第20話




ー〈傭兵分隊〉ー


 敵本陣よりやや北西側の渓谷。

 傭兵長セレンの配置した傭兵分隊の一つが分断作戦の後詰めとして敵兵との剣戟を繰り広げていた。

 そんな中でそれなりに機能的な革製の鎧兜に身を包んだ二十代中頃のやや背の高い男が声を掛ける。


「なあアハド、なんか臭わねえか?」


 各地を放浪しながら傭兵業をしてきたゲイルは得物のハルバードを倒れた敵兵の喉元に突き立てながら、何かと縁のある傭兵仲間のアハドに気になっていた事を聞いた。

 アハドと呼ばれたのはモミアゲと髭の境目の分からない熊のような顔をした体格の良い男である。

 大剣を器用に振り回して敵兵の回避を誘い、仲間の斬りかかれる位置へと送り込む。


「そうか。ここ最近は決戦前だから緊張して寝つきが悪くて、寝る前も筋トレばかりしてたからな。言われてみれば臭いまで気にしていられなかった…」

「いやそうじゃなくて、なんか焦げ臭いっつうか」


 厳つい顔の割に真面目で細やかな彼は、臭うと言われてシュンとした表情を浮かべた。

 この傭兵らしくない性格から、逆に傭兵仲間からの信頼を集めている。元は他領の正規兵として真面目に勤めていたらしいが、現在はフリーの傭兵稼業で日銭を稼いでいる変わり者だ。


「ああ、開戦の法撃は凄まじかったな。かなり距離があるのによく見えた」

「う〜んどうなんだ。あれでどっか引火して山火事でも起こったんかね」


 アハドは開戦の合図となった法撃を思い出す。

 本隊から遠く離れたこの場所からでも空に巻き上がるのが見えたのだから、かなり過剰な爆発を起こしたのではないかと推測していた。

 ゲイルに言われて少し気になった彼は引き下がる敵兵の追撃の途中で大岩に登り、本隊が居るであろう南東の方角を確認した。


「…おいゲイル、どうやら本当に山火事みたいだぞ」


 低い位置の渓谷に居て今まで気付かなかったが、森が赤々と燃えているのがよく見えた。


「うおお、何じゃこりゃ! 凄い勢いで燃えてやがんな」


 同じく大岩に登ったゲイルが驚きの声を上げる。

 何だ何だと周りの傭兵達も集まり、その光景を観ると口々に「山が大変みたいだ」やら、「森がやばいらしい」だの、「火の始末忘れたの誰だ」とか、たちまち騒ぎになりだした。


「これはこの辺まで火に巻かれるのも時間の問題だな。どうする?」

「死体が燃えちまったら印の判別ってどうなんだっけ」


 この期に及んでゲイルは金の心配をするが、傭兵の関心事はだいたいそこである。


「燃えたくらいなら法力印は消えないが、敵味方の照合が出来なくなったら払われないだろうな」

「何だって! オレは働き損はゴメンだぞ」


 木々の少ない渓谷まで火の手が及ぶかと言われれば大丈夫だと思われるが、敵軍も森の異常にはすぐに気が付くだろう。


「森や建物は燃えるだろうが、敵に逃げ場は無くなるだろ。敵を燃える物の無い渓谷で足止めして包囲したら、後は稼ぎ放題なんじゃないか」


 外を囲んでいる中隊と傭兵達はいざとなれば逃げ出せる。しかし周囲を徐々に包囲されつつある敵軍はそうも行かない。

 この状況で火と兵に囲まれれば袋のネズミである。


「でもそれ、オレ達も逃げられなくない?」

「…そうだな。いざとなったら川を越えるしかないか」


 火の手は及ばなくても煙に巻かれれば危ないかも知れない。

 二人は同じ分隊の傭兵達に声を掛けて、今までの稼ぎを確定させたら一旦切り上げて周辺の確認に行く事にした。


「でもここで逃げたら報酬貰えねえよな」

「火の手が回りそうな範囲に当たりを付けて、そっちに回してた戦力を残りのルートに集中させれば戦局が有利になるかもな」


 戦場でセレンに勧誘されてきた彼等は余所者の傭兵ばかりで、半ば強制徴兵された地元傭兵とは前提が異なる。

 地元愛の薄い彼等はこの山火事を有利な要素として最大限に利用する方向にした。

 地元に守られる事もなく、己の腕だけで食い扶持を稼げる者の集まりであるが故にフットワークが軽く、臨機応変な判断能力も高かった。




◇◆◇




ー〈アマンダ傭兵団〉ー


 セレンへの予約で希望していた狩り場を割り当てられていたアマンダ達は、予想が的中した敵の後退ルートの一つへと先回りして陣取り、着実に戦果を上げていた。

 一気に大きく稼ぐのではなく、リスクを極力減らして確実に稼ぐスタイルでスコアを伸ばしている。

 女性にしては大柄で身長が190近くあり体格にも恵まれているアマンダだが、彼女の最大の武器は力ではなく戦略眼に他ならない。


「おーし、リサ、レニ、メリンダ、タニア。誰も死んじゃいないね?」


 アマンダは点呼を取り、仲間の無事を確かめた。


「あ、は、はいぃ〜」


 リサと呼ばれた黒い瞳に黒い長髪の、戦場には似つかわしくない華奢な十代後半くらいの娘がオドオドした態度で精一杯の声で返事をする。


「一発当ててすぐ逃げたんで大丈夫っス!」


 レニは金というより濃い黄色の髪を後ろで結いた小柄な二十前後の女性で、快活そうなパッチリした目をしている。


「アマンダ姉こそ平気かよ。一度に10人も相手するなんていくら姉でもむちゃだぜ」


 メリンダはアマンダと同じように体格に恵まれており赤髪で身長は180半ば、割れた腹筋が薄っすら浮かぶヘソ出しの薄着に部分鎧を身に着けたやや幼さの残る表情をした娘である。


「メリンダ。アマンダがただの兵士なんかに遅れを取るわけないでしょ。あなたこそ平気なの、さっきの攻撃避け損なったでしょ?」


 タニアと呼ばれたのは茶色の髪をウェーブさせた大人の女性らしい身体つきをした年齢不詳の垂れ目の女性。


「何だいメリンダ、だらしないねえ! リサ、手当てしてやんな」

「い、今いきますぅ」

「ちょっ、違うって! 少し掠めただけだし、ぜんぜん平気だって!」


 攻撃を受けた事を恥ずかしがって赤面しながら慌ててアマンダに弁明するメリンダは、バトルアックスを置いて傷を手で隠そうとする。

 それが逆に傷の場所を教えてしまってリサの手当てを受ける事になった。


「それより良かったんスか。セレン姐さん誘って一緒にやるって言ってたのに」

「良いんだよ、好きにやらせときな!」


 アマンダは予約した配置場所での狩りにセレンを誘っていた。

 前からアマンダの傭兵団に入団しないかと勧誘していたので、これを機に再び声を掛けるつもりだったというのは団員歴の長い者は皆気付いている。


「レニ〜、ダメよ。アマンダはセレンちゃんにフラれちゃって気が立ってるんだから」

「タニアぁ、余計な事言ってんじゃないよ! ほーら全員無事ならさっさと次行くよ!」


 世の中の権力と仕事は男社会で出来ており、フリーランスの傭兵稼業もほとんどが男性である。

 そんな中でも女性だけで結成されたアマンダ傭兵団は、身分ある女性の護衛などで安定した稼ぎを得て成功している数少ない例外だ。

 そして女の身一つで若くして名を上げたセレンはアマンダにとっても特別な存在である。前から隙あらば勧誘しては断られ続けていた。


「お頭、大変っス! 火事っスよ火事!」


 アマンダが物思いに耽っていると、索敵に出していたレニが大急ぎで帰ってきて叫んだ。


「火事だとお? どっからだい、全く!」


 この辺りは寒冷地で、長い冬が明けたばかりで燃えやすい樹が多く、火の手が上がれば燃え広がるのはあっという間である。

 案内させた先の丘から見晴らすと南側の斜面の森が勢いよく燃えているのがよく見えた。


「あら大変」

「ひぃっ! け、煙に囲まれたら燻製になっちゃいますよぉ…」

「どういうこと。火って使っちゃだめじゃなかったっけ?」

「おーメリンダは珍しくちゃんと覚えてたみたいだね。そうさ、戦争に勝ったって自分の領地が荒れちゃ領主は大損だからねえ。火付けなんざ使うにしても最後の手段なのさ」


 タニアは開いた口元に手を当て、リサは炎を過剰に怖がった。

 ここが乾燥した地域である事は敵味方共によく知っている。

 火の始末は厳しく管理され、万が一にも山火事を起こした事が知られれば領主からどんな罰が下されるか分かった物ではない。


「あ、でも川のある谷の向こうっスね。こっちには来ないんじゃないっスか?」

「じゃ、じゃあここ、燃えませんか…? わ、わたしたち生き残れますか…?」


 レニの指摘通り、この火事は川までは越えてこないだろう。

 アマンダはこの辺りの地形は事前に把握していた。

 領軍しか持てない筈の詳細な『地図』だって密かに確保してある。

 だからこそ分かるのだ。この火事が意図的に起こされた物であると確信を得てしまう。


「ねぇ、アマンダこれって…」

「あーそうだろうね。こりゃセレン嬢の仕業だ」

「あ? どゆこと?」


 彼女ならやりかねない。

 それをやるメリットとデメリットを天秤にかけて、合理的な判断で割り切ってしまえる危うさを持っていた。


 今回はメリットを取ったのだろう。

 グレーな戦略を取るに足るだけのメリット、それはつまり…。


「嬢め、やってくれる。なーにが傭兵長だよ、抜け駆けする気満々じゃねえかッ! はっ、通りでうちらの話に乗っからない訳だわな」

「え、これセレン姐さんがやったんスか?!」

「じ、自分で火を付けるなんて、そんな恐ろしいことぉ…」

「火だものね。セレンちゃんにも事情があるのよ」


 傭兵団の創立メンバーで以前からセレンと面識のあるタニアはすぐに察したらしい。

 セレンは敵大将の首を獲る気なのだ。


 正規の部隊に従って役職まで貰って、おそらく貴族の中隊長をたらし込んで領主とは別口の契約を結んで報酬を二重取りしながら。

 偵察に行ってあれだけの敵戦力を目の当たりにしてからは、傭兵達には成果報酬を手堅く稼ぐ案に切り替えたと思わせておいて。

 いけしゃあしゃあと最大の獲物の独占をする為に、全員を出し抜こうとしている。


 そこまで思い至ったアマンダは、体内の血がカアっと熱くなるのを感じた。

 思わず強く握り締めた戦鎚を振り回して叩き付け、ドガンと地を揺らす。


「よーしお前達、作戦変更だ。レニ、あんたはひとっ走りして火の方向と敵本陣の確認。メリンダはレイチェル班に合流するって伝えな!」

「了解っス!」

「何だか分かんねえけど任せとけ!」


 してやられた、こうなる前に確信出来なかった事が悔しい。

 そういう気持ちとは裏腹に、アマンダは面白くもない撤退兵狩りなんかよりずっと興奮する展開に心を躍らせていた。


「リサとタニアは合流するまでにお片付けだ」

「はいぃっ」

「分かったわ。アマンダ、やるのね?」


 アマンダと同じ考えに至ったであろうタニアが最後の確認をしてくる。

 だからその問い掛けには心からの笑顔で応じた。


「当然だろ。この“地均し”アマンダ様を差し置いて美味しいとこ取りなんざさせねえ! 賞金はうちら『アマンダ傭兵団』がいただくよ!」


 所属人数30人を超える傭兵団を指揮する女傑。

 彼女こそ、領主自らが直接交渉して戦場へ送り込んだもう一人の名前付ネームド


 【“地均し”アマンダ】である。




◇◆◇




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