第32話
ー〈領軍本陣〉ー
ランカイン侯爵軍からの伝令と多数の目撃証言により、敵将との一騎打ちを制した“剣墓”ベルガンの活躍が報じられた。
領軍はその時点で勝利を確信し、戦争の重圧に屈していた次期当主はすぐさま飛び付いて勝利を事実するべく、各領から派遣部隊を送ってくれた客将達を招いて勝利の宴を開催させた。
「皆の者、良くやってくれた! 王国からの援軍が無いと報された時はどうなるかと思ったが、流石は我が領を守りし精鋭たる騎士達よ!」
「はっ。お褒めいただき光栄の至りで御座います」
厳密にはまだ勝利した訳では無いのだが、敵将を討ち取り、北の敵軍は撤退を開始したとの事で、最大の山場は越えたものとして久々に気を緩められた。
次期当主程でないにしろ、他の客将もまた戦時の緊張に晒されて気が気ではなかったのだろう。
「うむ。そして何より、此度はランカイン領よりはるばる援軍に参じた『鉄花騎士団』の活躍なくしてこの勝利は無かった! この場に招待出来なかったのは残念だが、その働きは誰もが認める所だろう! 彼等への賛辞はまたの機会とし、まずはこの場に居る者達を労いたいと思う。皆、改めて本当に良くやってくれた。今はこの様なささやかな宴しか開けぬが、この勝利の喜びを共に分かち合おうではないか!」
ささやかと言いつつ、テント内に並べられているのは野営食にしては随分と豪勢な食事である。
王国からの支援物資内にあった嗜好品や贅沢品をふんだんに使ったフルコースが並べられていた。
『鉄花騎士団』は敵軍の撤退を見届けるまで睨みを利かせる為に出席は見送られている。
「では、乾杯しよう。我々トランダンセル領と王国の、名誉ある勝利と更なる繁栄に!」
「「「名誉ある勝利と更なる繁栄に!」」」
グラスを掲げて一斉に呷る。
これも支援物資にあった高価な葡萄酒だ。
「実に清々しい気分だ。『鉄花騎士団』と剣聖殿には後ほど改めて御礼を申し上げなくてはな」
戦時の狂気は鳴りを潜め、貼り付けたような満面の笑みで次期当主は酒を飲み明るく振る舞う。
それを見る武官の目からすれば、彼は無理して勝利と楽しさを誇張している様にも見えた。
「マルクス様、此度の戦の勝利おめでとうございます。『鉄花騎士団』の活躍もそうでしたが、法士隊による広範囲法撃は実に見事なものであったと我が領からの派遣中隊からも報告を受けております。優秀な法士をそれだけ揃えられておられるとは、トランダンセル領軍の戦力は底が知れませんな。いやはや羨ましい限りです」
客将として招かれた近隣領の部隊を率いる貴族が次期当主マルクスに近付いて称賛を口にする。
彼は大仰に身振り手振りを交えて大物らしく振る舞おうとしていた。
「ははは。王国の法士団には遠く及ばない物ですが、配下に勇敢な兵の多いコーデルタ子爵殿にそう言って頂けるなら彼等も喜ぶでしょう」
「そんな、私めの兵などそれこそ伯爵領軍の統率力や法士隊の活躍と比べたらお恥ずかしい限りです。後学の為に伯爵領軍の法士隊がどの様な術式を使われたのかお聞きしても宜しいですかな?」
マルクスは術式の名称など知らなかった。低位の物ならともかく、この戦争では戦術や戦略に関してはほとんどシャットダウンしていた弊害である。
即座に武官が後ろから小声で情報を与える。
「(火法と風法の複合術式の『フレイムバースト』で御座います。法士が)」
「んッんんッ! 火法と風法の複合術式の『フレイムバースト』と呼ばれる物だ。あまりにも強力な術式故、三刻につき一度しか使えなかったがね」
続けて説明しようとする武官を咳払いで追い払い、得意気に語り出す。
戦場で三刻毎に法撃の音が鳴り響いていたのは誰もが知る所である。
「まさか法士隊にその様な上級術式を使える者が複数居られるのですか!」
「はっはっ、何を言っておられるのか。現に使っておったではありませんか」
「いやはや大変おみそれいたしました…!」
子爵は目を見開き、伯爵家の雇う法士達の実力に驚嘆した。
嘘を付いている様に見えないマルクスの態度から自分の目算が間違っていたのだと考えを改めて、伯爵家の力を何とかして推し量ろうと思い直す。
「(その様に驚くような事なのか?)」
「(閣下。複合術式の『フレイムバースト』は四人一組で使用する術式に御座います…。それに三刻ではなく六刻に一度を二隊に分けて使っておりました)」
子爵との話を一区切りした所で、武官は続けられなかった説明の補足をする。
みるみる内にマルクスの顔は憤怒に歪み、武官を睨みつけた。
「(その様な話は聞いていなかったぞ! 今更子爵殿に勘違いだったと説明しろとでも言うつもりか!)」
「(申し訳御座いません。ですが閣下は大勢の命を奪う様な術式の説明など聞きたくないと仰られておりましたので…)」
事実、拒否したのはマルクス本人であった。
武官はその命に従っただけである。
「(それは戦時の話だ! 今はその様な事は言ってはおれん。何故宴の前に進言しなかったのだ、この役立たずめッ!)」
「(…申し訳御座いません)」
武官は次期当主の理不尽な怒りにただ謝罪するしかなかった。
戦時の彼はとても正気とは言えなかったので、負担にならない様にと先回りした気遣いで甘やかしたのは他ならぬ武官自身である。
確かに必要な説明をちゃんとしなかったのは落ち度である。例えどんな理由が有ろうともだ。
「では閣下、前線の様子が気になりますので仕事に戻る事をお許し下さい」
「ふん、露骨な挽回を図りたいのか。まあ良い、お前達の顔を見ていると戦時の厭な記憶を思い出す。外に出て頭を冷やして来い、暫く戻らんで良いぞ」
己の落ち度は理屈の上では理解するが、やはり武官も人の子。良かれと思ってした行為が必要以上に悪く取られ、納得出来ない叱責をされたのではたまったものではない。
彼はこの虚飾にまみれた空気に居たたまれなくなり、宴の場を部下ともども追い出されるように退席するのだった。
入れ違いに外から酒が運ばれて行く。宴会はまだまだ続きそうである。
「(王国からの支援物資には贅沢品が多く積み込まれていたのだな…。援軍を出せない理由を述べただけでは納得させられないと踏んで軍上層部を抱き込むつもりで送ったのだろう)」
テントの外には大量の支援物資や敵軍からの鹵獲品が並べられていた。
これらを目立つ所に置いているのは、例え戦争が長く続こうとも依然として余裕があると分かりやすく来賓に見せる意味と、敵から得た鹵獲品を積み上げて力を誇示する効果を期待しての物だろう。
その中で大隊長である自分が目を通していない戦利品を見付けた。
「…あの
「いけません。法士の方々以外には触らせない様にとの御達しです」
気にはなったが、この状況では余計な事をしない方が良いだろうと思い直してその場を後にする。
次期当主マルクスは一見すると重圧から解放されて浮かれているだけに見えるが、それ以上に少々危うい雰囲気を感じた。
「(やはりまだ正気とは言えない状態か。それを差し引いても、窮地に陥ればここまで器の小ささを露見させてしまわれる御方だったとは、己の見る目の無さが恨めしい…)」
しかしそれでも勝利は勝利。
この戦果を以て伯爵様は彼に家督を継がせる決断をするだろう。
先程の言である「戦時の厭な記憶を思い出す」というのが事実であれば、彼が当主となれば自分は冷遇されてしまうかも知れない。
「(日に日に扱いが悪くなる生活を送るくらいなら、いっそ自ら退任する意志を表明するべきか。このタイミングであれば戦争の勝利の功績により伯爵様から十分な報奨を約束して貰えるやも知れない…)」
本陣から外に出て前線へと馬を走らせるのはこれで何度目だろうか。
彼はこの戦争中、一度も剣を抜いて戦う事もなく、前線の指示出しと次期当主のご機嫌取りとを行き来するだけの仕事にウンザリしていた。
「(はっ…、何が『トランダンセルの獅子』だ。武勇ではランカイン侯爵軍の『鉄花騎士団』には及ばず、やっている事は癇癪持ちの総大将のお守り。いくら剣の腕が立った所で、いざ戦争になれば偉くなり過ぎて自ら剣を握って戦うことすら許されないとは…)」
彼の『トランダンセルの獅子』という異名は騎士隊時代に付けられた通り名で、
「(こんな物が自分の成りたかった騎士の姿なのだろうか。今はただ無力で、意味も定かでない哀しみと、やるせなさと、虚しさばかりだ…)」
確かに出世はしたかった。元々家柄もそこそこ良く周囲からの覚えもめでたく、やればやるだけ成果を上げられるのはやり甲斐がなかった訳では無い。
それでも、自分が本当に楽しいと感じる事柄からは徐々に乖離させられていく出世のシステムには思う所があった。
武人として優秀な者が指揮官としての才を持っているとは限らない。彼はどちらも器用にこなしたが、必ずしも才と望みとが合致する物ではないのだ。
「(そうだな。成りたかった物が何なのかもよく分からなくなったが、今は無性に剣で戦いたい…。己の腕を賭けて競い合いたい…。ただの一人の剣士に戻りたい…)」
色々と考え出して残った結論は、至極シンプルな物だった。
自分はひたすら剣を振るうのが好きだったのだ。
それがいつの間にか成果を求め、周囲の評価という不純物が混ざり、手段にまで貶められ、気が付けば自由に振るう事すらままならない。
「(戦争になれば或いはとも思ったが、期待する様は展開は『鉄花騎士団』に持っていかれてしまったからな…)」
道すがら本陣の方角へと向かう法士達や、街道方面へと向かう統一感の無い装備をした女性の一団とすれ違った。
何故こんな所にと引っかかったが、勝利の報を知って気の早い連中が引き上げを始めたのかも知れない。
不真面目なとも思ったが、今は軍の規律やら何やらに縛られたく無いと感じるのは自分も同じである。
気付かなかった振りをして通り過ぎる事にした。
「傭兵…か」
友軍を示す飾り布を身に着けていて味方だと分かるだけの雇われ者の集団。つまり彼女達は傭兵団なのだろう。
傭兵とは何の保証もなく、己の命と腕だけで日々の糧を得る究極の自由業だ。
「案外、そういう生き方も有りなのかも知れないな…」
早くに出世して挫折を知らない彼は漠然と、自分なら傭兵になっても上手くやれるのではないかという夢想に耽るのだった。
それが結果的に視野を狭くして、連日の心労と相まって大きな見落としに気付けなかった事が、後にどの様な悲劇を生むことになるのか。
己の先行きで手一杯だった彼は知る由もない。
◇◆◇
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