第31話




 何もかもが破壊され尽くされていた。

 周囲の風景から一方角だけが、綺麗さっぱり拓けてしまっている。

 木々は薙ぎ倒され、凸凹が整地され、潰れた魔物の死骸が汚いシミを広げ、真新しい地面が掘り返され、そこだけぽっかりと視界を遮る物が見当たらない。


「情けないねえ、このアマンダ様とあろう者が自分の法技に呑まれちまうなんて…」


 この大破壊をたった一人で齎した名前付ネームドは地べたに座り込み、沈んだ表情でうつむいて自責の念に苛まれていた。


「あー、あれはアタシのミスだろ。だからアレはほら、アタシが焦って魔物の群が来る前に斃そうとしたら、つい赤いモヤが出るタイミングを見誤っちまったのが原因でもある訳だし…」


 バツの悪そうなセレンが気分の落ち込んだアマンダの傍で所在無げにしながら何とか取り繕おうとするのだが、あまり上手く行っていない。


「それでもだ。セレン嬢が腕を叩いて軌道をずらして無かったら、レイチェル達に被害が行ってたかも知れないと思うと…、くそッ! これじゃあ嬢の法技を欠陥だなんて言えた義理じゃねえ…」


 実際危ないところだった。

 セレンは法技発動のギリギリの際で槍の柄を使ってアマンダの腕を叩いて僅かに方角を変えさせた。

 咄嗟の事で加減が出来ず、アマンダの腕にはくっきりと青あざが浮かんでいる。

 何とかしてやりたいのは山々だが、アマンダは法技発動の代償で鬱状態になってしまって誰も近寄らせようとしない。


「お互いに反省しなきゃ駄目なのは確かだけどさ。結果的に何ともなかったんだから、もうこの件はやめにしとかない?」


 セレンは間違いなくアマンダを慮っているのだが、人の心情に寄り添う気持ちになるのが苦手なので何を言ってやったら良いのか分からない。


「ああ、そうだね。でも、ここいらでもう潮時だよ。セレン嬢、うちらはズラかるとするよ…。嬢はどうする?」

「あー、アタシはさ、まだやることあるから」


 この分ではヴィンスの中隊や置いてきた傭兵達も魔物に襲われているかも知れない。

 一体ずつなら問題無いと思うが、一応生存確認くらいはしておいた方が良いだろう。

 それに“剣墓”ベルガンによって斃された名前付ネームドの報告をするまでが仕事である。


「あの貴族の坊っちゃんの所かい? やめときな、今さら傭兵長だなんて肩書きだけの役職に拘らなくたっていいだろ」


 アマンダは諭すように言うが、セレンとしてはあれだけ大見得を切って引き受けた依頼を放っぽり出すのは気が引けるのだ。

 それに、ヴィンスは肩の力が入っていて何となく危なっかしい。


「あーほら、アイツが死んでたら成果報酬の報告が有耶無耶にされるだろ?」

「馬鹿言うんじゃないよ! こんだけ魔物が溢れてちゃどの道死体の判別なんざ出来やしねえ。悪い様にはしないから、うちらと一緒に退散しときな」


 いくら法力印の判別の信頼性が高いと言えども、死体そのものが喰われてたりしたら判別すら出来ない。

 アマンダは仲間達を巻き込みそうになったのもそうだが、多数の魔物に追われる姿を見ていた事が影響した上に、法技の反動を受けて弱気になっている。


「あァ? まさか“地均し”アマンダ姉様からそんな弱気な言葉が出るなんてねえ!」

「そんな見え透いた安い挑発には乗らないよ。冷静になりな! あの魔物がここだけに出てるなんて都合の良い話なんてあると思うかい?」


 例え弱ってもアマンダの戦略眼はこの異常事態を大局的に観て、局所的な物ではないと判断していた。


「あの壷の封印は高位の法士が掛けた物だ。たぶん数は揃ってない」

「嬢が言うんだから確かに高価な物なのかもね。でも保存期間は? いつから作ってる? 何にも知らねえんだろ! きっと今頃は敵陣の周辺は魔物で溢れかえってるだろうさ。そこへ乗り込むなんざ命知らずですらねえ、ただの馬鹿のする事だろッ」


 保存可能な期間が長いなら生産が遅くても数が揃えられる。生産を始めたのが最近ではなくずっと前からならどうだろうか。

 要するにセレンの言う仮説には根拠が無いのである。


「はいはい、アマンダの言ってる事は正しい。でもそれがどうしたって? なーに守りに入ったヌルイ事言ってんのよ。逃げたいならどうぞご勝手に〜、アタシにはアタシのやり方があんの」


 セレンにもここで退散する意思が無かった訳ではない。

 だが、弱気なアマンダの姿を見せられた彼女を退かせなかったのは反発して湧いてきた気持ちだった。


「あーそうかい。だったら勝手にしな! 余計なお世話ってんなら別に構いやしないよ。金だって払って貰ってねえんだ、こっちだって面倒見てやる義理はないね!」


 領軍には三人の名前付ネームドが居たが、一番の首級を上げたのは順当に“剣墓”ベルガンだった。それは誰にも疑問の挟む余地は無い。

 それでもセレンは首級を上げるのは自分か、アマンダのどちらかであって欲しかった。


「(あの強くて大きなアマンダが弱る姿なんて見たくなかった。このまま賢く立ち回るだけで自分を腐らせるなんて真っ平ごめんだわ)」


 理屈ではない。

 このまま何もしないで帰るのは、セレンを信じて懸けてくれたヴィンスに申し訳が立たない。

 傭兵にだって通すべき意地くらいある。

 だからこれは間違いではないと、彼女は自分の意思を固めたのだった。




◇◆◇




 アマンダとの一悶着の後、出発の為に準備を進めるセレンは鼻腔をくすぐるフローラルな香りを感じて振り返ると、そこには爽やかな笑顔を湛える輝くような美形が立っていた。


「失礼。レディ・ヴァルキュリア。僕達の姉さんがお世話になったね。素直になれない姉さんに代わり、心よりの感謝をお伝えしましょう☆」


 まず目を引くのは兜を着けずに露わにしたままの美しく整えられた金の短髪。

 長いまつ毛に縁取られた切れ長の目には青い瞳。

 スッと伸びる鼻筋に手入れの行き届いた白い肌。

 形の良い眉と唇の朱が顔全体の造形の美しさを際立たせる。


「レイチェル、久しぶり。…また一段と凄い恰好になったわね」


 アマンダ傭兵団の副団長レイチェル。

 彼女は男性の着る白い礼服に身を包みつつも、女性らしさを一切損なうことなく見事に調和させていた。

 大き過ぎず形の良い胸は盛り上がり女性らしい身体つきなのは間違い無いのだが、男性並の長身と貴公子然とした所作と装飾が注意を他に向けさせる。


「フフッ。麗しの戦乙女に褒められるとは光栄だね。此の度の戦に合わせて新調した甲斐があったという物だよ。どうかな、この戦が終わったら僕と一緒に領都の夜景が観えるレストランで食事でも☆」

「レイチェルが言うと冗談か本気か分からなくなるわね…」


 男性からは女性として、女性からは男性のように見られる事に何ら恥じることなく受け入れ、その堂々とした立ち振舞いには人を惹きつける独特のカリスマ性を帯びていた。


「もちろん本気だとも! 今回の礼も含めて、一度ちゃんとお誘いを受けて欲しいんだ。愛しのロナ君も一緒にね☆」

「(うっ…。これがイケメン女子の破壊力ッ…!)」


 嫌味のない自然なウィンクにセレンもたじろぐ。

 同時に、この人には敵わないと感じて目を泳がせる。


「おっと、あまり長く引き留める訳には行かないね。お礼の件は後日改めて申し込ませて戴こう☆」

「分かった、検討しとく」


 アマンダの件もあり何となく後ろめたい気持ちになり、誘いは断らずに曖昧な返答をしてしまう。


「レディ・ヴァルキュリア。最後にこれだけ渡しておくよ。ここへ到着するまでに僕達が通って来たルートを記してある。僕が渡した事は姉さんには内緒にしておくれ。ご武運を祈っているよ☆」

「ありがとうレイチェル。とても助かるわ」


 つまりセレンとアマンダのやり取りは把握されているのだろう。

 気を遣わせてしまった手前、無下には出来ないのでセレンは素直に感謝を述べた。


「(おおーう…。レイチェルさんやっべえ、イケメン過ぎて変な汗出たわ〜…)」


 レイチェルの事は嫌いではないし、正直尊敬もしている。

 ただちょっと苦手なのだ。


「(レイチェルさんって、アタシより年下なのよね…)」




◇◆◇




「お頭〜! レイチェルさんが呼んでるっスよ〜」

「今そっち行くよ。レニはタニア達に言って手遅れになる前にさっさと準備させときな」


 セレンと別れた後、アマンダは法技の反動で沈んでいた気分をいくらか持ち直して戦地からの撤退の準備を進ませていた。


「姉さん。災難だったみたいだね。けれど、まずはお互い無事に再会出来た事を喜び合おう☆」

「レイチェルもすまないね。それで、セレン嬢に地図は渡せたかい?」


 副団長のレイチェルはこの傭兵団の稼ぎ頭だ。

 容姿と服装で人目を惹き、老若男女に好印象を与えて交渉を有利に運び、条件の良い仕事を拾ってくる。

 アマンダでは対応出来ない事態になれば団の顔として収拾に当たる。今回のセレンへのフォローも、大切な業務の一環なのだ。


「それはもちろん。素直に感謝を述べてくれたよ☆」

「あんたは本当に要領が良いねえ。班の指揮まで任せきりになったってのに、本当に助かってるよ」


 アマンダも付き合いは長いが気難しいセレンとのやり取りで揉める事がしばしばあるが、レイチェルに任せると丸く収まるのでついつい頼ってしまう。


「僕にはそれくらいしか出来ないからね。その言葉だけで十分さ。だから頑張った他の子達には姉さんの元気な声を聞かせてやって欲しいかな☆」

「この娘はそうやってまた…。はぁ、レイチェルはセレン嬢とは違った意味で心配になるよ…」


 レイチェルは一瞬ここが戦地である事を忘れさせるような華やかな笑顔とハスキーな声色でアマンダを元気づける。


「あれ、セレン姐さんは一緒じゃないんスか?」

「あの馬鹿娘は放っておきな。本当に全然聞き分けやしない!」


 レイチェルに準備の仕切りを任せてたアマンダは他のメンバーの様子を見て回る。

 沈んでいた気分が回復するに従って、思い返すのはセレンとのやり取りだった。


「クソ、あの跳ねっ返りは言いたい放題言ってくれやがって」

「アマンダ姉、よく分かんねえけど気にすんなよ! 姉は間違ってないって思う!」


 メリンダは大柄な体格とは正反対にやや幼気で屈託ない表情でアマンダを元気づけようとする。


「メリンダは素直で良いねえ」

「おう!」


 その元気な返事を聞きながら、アマンダは若手のメリンダにまで気を遣わせてしまった自分の不甲斐なさに再び気分が落ちそうになった。

 メリンダが作業に戻るのを見送って、独り言つ。


「守りに入ってる、か…。確かにそうさ。うちには面倒見ないとならない子が大勢出来ちまったからねえ。前みたいな無茶はもう出来ないんだよ…」


 何も人がどん底に落ち込んでる時に言わなくてもと思わなくも無いのだが、あのタイミングで言われなければここまで自覚させられたりはしなかったとも思う。

 それでも言い方はもうちょっと考えて欲しい。法技後の反動は本気でキツいのだ。


「アマンダ、終わったわ。…セレンちゃんなら大丈夫よ。ロナちゃんを待たせてるんだもの、きっと何食わぬ顔で帰ってくるわ」


 タニアにそっと声を掛けられ、メンバーの支度が終わったのを確認した。


「馬鹿な娘だよ…。セレン、死ぬんじゃないよ」




◇◆◇





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