側でチャイムが鳴った。
「あ、昼休み終わりだ」
「ああ、そっか」
「うん、ええと、どう? 問題ない?」
「ああ。ま、何とかなりそうだよ」
「そうか。じゃ、あれだ。たまにはクオ君から母さんに電話してあげて」
「うん。あ、あの……あれだ」
「なに?」
「ありがとう」
そういうと、向こうでいやあとかなんとか、不明瞭な声がしたので、
「それじゃ」
とだけ言って電話を切ると、再びベッドに倒れこんだ。
深呼吸してみる。
いつの間にか、息が詰まるような重苦しさは大分軽くなっていた。
とりあえず、明日は会社に行ってみよう。
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