第38話




 目に付いた全ての魔物を皆殺しにしたセレンはその後、激しい頭痛と身体の発熱に苛まれてまともに頭が働かなくなり、戦馬の下へ戻ってひと休憩を挟んだ。

 着けていた指輪を外して胸元へ仕舞い、空になった小瓶を投げ棄てる。小瓶は地面に落ちた後、透明な砂になった。


「ベテルギウス、ここにはもう用はないから行こうか」


 結局、あの赤黒いモヤの中で呻き声を上げる者は居なかった。

 荒っぽい確認方法ではあるが、一人ひとりを生存確認するより手っ取り早いと勘で判断して。誰か生きていれば必ず疼いて声を漏らす筈だったが、目論見は外れてしまったようだ。

 つまりあの場に生存者は居なかったという事になる。


「半分を港にも向かわせたと聞いてたけど、ここの死体は敵味方含めてもせいぜい100人強。ここまでの道中の死体を合わせても明らかに足りてない…」


 セレンは休憩を挟んで幾分か冷静になっていた。

 自分でもあそこまで精神が昂るとは想定外だったが、一つ思い当たる節がある。


「(法技を暴走させたアマンダは直前に地法力を浴びていた。ドワーフも地法力は有害そうな事を言ってたし、少なくとも精神や法力に悪影響があると考えるべきね…)」


 慣れてきたと思っていたらこれである。

 ドワーフも大袈裟に言っていて、目に見える変調の無い自分だけは平気だと思い上がっていたのかも知れない。

 むしろ、そう考えていた事自体が精神に影響を受けていた可能性すらある。


「…草原の方へ向かって行った足跡があるわね」


 地法力の影響についても気になるが、今はまず無事な友軍の足取りを追わなければならない。

 他の生き残りが居ないか、魔物の取りこぼしが無いか注意を向けながら先を急ぐ。


「あーもう、後先考えるのを飛ばして魔物の全滅を優先するとかどんな狂戦士よ。休憩する時間だって惜しいってのに」


 セレンはもうすっかり怒りや殺意が消沈してしまっていた。

 散々暴れて少し冷静になれた部分は否めないが、制御不能な魔物を解き放って敵味方に甚大な被害を齎した下手人をどうにかしたい気持ちより、今は戦争が終わった事を友軍に納得させてこんな益の無い戦いから早く撤退させたい気持ちが上回っている。


「(せめて無茶する理由くらいちゃんと聞いておけばよかった…)」


 セレンは傭兵である。行った先々の戦場で一々感情移入なんてしてたら身が保たない。

 だから深入りしなかった事には何ら落ち度があるとは思わない。けれど今回の場合は自分に責が全く無いとも言い切れない。


「(アタシのやった事って何? 事情も聞かず無責任に調子いいこと言って戦場へ送っただけでしょ。…これじゃ散々馬鹿にしてきた貴族のおべんちゃらと何も変わらないじゃない!)」


 消沈していた気持ちは何処へやら。

 セレンは自分がやられて嫌いな事を自分がやっていた事実に腹を立て、沸々と湧き上がる感情で勢いを取り戻していった。


「ヴィンス、ちゃんと生きて待ってなさいよ。必ずアタシが助けに行ってあげるから!」




◇◆◇




 辺りはすっかり暗くなっている。

 魔物の群を戦ってから草原を一刻ほど進んだ先、激しい戦いがあったと思われる場所に到着した。


「おい、誰か生きてる奴は返事をしろっ!」


 血の臭い、死の臭い。

 一直線に抉れた大地、法撃の跡。

 数多くの敵味方の亡骸、まばらな魔物の死骸。

 野営地で何度か言葉を交わした兵や部隊長の物言わぬ姿を見付ける度に、この惨状に違和感を感じる。


「…ぁ、女傭兵…」


 その声には聞き覚えがあった。


「何だよ、アンタも存外しぶといな…」

「ヴィンセント様は、ご無事か…」


 顔を血で濡らした副隊長が折り重なる騎士の骸の隙間から声を掛けてきていた。

 セレンは生存者の声が聴けて一瞬顔を綻ばせるが、その騎士達の死に様の異常性に息を呑む。


「ッ…! …それを聞きたいのはこっちだボンクラ」


 即死。それは間違いない。

 何しろ鎧が大きく変形してしまっている。


「また、お前は…そんな…、ごほっ!」

「いいから! ヴィンスがどっちに行ったかだけ教えろ」


 副隊長は顔を青ざめさせながらも遅過ぎる援軍の到着にいくらか瞳に生気を戻し、潰れた騎士にサンドイッチにされたままで手足が動かせないのか、顔の向きと目で方向を指し示す。

 大地の抉れた跡が点々と続いている。


「…ヴィンセント様を、お助け…しろ。その為に…わざわざ、お前…みたいな…」

「言われるまでもない、金はもう貰ってるからな。アンタはそこで休んでろ」


 伝わったのを感じ取って視線を戻し、いつも通りの不遜な言葉とは裏腹に弱々しく懇願するような口調と目で訴えた。


「生意気な…ごほっ! それに、私はアンタ…では…ない…。私の…名は…」

「おい副隊長ッ」


 ヴィンスの居場所を伝えて気が緩んだのか、みるみる目から生気が抜けていく。

 言葉は最後まで続かず、そのまま宙空に視線を固定して力尽きる。


「…………」

「馬鹿が、ここは名前言う所だろッ! 憎まれ口で体力使ってんじゃねえよ…! そういう所が間抜けなんだよ…っ…」


 こんな所でモタモタしていられない。少なくとも今の今まで息のあった者が居たのだからまだ間に合う公算が高い。

 すぐに副隊長の指し示した方向へと戦馬を走らせて、セレンは目まぐるしく思考を巡らせた。




◇◆◇





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