第19話




ー〈領軍本陣〉ー


 戦場の只中にありながら豪奢な天幕で遮られた一角に領軍の将軍用のテントが設営されていた。

 そのテントへ近付くのは、ひと目で上物と分かる黒と赤に彩られた鎧兜を身に纏った武官と騎士達。

 門前で護衛が挨拶して騎士達は待機させられ、武官と思しき男だけが入って行った。


「前線の様子はどうなのだっ! 我が軍は勝っているのだろうな?!」


 武官が中に入るや否や、奥に居た男がヒステリックな声を上げて立ち上がる。

 茶色の髪に青い瞳、年は三十代中頃で目の下の隈が最近よく眠れていないのを物語っていた。

 彼こそが領軍の総大将であり、王国北部の領地を任された伯爵家の嫡男である。


「はい。開幕の法士隊による一斉法撃にて敵軍の出鼻をくじき、歩兵隊による包囲と騎馬隊による挟撃で終始優勢を維持しております」

「それはさっきも聞いた! 今は、今はどうなのだ、法士隊の法撃の音が聞こえてこぬではないか! まさか、既にやられたのではあるまいな?!」


 不安に駆られて武官に詰め寄るが、彼自身は開戦前に兵に一声掛けたきり本陣に引き籠もり怖がって戦場を一切観ていなかった。

 しかし、却って見えない戦況を悪く考えて、自分自身が己の内の不安を駆り立ててしまう負のスパイラルに陥っている。


「ご心配には及びません。強力な法撃という物は術者に大きな負担となりますので、正規の訓練を受けた法士と言えども日に何度も使える物ではないのです。今は安全な後方にて騎士達に守られながら法力の回復に努めている事でしょう」

「…そうか。やられた訳では無いのだな? 我が軍の騎士達は精強だからな、それなら安心だ…」


 武官の言葉で完全に納得した訳では無いが、それでも一応の答えを得て何とか折れそうになる自分の心との折り合いを付けようと、ブツブツと安心だと自己暗示を繰り返す。


「もう半刻もすれば法力を漲らせて敵軍に再び恐怖を植え付けるでしょう。閣下に置かれましては、第二声が上がるまでどうぞごゆるりとお待ち下さいませ」

「…うむ、分かった。半刻か、半刻だな…。それで敵軍も無駄な抵抗だと思い知るだろう」


 設えられた玉座に戻り、口元に指を這わせながらフーッフーッと荒い呼吸を繰り返す。

 そのやつれ切った様子を観て、武官は戦いに向かない性格の次期当主に戦場を経験させるのは失敗だったのではないかと、出征前の会議で後押しした己の判断を後悔していた。


「我が軍の法士隊の使用する術式は、先の南部戦争で帝国が開発した特別な複合術式を解析して」

「説明など不要だ! 大勢の人の命を奪う術式の説明など聞きたくもないっ…!」

「…申し訳御座いません」


 自軍には勝って欲しいが具体的に何が行われているかは知りたくないという。

 塞ぎ込んだ己の心の平穏を守る為とはいえ、それは余りにも身勝手な要求だった。

 しかし、今心が完全に折れてしまえば軍全体の士気に関わる一大事。担ぎ出した自分の落ち度でもあると思う手前、あまり強くは言えなかった。


「他は…?」

「他、と仰いますと」

「他の友軍はどうなのだ? 我が領軍の大隊については聞いたが、友軍についてはまだ聞いておらぬ。それをどうしたのだと聞いているのだ!」


 法士隊による法撃が再び行われると聞いて少し落ち着いたのか、今まで上の空で聞こうともしなかった友軍の状況について考える余裕が出来た様だ。


「はい。我が軍の大隊の他には右翼には、かの高名なる北東の剣聖である【“剣墓”ベルガン】を擁するランカイン侯爵様の『鉄花騎士団』が馳せ参じております」

「おおっ、その名は私も知っておるぞ。王国の北東部で最も武名を馳せた名前付ネームドであろう! 流石はランカイン侯爵殿、今度改めて礼を申し上げねば」


 鉄花騎士団の上げた武名の数々は王国で知らぬ者は居ない。

 誰もが知っている有名人の名前を聞いて、ようやく次期当主の目に光が差した。


「そうです。彼等の助力があれば必ずや作戦は成功するでしょう」

「はははっ。剣聖殿の助力あらば怖いものなど無い、そうであろう? そうだ、彼等をここへ招待しよう! それが良い!」


 気は少し盛り返したが、それでも戦場の恐ろしさと己の身を守る事への執着が思考を捻じ曲げようとしていた。


「それはなりません! 彼等の居る右翼からの囲いがあればこそ、この戦争での勝率も上がるのです。どうかご理解下さいませ」

「そうか…、勝率か。そうだな、私はこの戦争で勝つ事を優先せねばならないのだったな…」


 何とか踏みとどまり、今回の戦争における目的を見失わずに済んだが、未だ精神状態は危うい状態で揺れている。


「ですがご安心下さい。我が軍に味方する名前付ネームドは“剣墓”ベルガンだけではありません」


 武官は何とか落ち着かせようと希望を持てる話題を持ち出した。


「…そうだったな。他にも父上が雇った傭兵が参戦しているのだったか」

「はい。ベルガン殿ほど名は知られておりませんが、どうやら敵将が名前付ネームドではないかという事で急遽雇い入れた者です。それでも並の戦士を軽く凌駕する強者だというお墨付きがありますので」


 武官自身も詳しくは知らされていなかった。

 何しろ急遽決まった話らしく、軍を通さずに当主自らが呼び出して交渉したという。

 それも本隊が出征してから後追いで戦場へと駆け付けたとの事で、おそらく存在を知っているのは本隊より遅れて戦地へと赴いた別のルートを進軍する別働隊くらいだろう。


「今その者が何処に居るか分かるか?」

「いえ、何分傭兵というものは足並みを揃えるのには不向きな者ばかりでして…。それにその傭兵は領軍に雇われたのではなく、ご当主様が個人的に雇って放ったらしく足取りは掴めておりません」


 本隊にも傭兵は居るが、彼等は領内の斡旋所を介して雇われた地元の戦士達であり、契約で戦時招集が掛けられて半ば義務として参戦していた。

 他にも直接雇われなくても他領から戦争を嗅ぎ付けて参戦する者達も居る。そうした自主参戦組の傭兵は軍の旗下に入る義務は無く自由にやれるが、物資の補給や配給を受けられない。

 領主が直接雇った名前付ネームドの傭兵も今まで本隊への接触が無かった点から、そうした軍の旗下に入らず己の判断で動く遊撃手としての役割で参戦しているものと結論付けた。


「そうか、まあいい。制御出来んのなら捨て置け。

しかし北の蛮族共め、全く忌々しい連中だ。それで、王国軍からの援軍はまだなのか…?」

「再三に渡り要請は続けておりますが、南の国境で帝国との睨み合いが続いていてすぐには応えられないとの事です。その代わりにと領軍の一週間分に相当する兵糧と各種物資を送って下さいました」


 当てにならない傭兵に興味を無くした次期当主は王国からの援軍に縋ろうとするが、状況的にそれは期待出来そうに無い。


「足らんのは兵糧ではなく兵の数なのだ! 聞けば蛮族共はまだ四千以上の戦力を隠し持っていたそうではないか!」

「はい。人の寄り付かない北の渓谷の先に本営が有り、北の海岸から海を渡って兵を送り込んでいたのでしょう」


 別のルートで進軍する中隊からの情報で、敵の大まかな戦力と分布については把握していた。

 そして、4000という数は領軍本隊2000の倍の兵力である。


「う、海だと?! 何と小癪な…!」

「ですが偵察隊の調査によれば、それだけの人員を維持するには些か不便な地形の様です。隠蔽にばかり気を払い、地の利を活かしきれていないと軍部は分析しております」


 海という単語に過剰に反応する。

 この伯爵領は随分前から海岸への街道と港の建設計画を進められないかと熱望していても果たせなかったからだ。


「帝国め、彼奴等はいつも面倒ばかり起こす! 国王陛下も帝国にばかり気に取られず、我が領の事ももっと気を掛けておられれば、今頃は海岸までの開拓も済んでいたかも知れぬというのに…!」

「ならばこの機会に敵の築いた砦と切り拓いた海岸をそっくり頂いてしまえば宜しいかと」


 武官の言葉に次期当主はハッと顔を上げる。


「…そうか、そうだな! 敵本陣に一番近い部隊はどこだ?」

「はい。ヴィンセント中隊長の率いる部隊が敵本陣の西側から分断と包囲作戦を展開中です」


 それを聞いて次期当主の顔に久し振りに笑みが戻った。

 だがその笑みは少々危ない色を含んでいる。


「ならばヴィンセント中隊長に伝令を走らせろ。敵本陣はなるべく傷付けずに制圧する! 火計などは以ての外だと厳命しろ!」

「御意に…」


 もう手遅れだった。

 この時の二人は、既に西側から攻める名も知らぬ名前付ネームドが火計を使って敵部隊を混乱させ、混沌と化した戦場で大暴れしているとは思いも寄らなかっただろう。


「フフ、何もかもが気に入らぬ戦だったが、北の海岸までの街道が手に入るのであれば王国軍の介入が無かったのはむしろ好都合ではないか…!」


 何も知らない次期当主は満面の笑みを浮かべて光の差し込まないテントの中で喉を鳴らした。

 武官は苦々しく思いながら、例え欲に目が眩んでいようとも、せめて戦争の決着がつくまで精神が保ってくれればと願わずにいられなかった。




◇◆◇





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