第10話 ドラゴン。
ソレは瞬く間に、月を覆い隠すほどの影になる。そして数十秒後には、はっきり見えるほどの大きさになった。
シロナガスクジラをも凌ぐ巨軀。
その巨軀を支える禍々しい翼。
山際を隠しても、まだ余っている。
それは生き物ではなく、巨大な岩のように見えた。
ドラゴンは、集落に到達し蹂躙をはじめる。
つばさの風圧で家々を薙ぎ倒し、ブレスであたりを火の海にする。
そして、その凶悪な爪は、さっきまで宴で笑い合った人々を、まるで粘土細工の人形のように千切った。
人ってあんなに簡単に死ぬのか。
そう思った直後、俺は激しい吐き気に襲われた。
胃液を右腕で拭う。
そして、2人の様子を確認した。
カルアは膝から崩れ落ち、手で口を押さえている。その目は虚ろで、過呼吸のように絶え間なく息を吸っていた。
ミミルは、双剣を両手に構え、唸りながら牙を剥き出している。利き足を後ろに大きく開き、今にも前に飛び出しそうな体勢だ。
おれは。
俺はどうするべきなんだ。
本気になったカルアとミミルがどれほどの強さなのか分からない。もしかすると、俺が思うより、ずっと強いのかもしれない。
しかし、分かる。
アレ……、あのドラゴンは、おおよそ生き物が太刀打ちできる存在じゃない。
そう、同じ生物でありながら、規格が違うのだ。
助けに戻ったところで、何もできるはずがない。死体が増えるだけだ。
おれは『2人を頼む』という族長やララさんの言葉を思い出した。
そうだよな。
引き止めねば。それが俺の役割だ。
死ぬと分かっていて行かせることはできない。
だから……。
『ミミル、行くな!! 行ってもどうにもならない』
すると、ミルルが叫んだ。
「お前に何が分かるっ!! みんな、みんなが殺されているんだぞ!!」
強く噛んだ唇からは血が伝い、目にいっぱい涙をためている。
ミミルは続ける。
「私は戦士だ!! 誇り高き猫耳族の戦士だ!! 皆を見捨てて逃げるくらいなら、私は死を選ぶ!!」
ミミルは前に足を踏み出す。
くそ。
くそっ!!
俺には何もできない。
ミミルの腕を掴んで引き止めることすらできない。
2人を守るって誓ったのに……。
俺はなんて無力なんだ。
カルアは?
カルアをみると、茫然自失としたままだった。
とても、何かを頼める状況じゃない。
このままだと、ミミルが死んでしまう。
どうしたらいいんだ。
そのとき。
吊り橋の対岸に誰かが立っていることに気づいた。
燃えさかる炎の明かるさのせいか、俺にはハッキリみえた。ララさんだ。
ララさんは、俺たちに手を払い、追い払うような仕草をすると、こちらをみて微笑んだ。
そして、次の瞬間。
ナイフで吊り橋の蔓を切り落としたのだ。
支えを失った吊り橋は崩れ落ちていく。
底板はバラバラになって、谷底に落ちて行った。まるで集落での生活がバラバラになっていく姿のようだった。
落ちる吊り橋を見届けると、ララさんは炎に飲まれていった。
ミミルは叫んだ。
「なんで、なんで。ララ姉さん。なんでぇ……」
そして、糸が切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。
ドラゴンの視線が一瞬、こちらに向いたのを感じた。
次は俺たちだ。
まもなくドラゴンは、集落を蹂躙し尽くしてこちらにくるつもりなのだろう。
さっきのララさんの表情が頭に浮ぶ。
2人を逃さねば。
俺には手足がない。
2人のどちらだ。どちらなら動ける?
カルアはしっかり者だが、弱い。
ミミルは甘えん坊だが、きっと強い。
さっきだって、牙を剥いたのはミミルだった。
だからミミルに言った。
こんな言い方は卑怯だって分かってる。
あとから、俺を恨みたければ、恨めば良い。
『ミミル、お前1人なら勝手にすればいい。だが、姉さんは? お前は姉さんも巻き添えにして殺す気か!!』
「……」
ダメか?
届かないか?
直後、ミミルから凄まじい怒りが流れ込んできた。俺に対する怒りだ。
きっと、おれは嫌われるのだろう。
だが、それでいい。
そして、ミミルは立ち上がった。
涙を拭い、歯を食いしばって。
「つばき……、どうすればいい?」
『カルアを助けろ。担いで逃げるんだ。両手が塞がるなら、俺は置いて行ってもらって構わない』
そうだ。
どうせ、おれはもう死んでいるのだ。
1回が2回に増えたところで、大して変わらない。
ミミルはカルアの両手を肩に掛け担ぐ。
そして、俺を乱雑に鷲掴みにするとポケットに放り込んだ。
ミミルは全部を背負い、それから数時間歩き続けた。やがて、周囲は静かになり、満点の星が輝く砂漠になった。
後ろを振り返ると、極黒の闇の向こうには。
集落が燃え、オレンジ色の灯りがともっているようだった。
やがて、小さなオアシスに出た。
ミミルは、荷物を置くと、座って膝を抱える。
そして、俺を睨むと独り言のように言った。
「……さっきはありがとう」
カルアはまだぼーっとしている。
そして、オレンジ色の灯りに気づくと、また泣き出した。
その日は、それから誰も話さなかった。
ミミルもカルアも、焚き火を挟んで、お互いに背を向けて毛布を被る。
砂漠の夜は思った以上に寒い。
カルアの寝息が聞こえてきた。きっと、疲れてしまったのだろう。
ミミルは?
彼女が一番疲れているはずだ。
すると、やがてミミルの声が聞こえてきた。
「グスッ……、んっ…あンッ…ん」
……泣きながら喘いでいるような。
自分を慰めているのかな。
こんな時に不謹慎なのだろうか。
彼女は、おかしいのだろうか。
おれは、そうは思わない。
彼女は限界まで頑張ったのだ。
何にも頼れなくて、心細くて。
悲しくて、腹立たしくて。悔しくて。
何かを愛していると錯覚したいのだろう。
つかの間でも彼女の痛みが癒えるのなら。
いまはそれでいいんだろうと思う。
でも、さすがに。
いくら俺でも、これを鑑賞して楽しむ気にはなれなかった。
……ふぅ。
ブツッ。
(外界と遮断される音)
外部から遮断され、箱の中は無音の真っ暗闇になった。
ミミル、カルア。辛かったな。
何もしてやれなくて、ごめんな。
おやすみ。
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