第11話 逃避行。
次の日になった。
カルアの視界に光がさす。
砂の丘のずっと奥が茜色に晒され、地平線を貫く光の帯がだんだんと太くなっていく。
砂漠は朝も冷える。
気づけば、ミミルとカルアは身を寄せ合っていた。
2人は起きると、ゴソゴソとカバンから何か出す。
干し肉だ。黙々とそれを噛みちぎると、皮袋の水筒から水を、ごくりと一口飲んだ。
そして、どちらともなく支度をはじめる。
砂漠の寒暖差は激しい。
気温が上がる前に行動を開始しなければならない。
やがて、2人は重い足を引きずるように歩き出した。
ここから北西にしばらく行くと、ジークという街があるらしい。
1時間ほど歩いた。
きっと、頭の中は昨日の出来事でいっぱいで、口を開けばその話になってしまうと思ったのであろう。2人は殆ど会話をしなかった。
空気が重い。
気がまぎれるような冗談でも言いたいが、おれの実力では、それすら難しそうだった。
俯いていた砂面に、不意に影がおちる。
顔をあげると、目の前に銀色の狼のような魔物が立っていた。狼は熊ほども大きく、口の端から唾液を垂れ流し、鋭い目つきで、こちらを威嚇している。
カルアが錫杖を握り直す。
勇ましい声があたりに響く。
「ミミル。倒すよ」
途端にミミルは戦士の顔になった。
ミミルは頷き、青銀の双剣を構える。
狼の魔物はこちらに飛びかかってきた。
その巨大に不似合いな機敏さだ。
その軌道は直線ではなく、稲妻のようだった。
狼の瞳がぎろりと動いた。
ターゲットをカルアにしたらしい。
牙を剥き飛びかかると、カルアの肩を食いちぎろうとする。
カルアが錫杖を地面に突き刺した。
カシャン!!
錫杖のリング状の装飾から、金属音が辺りに響く。カルアは、錫杖の宝玉を見つめて呟いた。
「……アイス•カノン」
その刹那、杖の周りに幾重かの魔法陣が浮かび上がった。
錫杖を中心に薄い氷の膜が広がる。それは後追いの輪唱のように、何重にも氷の結晶が重なり、辺りを凍てつかせた。
狼は後ろ足を氷に巻き込まれ、その場から動けなくなる。
ミミルが氷を利用し、スライディングのように狼の下に滑り込んだ。
向こう側に抜けると同時に、逆手に持った右剣の刃を下にして、狼の首に向ける。そこに自重を乗せた左剣の柄を添えた。
そのまま自重の反動を利用し、身体を回転させながら全体重をかける。
ミミルはそのまま右剣を振り切った。
ぶっとい狼の首は、いとも簡単に切断された。断末魔をあげることも許されず、狼の顔はミミルの前に転がっている。
辺りに鮮血の鉄のような匂いが立ち込め、砂漠に再び静寂が戻る。
実に鮮やかな手つきだった。
正直、思ったよりずっと速く、ずっと強い。
スキル名を連呼してワーワー騒ぐだけだった転生者のやつらとは根本的に違う。生きるために研ぎ澄まされた戦士の剣だ。
俺が賞賛しようとすると、カルアが片膝をついた。肩で息をして、唇も青紫になっている。
俺の心配が伝わったのか、カルアが言った。
「ここは、燃やしたり凍らせたりするものもないし、精霊の働きも弱いんだ。だから、魔力の負荷が大きくて。足ばっかり引っ張って、ごめんね」
そんなことはない。
本当の役立たずは、俺の方だ。
カルアは続ける。
「……昨日はごめんなさい。わたしも誇り高き猫耳族の戦士なのに。
息継ぎをすると、くまができている涙袋の端を少しだけ下げ、ニコッとした。
「これからは……、頑張るから。胸を張って皆のところに戻れるように頑張るから」
あぁ。そうだな。
もう帰り道もないしな。
俺たちに立ち止まることは許されない。
みんなで生きて、試練を終えて。
そして、胸を張って、家に帰ろう。
砂漠を歩き続ける。
体感温度は50度を超えているのではないか。
砂漠で反射した太陽光が、ジリジリと下側からも照りつける。
俺は箱の中にいるのでダメージを受けることはないが、2人のコンディションがどんどん悪化しているのが分かる。
これはパーティーの機能なのか、俺の能力なのかは分からないが、体力や魔力、コンディション等が自分のことのように体感できるのだ。
向こうの世界で何かで読んだことがある。
人は暑さで1時間に1.5%以上の体重を失うと、脱水を起こすらしい。いまの2人の体重減少は、1時間あたり3%を超えている。
行動不能になるのは時間の問題だ。
大木の
ミミルが水袋を取り出し、飲み口を下に向ける。
「あっ……」
数滴の雫が落ち、それきり出なくなった。よくみると水袋の下側が破れている。
さっきの戦闘のせいかもしれない。
カルアも水袋を出すが、体力に劣るカルアは、頻繁に水を飲んでおり、既にほとんど空だった。
このままでは身動きできない。
しかし、夜になれば氷点下の冷え込みだ。
こんなに擦り減った状態で、ここで夜を迎えれば2人は命を落とすかもしれない。
砂漠で命を落とすのは、なにもモンスター相手だけではないのだ。
ジリジリと、しかし確実に命を狙ってくる灼熱こそ、本当の敵だろう。
日本から出たことがなく、本気の暑さを体験したことがない俺には、どうしたらいいか想像もつかない。
八方塞がりだ。
だが、どうにかしないと。
俺がどうにかしないと。
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