2.星の海を越えて(日帰り)

 初日の仕事を終えた俺は、申し込んでいたレンタル居住ユニット…まあ賃貸アパートだ…に向かった。そこには既に荷物が搬入されていて、荷解きも済んでいる…はずだった。

「何で?!」

 俺は警備アンドロイドに対して大声をあげてしまった。IDを提示しても入場許可が出ないのだ。

「ササイ様の入居は地球時間四月七日からとなっております」

「だから七日じゃないか!」

「七日まであと七時間と三十七分です」

「は?」

「はい、地球のGMTで」

「は?」

「はい」

 よく、『サーっと全身から血の気が引く音がした』っていうだろう? そんな訳があるかと思っていたんだが、あるんだな。初めて聞いた。

 日時指定をネットでした時に、GMT、グリニッジ標準時だってことを見逃していた。

 慌てて引っ越し業者に電話すると、荷物はその業者の預かりになっていた。

 で、どうする?この一晩を。


 結局、支店長に電話で連絡した。

「ああ? 間抜けかお前は」

 そう言われて、俺には一言も返せなかった。初日から、なんという失態だ。

「まあいい。野宿って訳にはいかないだろう。あたしの部屋に来い」

「え? いいんですか?」

「嫌ならいいんだぞ別に」

「お願いします泊めてください」

 スマートリングが見せる支店長の映像に頭を下げた。


 支店長の部屋は、相当に広い空間だった。主に縦に。

 床面積は狭めだが、地球人なら二階ブチ抜きくらい高い天井。壁にはいくつもカプセルホテルのような小部屋が口を開き、階段に当たるらしい棒が何本も壁から突き出している。

 何かに似てるなと思ったらあれだ。キャットハウスタワーだ。


 地球人に似た体形だが、椅子に当たる家具は基本うつぶせ抱き着き型である。そして足が長くて床から高い。やっぱり猫っぽいな。だが地球人としては落ち着かないったらない。

 そういやなんで地球人はあおむけで寝るんだ。猿はそうしないのに。

「そこのソファでいいか?」

「はい」

 指(と肉球)で指されたのは、半円型のソファみたいな何か、だった。まあ俺が横になるくらいの長さは十分にある。

 寝着も荷物の中なので、上着を脱いだだけで寝ることにした。


「さて、寝るか」

 そういうと、支店長は豪快に服を脱ぎ始めた。

「ちょ!え!」

 俺が慌てて背を向けると、

「ああ?」

「いやその、ちょっとまずくないですか? 恥ずかしいんですけど」

「ああ」

「あたしらの種族には、その恥ずかしいって意味が良く分からん。気にすんな」

 ええ……。


 そしてちらっと見てしまう。タンクトップの下に見えるバスト。しかしその下にも、小さい乳首らしき影が2対あった。

 確かに、この人は同じ人間じゃないんだって、これ以上ないくらい分からせてくれた。いや、まあ最初から分かってるんだけどね。虎だし。


 ソファで横になる。慣れない環境ではなかなか眠れない方だが、疲れていたので程なく眠りに落ちた。


 人が動く気配で目が覚める。

 支店長が立ち上がっていた。ぼんやりした目のまま、近づいてくる。口が開いて、牙が覗く。俺はそれを見ているが、なぜかぴくりとも動けない。

 やがて俺の上に屈みこんだ支店長が、頭にかみついてきた!

 うわあああああ!

 俺は床に落ち、頭を強く打った。体が自由になり、立ち上がる。


 支店長は、ベッドで大釘を上げて眠っていた。口からは牙が覗いているけど、起きた様子は全くなかった。

 夢かよ…。


 翌日。

 俺は支店長の指示を受けて小間使いのような仕事をしたり、業務に必要な星間法の書類データに目を通したりしていた。

 そして、この会社での通常業務というものが、一応は飲み込めてきた。


 まずは賃貸契約の受付。

 殆どの契約は自動化されているが、一部マッチングに問題がありそうな場合はラムちゃんから問い合わせがきて、支店長が対応する。それに、特殊な要望がある顧客に対しては、対面して話を聞く必要がある。


 次いで物件探し。

 これも殆どは本社で選定した物件を承認する訳だが、訳有りな物件はダイブで確認する、まれには直接足を運ぶこともあるらしい。いや、これはまだ体験していないんだが。


 家賃取立ても基本は自動化されている。しかし支払い遅延や意図的未払いが多いのは初日に体験した通りだ。

 住人からの問い合わせや苦情対応。隣人とのトラブル。システムの不具合、改築の要望、うちの支店が扱っている約二百の物件と十七万の顧客からは、山のような連絡が入ってくる。


 ラムちゃんがフィルタリングしている状況を時々モニタしているが、彼女がいなければ、とても一人や二人で対応できるレベルじゃない。いや、いる今でさえ、業務時間はとてつもなく忙しいのだ。

 基本的な問い合わせなどは、ラムちゃんが対応してくれ、個別の店舗にいる社員に回される案件は、全体の二割に過ぎない。

 逆に言うと、彼女が回してくる案件に簡単に捌けるようなものはなく、勤務時間はとにかく忙しい。対応するのは支店長なんだが。


「おいグオン! とっとと営業データバックアップしやがれ! 首噛み切ってやろうか!」

「ひい! すみません!」

 それにしても、支店長の口のひどさには閉口する。チンピラどころの騒ぎではない。野獣である。

 星間文明は、地球以上に人権の概念は浸透しているはずだが、これはパワハラではないんだろうか。

 ラムちゃんを通して、支店長の言動は本社にも伝わっている筈だが……やはり、会社自体がブラックだということなのか。

「おおいラムちゃん、今期臭うのはどこだ?」

「ええと、コロンドロッドさん、モナギルーザさん、ンドワーブさんですね」

「ほう……」

 支店長はヒゲを引っ張った。


 ちなみにラムちゃんはパーソナルビュー型のアバターだ。つまりダイブアバターのようにナノマシンの造影機能で誰にでも見える姿になるのではなく、それぞれの体内ナノマシンネットに働きかけて、地球人の俺相手には地球人の女の子の姿をしてくれている。支店長にはジルトル人の姿で見えているらしい。それ自体は結構なんだが、支店長とラムちゃんが話しているところを俺が見ると、支店長の視線がラムちゃんの上を向いて話しているのはなかなかシュールだ。

「グオン、臭うってどういう意味か、分かるか?」

 余計なことを考えていたら、こっちに振られて焦る。

「い、いいえ」

「いつも家賃の期限間際に延期のお願いしてくる店子で、今回まだ連絡してこない所って事だ」

 ええと、それって、今回はちゃんと払えるって言うことなんじゃ……。

「ラムちゃん、ンドワーブの収支データ出てる?」

「はい。約十七万の赤字です」

「文化収入は前年比どうだ?」

「マイナス3ポイントです」

 両銀河文明で各種族の最大の収入源は、工業製品ではない。四十億年の歴史で、工業技術はほぼ究極の段階に達し、コモディティ化している。

 富を生み出すのは、文化。他の種族と大きく異なる文化こそが、文明社会で報酬を得る元であり、他の種族と連携する武器でもある。しかし市場での価値が減少すると、種族の命運は傾く。

 ちなみに新規加入種族の文化はもてはやされる傾向があり、地球もこれに違わず大きな収入を得て、ちょっとした文化輸出バブル状態だ。日本の文化の中では某所の裸祭りが大人気だとか。いつか地球人の商社員が接待で異星のお客にフンドシ踊りを強要されないか心配だ。

「なるほど。こいつは……」

 支店長は舌なめずり。

「おいグオン、行くぞ」

「ダイブですね」

「いや」

 支店長は牙を見せた。

「リアルでだ」

  俺はビクッとした。慌てて、視界の端のデータを読む。ンドワーブ人の現在の居住地は……二百五十光年先!

「あの、太陽系外へ出るのは国連と日本政府への申請が」

「前に聞いたし元から知ってる! くでえなお前も。そんなん後で何とかする!」

「えええ!」    

 就職二日目にして、いきなり恒星間出張になった。中小企業といえど、星間文明の構成員からすれば地球の許可制度の重みもこんなもんなのか。


 第三開港地区に併設の宇宙港はまだ建設途中で、俺たちは隣の第二開港地区に向かった。

 移動中に、ンドワーブ人について簡単に調べてみた。

 マワンバ第4惑星ンドワーブに誕生した彼らは、四肢型二足歩行という点ではヒューマノイドということになるが、バッファローに似た頑強な肉体の持ち主で、星間文明の体格分類で言えば、M3クラスだ。

 頭に角こそ無いが、分厚い骨の天蓋で覆われ、知性化前には繁殖期の雄同士が頭をぶつけ合っていたとか。いや、今でも喧嘩するときはやっているんじゃなかろうか。

 基本は草食という所もバッファロー的で、星間文明化する前は植物を反芻していたらしい。昔のンドワーブの街は、彼らのゲップの臭いに満ちていたんだろうか。うーん。ちなみに、今では合成動物性蛋白食も食べているので、俺たちとあまり変わらない雑食ということになる。

 そういや、牛ってのは反芻胃で植物を発酵させ、ここで増殖したバクテリアを消化吸収しているので、実は肉食に近いんだなんて話を聞いたことがあるな。だからあんなに筋骨隆々たる体格なのだと。

 それと同じかどうか分らないが、ンドワーブ人も相当たくましい体格だ。角の無いミノタウロスっていう感じか。こんな連中を取り押さえに行って、大丈夫なんだろうか。

 ちなみに、面倒な手続きは宇宙港への移動時間内に全て片付いていた。弱いぞ日本政府。弱いぞ国連。

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